考えても考えても答えは出ない。
「英学院の高等部3年生の場合、大学部への進学が大半を占め、3学期に進学試験があります。よって、今回の期末テストが最後の定期テストになります。頑張りましょう」
「……はい」
以前からちまちま勉強を進めていたが、期末試験1週間前になると井上さんがプレッシャーを掛けてきた。
理由は少しわかっているんだ。
井上さんの家庭教師はあと一ヶ月程度で終了する。例の進学試験前までが契約期間なのだ。なのできっと、私にはこれまでの成果を発揮してほしいと考えているのであろう。
私だって頑張ってるんだよ? 1年生の終わり頃から…半強制的にだが幹先生による弱点攻略と、基礎学習を地道にやってきたのだ。それに加えて今年度に入ってからの井上さんの家庭教師。私も勉強に本腰を入れ始めたんだ。
きっと私は以前よりも賢くなっているはずだ!
……いや、側に数名秀才がいるからそれと比べたらアレだけどさ…
「では、今からテストを行います」
「はい」
井上さんお手製のテストを出され、私は気を取り直した。弱気になっている場合じゃない。頑張らねば。
スマホのストップウォッチ機能をセットした井上さんの合図とともに、私は伏せられているテスト用紙をめくった。
■□■
なんだかんだで期末テスト期間を迎え、最終日を無事(?)終えた。この数日間、脳をフル稼働しすぎてシャットダウン寸前である。
部活は明日からのスタートなので、今日は大人しく帰ることにしたが、本音を言えばバレーがしたい。乾いた心がオアシスを求めるように、私はバレーを渇望している。ギブミーバリボー。
なのに何故、部活の再開が明日からなのだ。今日からでいいじゃないか。春高大会が待っているんだぞ。
はぁ、バレーがしたい。
私はトボトボと正門までの道を歩いていた。
「あ…」
正門まで一緒に向かっていた幹さんがとある方向を見て声を漏らしていたので、私も彼女の視線の先を目で追った。
するとそこにはいつものファストファッション姿の井上さんがいた。彼は守衛室前で入場手続きをしていた。いくら英学院高等部の卒業生、現大学部生でも、部外者扱いされるのね、そこは。
「井上さん! 偶然ですね。高等部になにか御用でも?」
私が声をかけると、その声に反応した井上さんがあちこちキョロキョロして私の存在に気づいた。
「こんにちは。来年の3月からしばらく教育実習でお世話になるので、恩師にそのご挨拶を」
「あっ、そっか! 高校の先生になるのが井上さんの夢ですもんね。でも残念です、私が高校卒業した後の実習になっちゃうんですね」
本当に惜しい。3月の頭が高等部の卒業式なので、その後から始まる教育実習とは無関係なんだな。
いやーしかし教育実習か。井上さんは夢へ一歩近づいたんだな。なんか格好いい。きっといい先生になるぞ彼は。
「テストはどうでした?」
「う、うーん? まぁぼちぼちですかね」
「今度の授業の日に見直しをしましょうね」
テスト最終日だと知っていたからその上での質問なんだろうが、私は反射でぎくりとした。
頑張ったよ? バレーしたい衝動を抑えて、出された課題も弱点の見直しも超頑張った。今もほら禁断のバレー症状が出てるんだ。大好きなものを断って私頑張ってきたんだよ!
だから秀才には満足行かない点数でも心優しい言葉をかけて欲しい! まだ結果わかんないけどさ!
プレッシャーに冷や汗をかいている私に気づいてない様子の井上さんは、私の隣に視線を向けて「あぁ」と呟いていた。
「以前大学見学に来られた方ですね。こんにちは」
「こんにちは…先日は、進路についてご教授頂きありがとうございました」
井上さんに挨拶された幹さんはなんだか緊張している様子だった。
前から井上さんをライバル視していたけど、進路について痛い所をつつかれたことにより、気になる相手に代わったらしい。
「私、真剣に考えて進路を決めました。今度奨学生試験を受ける予定です」
「そうですか。…結局どの学部にしたんです?」
井上さんがいつもの淡々とした話し方で幹さんに質問すると、それを待ち構えていたとばかりに幹さんが隣で深呼吸した気配がした。
井上さんに畏怖でも抱いているのだろうか。彼が淡々としてるのは常だ。別に機嫌が悪いとかそういうわけじゃないよ。
「はい、経済学部に決めました。進路についてご指摘いただいたときからずっと考えてきました。自分に合っていそうな職業を調べて、学部を吟味して……そしたらやっぱり経済学部が一番だと感じました。お金の流れを知るにはまず経済学部で学んだほうがいいと思ったんです」
まるで面接の質疑応答のようだ。幹さんは声を上擦らせながら、自分が再び経済学部を選んだ理由を説明すると、黙って聞いていた井上さんが「そうですか」と淡々とした返事をしていた。
「えっ…」
「いいと思います。進路と向き合えたならそれで」
井上さんの言葉に幹さんはぽかんとした表情を浮かべた。
「……自分のために考えることが出来るならもうあなたは大丈夫でしょう」
井上さんは「頑張ってください」と言い残すと、軽く会釈して横を通り過ぎていった。幹さんは黙ってそれを見送っていたが、安心した様子でホッとため息を吐いていた。
幹さんが井上さんを意識しているのは、前々から何故かライバル視していたから、その対抗意識で下に見られたくないという意地なのだろうか。
でも井上さんの言葉で、幹さんもちゃんと真剣に考えて納得いく答えが出せたから良かったよね。
■□■
「はい、実によろしいですね。これで基本的なステップは全て習得し終えましたが、中級者向けのステップも習われてみますか?」
クリスマスのダンスパーティのために、ダンスレッスンの基礎を叩き込もうとしたけど、あっさり習得してしまった。
初心者にはありがちな、ダンス相手の足を踏んだり、動きがぎこちなくなることはなく、あっさり踊れた。結構簡単だったよ。講師の先生もべた褒めしてくれた。
他の習い事もこのくらいスムーズにこなして先生方に褒められたいものだ。
予定よりも早くダンスの基本の方を覚えてしまったので、おまけで少し難易度を上げて中級者向けのダンスを教えてもらった。
期末テストが終わった後は、私の意識は春高大会に向かっていたが、忘れちゃならない。1月の下旬には大学進学内部試験が行われる。
よほどのことがなければ落ちないけど、場合によっては希望の学部には進めないらしい。学部によってレベルが異なるからね。
習い事も平常通りスケジュールに組み込まれているし、部活は忙しいし、勉強はしないといけないし…それに慣れてきたとはいえ、疲れる。
私は最近よく考えることがある。
考えても答えは出ないが、ふとした瞬間にふっと頭の中に思い浮かんで、ぐるぐる考えてしまうのだ。
お嬢様とはなんだろうと。
令嬢らしくないと他人に指摘されたことが何度かあるが、私もそう思うのでその言葉を黙って受け止めていた。
そして今、慎悟と共に人生を歩むために、私は庶民根性丸出しのガサツ女なままでは駄目だと行動中である。
だけど、どういう『お嬢様』になるのか、まだ私の中で形が定まっていないのだ。
「あら、二階堂さん? お久しぶりね」
「あ…寛永さん…」
ダンスレッスンを終えて、お迎えの車を待っている間、喫茶店で時間を潰しがてら考え事をしていると、女神のように美しい女性に声を掛けられた。
英学院卒業生の寛永さんだ。彼女が同じ席に座っていいかと伺いを立ててきたので快諾する。店内満席で席が空いていなくて困っていたのだろう。
目の前の席に着く寛永さんは所作の一つ一つが綺麗で洗練されている。たとえ彼女の手荷物の一つがアニメショップのロゴが入った紙袋であろうと、その美しさが霞むことはない。袋からはみ出ている紙筒は…ポスターか?
相変わらずギャップのあるお嬢様である。
「どこかへおでかけしていたの?」
「ダンスレッスンを受けてきました」
「あぁ、もうすぐクリスマスパーティだものね。…加納君と参加するのでしょう?」
生まれながらのお嬢様である寛永さん。お嬢様として育てられたから、こんなに優雅で気品ある動きが出来るんだろうなぁ。精神年齢的には彼女と同い年なのだが、私と彼女の間には大きな隔たりがあるような気がする。
目の前の席に座る寛永さんに感嘆の眼差しを送ると、彼女は不思議そうに首を傾げていた。
「…どうかして?」
「…お嬢様ってなんだろうなと悩んでいまして」
なんか言葉にすると哲学的な悩みだな。
目の前の寛永さんは私の事情をちっとも知らない。まさに何いってんだこいつ状態であろう。
そもそも生粋のお嬢様にそんな質問しても意味ないか。私は今の発言を聞かなかったことにしてもらおうと口を開いた。
「あ、すみません。今のは聞かなかったことに」
「難しい質問ね。…アニメや漫画、小説に出てくるような世間一般のお嬢様像というものがあるけれど、令嬢全員がそれに当てはまるとは限らないわ」
寛永さんは律儀に私のボヤキに付き合ってくれた。彼女の返答に私は閉口する。
…それはそうね。みんながみんな同じ量産型令嬢だったら怖い。
そもそも物語で描かれたお嬢様は周りが作り上げた架空の人物像。生きている生身の人間とは別物だ。同じセレブでも多様多種で、庶民だってそうだ。みんながみんな同じなわけがない。
寛永さんは紅茶の入ったカップを傾けて、紅茶を一口含む。一息ついた彼女の釣り上がり気味の目が私を映した。
温和でお淑やかで、生徒会副会長を歴任した優等生である寛永さん。所作は美しく、隅々まで手入れの行き届いたその美貌。バレーに燃えていた“私”とはまるで正反対である彼女。
…寛永さんはやはり、私の中のお嬢様像にピッタリ合致している。
──だけどきっと、私は彼女のようにはなれないな。
場面によってお嬢様を演じようとするがブレる私のお嬢様像。周りから多重人格な人間に見られていないか心配になる。
考え込んで難しい顔をしていたからか、彼女は苦笑いしていた。
「そんなにがんじがらめに考えなくてもいいのではないかしら。あなたが納得するような令嬢を目指せばいいと思う。…加納君はどんなあなたでも受け止めてくれると思うわよ?」
慎悟や二階堂パパママは……出会った当初、私の行動をたしなめることも多かったけど、今は大分減った。
多分それは私の悪い癖が直っている証拠なのだと思う。私も前向きに努力できるように意識が変わったもの。
みんなが、焦らなくていいと言う。ポンコツお嬢様な私に、無理してお嬢様のフリをしなくても大丈夫だと言ってくれる。優しく見守ってくれている。
前までは『私はエリカちゃんじゃないし、そのうち成仏するから、好きなことだけをしたい』と好き勝手過ごしていたけど、今はそうはいかない。義務は義務としてこなさなければいけない立場に変わった。
憑依した人間、エリカちゃんの人生を乗っ取ってしまった私に良くしてくれる彼らに甘えてばかりじゃ駄目だと思っているんだ。彼らの厚意に報いたいとも思っている。
せめて恥をかかせない程度に、お嬢様に見えるようにと自分に言い聞かせても、どうしても地が出てしまう。考えれば考えるほどドツボにはまって自分で自分がわからなくなるんだ。
…自分が納得いく令嬢。
寛永さんが掛けてくれた言葉を頭の中で反芻したが、すぐには答えが出てこなかった。
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