ダメです。私達にはまだ早すぎる!


 私を強く抱きしめるその腕は、まるで私に縋りついているようだ。…慎悟がなにかに怯えているように思えた。


「俺はあんたを大切にしているつもりだった。浮気心を出したこともない。…だけど周りからはそうは見えないみたいだ」

「うーん。今更だけどねぇ。私の中で慎悟はリアルハーレム野郎だし」


 その気がなくても女に囲まれてしまう魔性の男。慎悟だってそれをわかっていたと思うけど、私の言葉を冗談だと思っていたのか?

 ……慎悟がいつだって私にまっすぐ一途なのはわかっているよ。他の女の子に対して思わせぶりな態度は取らない。いつも素っ気なくあしらっている。それでもしつこい子は諦めて放置している部分もあるけども。


 慎悟は黙りこくって、肩に顔を埋めてきた。彼の吐息が首にかかってくすぐったい。私が身を捩ると、拘束する腕の力が増した。


「慎悟が私を想ってくれているのは、私がよくわかっているよ? そんな慎悟だから私はあんたの手を取ったの。…なに弱気になってんのよ」

「だけど、あんた悲しそうな顔をしていたって西園寺さんが。あんたを傷つける気は毛頭なかったのに……ごめん」

「え…?」


 悲しそうな顔?

 そんな顔したっけ? 誘蛾灯状態の慎悟を見て、ウワァ…って顔はしたけど……。

 西園寺さんは私のことを美化し過ぎだと思う。中の人私だよ? エリカちゃんの美少女効果に騙されているんじゃないかな。


「…あんたが西園寺さんとお見合いをしたと聞かされた時、デートした時、文化祭で一緒に回っているのを見た時……気が気じゃなかった」


 それ付き合ってない時の話じゃないの? 今言われても困っちゃうんだけどなぁ。


「私だって、慎悟の周りに女の子が群がっているのを見た時、丸山さんからの縁談の話を聞かされた時すごいもやもやしたよ?」


 慎悟だけじゃないという意味で言ったのだけど、慎悟はコツンとおでこ同士をくっつけてきた。至近距離から見つめてくる慎悟の瞳は未だ不安に揺れている。


「…二階堂のご当主がその気になればきっと、あんたと西園寺さんは縁組させられる」

「…ん?」


 耳を疑った。

 縁談の話はナシになったはずだ。確かにあのお祖父さんは孫娘が幸せになれない縁組はしないであろうが…流石に無理やり婚約はないと思うんだよなぁ。


「あんたが、俺ではなくて西園寺さんに惹かれたらと思うと怖いんだ」


 …何を馬鹿なことを言っているんだ慎悟は。それは私のセリフだ。他の人に心変わりされたらなんて。そんなの、私だって考えることあるさ。


「…そんなの、私だって考えることあるよ? だって慎悟はよりどりみどりじゃない。私がポンコツ過ぎて飽きられるかもなぁって思うこともある」


 おでこをそっと離すと、慎悟はじっと私を見つめてきた。

 ……いつになく情けない顔して。どうした、いつもの慎悟らしくないぞ。不安に思うのは慎悟だけじゃないんだ。そんな事考えるだけ無駄だ。


「私はエセお嬢様だしさ、成績も上がっては来てるけど、決して優秀じゃない。習い事も始めたばかりで身についたとは言えない。お嬢様らしくしようとしても、どうしても地が出てボロも出ちゃう。…慎悟と釣り合わないなぁって悲しくなることだってあるよ」

「…そんな事は」

「慎悟がよくても、周りはそうは思ってくれないの。周りは私の事情なんか知らないのだもの」


 逃げる姿勢を見せてしまえば忽ちナメられる。

 今のポンコツな私では認められないから、ああして女の子たちは堂々と慎悟に群がってくるのであろう。私から簡単に奪えると思われているのだ。

 本音を言えば逃げたくなることもある。それでも逃げないのは、慎悟が隣にいてくれるからだ。


「私が頑張っているのは慎悟と一緒にいたいから。…なのに慎悟が不安がって私の気持ちを否定するような真似しないでよ」


 悲しくなるじゃん。

 私も不安になることはあるから気持ちはわかるけど、私のことをもうちょっと信用してほしいな。


「…笑さん」

「私の言っていることが信じられない?」

「…そんな事ない」


 慎悟は首を横に振って、ふうと息を吐いていた。緊張して息を詰めていたようだ。

 私は慎悟の頬を両手で撫でた。うん、さっきよりは表情が明るくなったな。


「…嫉妬して疑って…当たってごめん。…いつも我慢させてごめん」

「いいよ。許してあげる」


 これで仲直りだ。喧嘩別れしたくなかったから、仲直りできてよかった。

 慎悟の顔がゆっくり降りてきたので、私は目を閉じた。唇が触れ合うと私は一気に幸せな気持ちになれた。

 彼の首に腕を回して唇の感触を楽しんでいると、腰辺りに腕が回ってきて体を持ち上げられた。

 ふわっと体が浮いた感覚に驚いた私は目を開けたのだが、目に映るのは慎悟の瞳だけだ。それから間も置かずに私はふわっふわの感触を背中に感じた。

 ……ベッドに押し倒されたのだ。


「!?」


 私はぎょっとした。動揺した私は慎悟の肩を押したり、身を捩ったりして抵抗したが、慎悟は急には止まらない。


「清いっ清い交際! ダメだよぉ!」


 塞がれていた唇が解放されたタイミングで訴えてみたが、慎悟は首筋に吸い付いてきて、私の言葉に耳を貸さない。


 ……今までになく色気を放出していらっしゃる。目が、マジだ。

 ダメだよー! 婚約もしていないのにこんな、ふしだらな真似しちゃダメだってばー! 清く正しい交際しようって約束したじゃないの!


 現在私の格好はバスローブ一枚だ。ここは密室、二人っきり、ベッドの上。…あかん。

 このままでは一線を越えてしまうと危機感を覚えた私は、それを阻止するために慎悟の急所を蹴るかどうか迷った。慎悟は私の太ももの上を跨ぐようにして膝をついているので、蹴ろうと思えば出来ないこともない。


 だがしかしだ。…慎悟にはそんなこと出来ない。可哀想過ぎる。

 じゃあどうしたらいいのかと葛藤している間にバスローブの紐に手を掛けられたので、その不埒な手を掴んで止めた。


「ダメだっ…むぅっ」


 私が止めるように口を開くと、キスをして塞いできた。その間にも結んでいる前の紐を解こうとしてくる目の前の青少年。

 その後はもう力比べである。清い交際しなきゃいけないって、ダメだって言っているのになんて奴だ! かくなる上は腹パンをするしかないのか…!?


【ピンポン♪】 


 ──ナイスなタイミングである。

 私が拳を握ったタイミングで来客を知らせるチャイムが鳴った。…ようやく慎悟の動きが止まる。


「ほら! 武隈さんが来たよ! 替えのドレス持ってきてくれたんだ!」

「……」

「そんな目をしてもダメです! 清く正しい交際をしましょう!」


 ジト目で見られたが、私はまだこういう事をする段階じゃないと思うな! まず婚約してからだと思う! もったいぶっているんじゃない、ケジメだよケジメ! セレブだろ!!

 勢いを失った慎悟の体の下から抜け出すと、軽くバスローブを整えながらドアを開けた。



■□■



 武隈嬢が持ってきたドレスは、私の手持ちの靴やアクセサリーにあわせたオレンジ系統のXラインドレスだった。自分が持ってきたドレスより大人っぽいものだけど、エリカちゃんはさすが美少女。なんでも似合う。


「なんだかごめんなさいね」

「え?」


 洗面台前で武隈嬢が簡単にヘアメイクしてくれた。その片付けをしながら彼女に謝られたので、私は首を傾げた。ジュースの件ならもうお詫びを受けたのにと思ったが、彼女の謝罪は別のことだったようだ。


「加納君とお取り込み中だったのではなくて?」

「そんな事ないよ!? ねぇ、慎悟!」


 私が洗面所で支度をしている間、窓際のチェアに座って待っていた慎悟に同意を求めたら、むっすりと不満そうな顔をされた。そんな顔されても困る。

 武隈嬢にはくすりとおかしそうに笑われてしまった。


「付き合っているんだから別にごまかさなくてもいいのよ? …首はどうする?」

「首…?」

「痕がついているわよ?」


 何のことを言っているのかサッパリわからなかった私は首を傾げた。

 武隈嬢から手鏡を渡されて首を確認したら、そこには虫刺されのような痕が……今さっきのことを思い出して急激に恥ずかしくなった私は、慎悟のところに大股で近づき、腕をべしりと叩いたのである。



 私が慎悟と武隈嬢と共にパーティ会場に戻ると、パーティの主催者らしきおじさんが壇上で長々となにかの話をしていた。取引関係のお偉いさんたちが続々紹介されており、会場から拍手が上がる。

 この手の挨拶ってもうちょっと短縮できないかな。一生懸命に考えたのだろうけど、聞くのって集中力要するから、最後あたりの話は全く頭に残らないんだよね。…私だけかな。


「あ、あの…」

「あ…」


 増量版・加納ガールズと仲間割れでもしたのであろうか、例のピンクドレスが単体で現れた。それに気づいた慎悟がずいっと私と彼女の間に割って入って壁となった。また彼女に私がなにかされるかと思って、慎悟も警戒しているのだろう。

 私がジュース濡れになったその理由を聞いた慎悟は尚更責任に感じてあんなに凹んでいたらしい。慎悟が私を庇う姿勢をとったことでピンクドレスはぎくりと怯んでいた。


 だがちょっと待ってくれ。

 女同士のことに男が絡むとちょっと話がややこしくなる気がするんだ。ここは私に任せてくれないか。

 私は慎悟の後ろからずいっと前に出た。そして、にっこりと優しいお嬢様の笑みを浮かべてみせる。


「じゃあ、親のところに案内してくれる?」

「へっ…?」


 責任は責任だもんね。

 ドレスは武隈さんがクリーニングに出してくれたし、代わりのドレスを用意してくれたが、彼女がいちゃもんつけて故意でジュースで汚したことは別のこと。

 それはそれ、これはこれである。ケジメは付けてもらおう。


「私ね、あなたを育てたご両親の素晴らしいお話を伺いたいの」

「ヒッ…ご、ごめんなさい」


 私は笑顔で話しかけたのに何故か彼女は怯えた顔をしていた。何故だろうか。私はしっかりお嬢様の仮面をかぶっているのに何故怖がるの?


「さっきまで強気だったのにどうしたの? もっとお話しましょうよ。セレブの洗礼についてもっと教えてほしいの。……今度会ったら私もあなたのドレスにジュースかけるようにするね? …それがセレブの礼儀なんだものね?」


 生まれてはじめてオーダーメイドで作ってもらったドレスはお気に入りなんだ。それを汚されて私は悲しかったんだぞ。

 いいか、私と会う度にジュースをかけられたくなかったら反省しろよ。


 セレブのパーティというものは毎回こんな感じなのだろうか。疲れるからもう勘弁願いたい。

 

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