やっぱりこの子を放っておけないんだ。

  

「ちょっと待ちなよ!」


 部活で鍛えた声は瑞沢嬢たちだけでなく、その辺を歩いていた通行人をも振り返らせた。

 驚いた様子で固まった彼らを引き止めることに成功したらしい。


「…二階堂、さん?」


 今日の私は私服だ。つばのある帽子を深く被ってはいるものの、瑞沢嬢はすぐに私だとわかったみたいだ。彼女は目玉が落っこちそうなほど目を大きく見開いてこちらを見ている。

 だが今は瑞沢嬢とおしゃべりしている場合ではない。裏社会に足を突っ込んでいそうないかついおっさんと、瑞沢嬢の母親が私の相手なのだ。


「あんた達、この子が未成年ってことはわかってるよね? …その子に何をさせるつもりなの?」


 聞かなくても何をさせようとしているのかはわかっている。だけど相手の口から決定的証拠を掴むために問うたのだ。

 …コイツらは死後、大焦熱地獄に落ちたらいいと思うんだけどな。中学生? 高校生? 未成年と言うだけでなく、強制売春…違法もいいところじゃないか! この母親も何を考えてんだよ!

 

「…何だお前…」

「…あんた、昨日の…?」


 おばさんは今私の正体に気づいたみたいだ。別に私は変装しているわけじゃないけど、中々気づかないから最後まで気づかないんじゃないかと思っていた。

 私のことを邪魔くさそうに見てくるおばさんに、先程病院で手当してもらった患部を見せびらかしてみた。


「昨日はどうも。さっき診断書を取ってきたので、後日お話がそちらに行くかと思いますのでよろしく」

「はぁ!?」


 まさか、怪我させておいてお咎めなしだなんて思っていないよね? …と思ったけどこの人虐待していた母親だもんな。自分のことしか考えず、娘に教えるべき事を教えない人だ。そこまで考えが行かないか…

 

「それはそうとおばさん、また娘を売るの? いくら親でもそんな権利ないんだよ?」

「うるさい! 部外者が口出ししないでよ!」


 うるさいのはおばさんの方だよ…近くにいるんだからキーキー騒がないでほしい。もう面倒くさいのでこのおばさんに敬語は使わないことにする。


「私は確かに部外者だけど、瑞沢さんは同じ学校の生徒なの。見過ごすわけには行かないんだよ。…おばさん、あんたの娘がどれだけ苦しんできたか、全然わからないの?」


 瑞沢嬢の母親は世間で言う毒親というのであろう。

 私は間違いなく両親に恵まれていたと思う。そして今お世話になっている二階堂パパママは多忙で娘を放置して孤独にさせていた事もあったけど、決して悪い人たちではない。

 ……はっきり言って、瑞沢嬢の母親のようなタイプは未知だ。話してわかってくれたらいいけど…昨日の今日なので逆上される気がする。


「自分が生んだ娘をどうしようとアタシの勝手でしょ! 腹を痛めて産んでやったのよ! グズでのろまな姫乃はこの位しか役に立てないんだから、少しは親孝行するべきなのよ!」

「…子供は親の道具じゃないよ。好き勝手していい訳じゃない。意思を持った一人の人間なんだよ…親であるあんたが子どものことを悪く言うのはやめなよ」


 そんな言葉、よくも子どもの前で吐けるな。こんなひどい言葉を瑞沢嬢に聞かせるつもりはなかったのにおばさんの勢いは止まらない。

 瑞沢嬢はこんな暴言を毎日受けながら育ったのだろうか。だから人の気持ちに鈍感な子になったのだろうか。…きっと周りの人が理解できない次元で苦しんできたのであろう。


「うるさいわね、金が必要なのよ! アタシが生きるためには金が必要なの!」

「稼ぎたいなら自分で稼げって言ってるでしょ! パートでも頑張れば月10万以上稼げるんだよ?」


 大体子供に体を売らせて稼がせるって…何処の吉原の話だよ。

 …この人も自分の親に同じことされたのかな? もしそうなら気の毒だが、それでも自分の子どもに同じことをしてはいけない。いくら自分が生んだ子でも、意思を持つ別の人間なんだ。

 なんとかおばさんを説得(?)してみたが、この人聞く耳持たない。人の話を聞かないところは瑞沢嬢に似てるけど、これと比べたら瑞沢嬢はまだ可愛い方かな…


「元はといえば、姫乃がいるからアタシがこんな目に遭ってるんだよ…あんたさえいなければアタシは幸せになっていたはずなのに…!」


 おばさんは瑞沢嬢を睨みつけて恨み言を漏らしているが、自分で産んでおいてそれはないだろう。それなら最初から産まなきゃいいんだ。堕胎という手段もあったのに産むと決めたのはおばさんだろう? 


 瑞沢嬢は無表情だった。母親からの言葉の暴力に萎縮しているわけでなく、ただ無表情で突っ立っていた。

 …考えたくないけど、言われ慣れているのだろうか。だから心を殺して聞き流しているとか…。

 瑞沢嬢の母親はめちゃくちゃだ。親は子を産むことを選択できるけど、子は選択できないんだ。そんな事を産んだ人間が言っていいわけがない。


「…シングルマザーってさ、大変だってよく聞くよ? 人間一人育てるのも大変って聞くもの。私は子どもを産んだことも育てたこともないから、上辺のことしかわからないけどさ…」


 多分この人も大変だったのだろう。苦労をしたのだろう。…だがそれでもこの人のやっていることはおかしい。

 

「ここで娘を責めるのはおかしいよ。あんたは現状を変える努力をしているみたいだけど、方向性がおかしいの。子どもの力ではなくて、自分の力でなんとかしてみせなよ!」


 その元気さえあれば、何だって出来る!

 

「死人みたいに生きたくないなら、自力で這い上がってきなよ! いつまでも瑞沢家の娘の母親という肩書に縋り付くことは出来ないよ!?」

「…は?」

「このままだと娘だけが幸せを掴んで、あんたは不幸なままだよ? …おばさんは自ら不幸に飛び込んでいっているんだよ! わからない!?」


 とは言っても宝生氏がちゃんとしないと、玉の輿は無理なんだけどね。何事も絶対の安心はない。いつ没落するかなんてわかんないもの。

 でも瑞沢嬢はどん底からセレブ入りしたから生命力が強そうな気がする。お金がなくとも愛さえあればいいとかお花畑なこと言いそうな気がするわ。


 ついカッとなっておばさんに説教かましてしまったけども、私の言葉はおばさんに……響いてないな。めっちゃ私のことを睨んでる。視線で殺されちゃいそう。

 瑞沢嬢は最終的に私の決別の言葉を聞き入れてくれた。反省もしていた。瑞沢嬢は元来素直な性格をしているのだろう。…母親のこの人も昔は素直だったけど、世間に揉まれて荒んでしまったのであろうか…


「お、こっちの姉ちゃんもかなりの上玉じゃねぇか。こりゃ高く売れるぜ。初物なら尚更だ」


 私がおばさんに一方的に睨まれていると、スカウトマン? みたいなオッサンが私を舐めるように見つめ、場違いな発言をしてきた。

 不快に感じた私は軽蔑の眼差しを向けてやった。ふざけるな…エリカちゃんの清い体を私は守りきってみせるぞ…! 誰一人として指一本触れさせやしないからな。

 安全第一で考えると、この場から早い所ずらかったほうがいいかもしれない。


「瑞沢さん、逃げるよ。おいで!」

「え…でも」

「あんたは宝生氏のことが好きなんでしょう!? 裏切る真似していいの!?」


 宝生氏の名前を出すと瑞沢嬢はピクリと肩を揺らした。だけどその目にはまだ迷いがある。


「ヒメは…」

「宝生氏はあんたの事をちゃんと好きでいてくれているでしょう!? ここで体を売ったら、宝生氏に嫌われるかもしれないんだよ? いいの?」

「…だって、ヒメ…」

「姫乃! 逃げたら承知しないよ! 10万円よ10万円! あんたは10万円の価値があるのよ!?」


 私の説得を邪魔するようにおばさんが口出ししてくる。ヤバイなこのおばさん。私はその発言にドン引きしている。

 10万円って…おい…あんたは馬鹿か。


 瑞沢嬢は瞳に涙を浮かべて狼狽えていた。…この期に及んで愛されたいとか抜かすんじゃないだろうな。

 家庭環境も育ちも異なる私には瑞沢嬢の気持ちを100%理解することは出来ない。私が体験したことを瑞沢嬢が理解することが出来ないようにだ。

 だけど、私達はお互いに重すぎるトラウマを抱えているのは共通していた。

 だから私は彼女を放っておけないのだ。

 エリカちゃんがこの世を捨て去った理由の一つだとわかっていたから瑞沢嬢を突き放したけれど、こんな状況で放っておくことは出来ない。出来るはずがない。

 私はおばさんに負けじと大声で言ってやった。


「私もあんたの事を嫌いになるよ! それでもいいの!?」

「! や、やだぁ、二階堂さん…」

「なら来なさい! ほら!」


 私が手を差し出すと、瑞沢嬢はおばさんの拘束を振り払った。おっさんの脇をすり抜けてこちらに駆け寄ってきたので、瑞沢嬢のその手を握る。

 私は瑞沢嬢の手を引いて一目散に駆け出した。スニーカーなのでとても走りやすい。

 

「まっ待ちなさい姫乃! ママを裏切るの!?」


 瑞沢嬢の手がピクリと震えた気がしたけど、私はしっかりその手を握って離さなかった。ここで堕ちたら、瑞沢嬢は二度と戻ってこられない気がするんだ。だから離せなかった。

 見た感じあの大人2人は運動不足で不摂生していそうなので、若者である私達の足にはついていけないであろう。

 後ろで罵声が聞こえるが、振り返らずに足を動かす。適当に撒いて何処かへ逃げ込もう。


「うっ、うぇっ…」

「今は泣くんじゃない! 後で話は聞いてあげるから!」

「だって、だって…ママぁ…」


 後で黒のパーカーに鼻水を付けられることを覚悟しないといけないみたいだ。後で泣いていいから、今は我慢して足を動かせ!

 とにかく走って、角を曲がって、走って、曲がっての繰り返し。何処まで追いかけてくるかわからなかったから宛もなく逃げているけど、追われていないと願いたい。

 繁華街を少し抜けて、雑貨屋・服屋が並ぶ通りに辿り着いた。若者が集うファッション街だ。今日は土曜なので人が多い。ここまで来たら、もう…

 ゼィゼィと息が上がる。テスト前なのに勉強もせずに鬼ごっことか…私何してるんだろう。慎悟にも遠回しに勉強しろと念押しされたばかりだと言うのに…

 あ、これも社会勉強ってことかな。裏社会のお勉強みたいな。


「あれ…? もしかしてそこにいるのは…エリカちゃんかな?」

「え?……あ」

「…誰ぇ? この人」


 瑞沢嬢はいろんな液体を垂れ流して顔面つゆだくにさせた状態で、腕に抱きついてきた。あんたはまず顔を拭きなさいよ。またハンカチ忘れたの?

 私に声を掛けてきた人物は、正月で会った時と同じ様にスーツ姿だったが、あの日よりもラフな感じだ。ニコニコして人当たりの良さそうな眼鏡の男性を見た私は、彼に助けを求めた。


「…慎悟のお父さん! 助けてください! 女衒ぜげんに売られそうになっているんです!」

「…ぜげん…!?」


 おじさんの顔が驚愕に固まる。

 スカウトマンと言っても間違いではないだろうが、あの場合ちょっと意味合いが違う気がして女衒と表現した。

 もしかしたらセレブなおじさんには耳慣れない言葉だったのかもしれない。なので私はわかりやすく言い直した。


「えっと、未成年にもかかわらず性的な仕事を斡旋されそうになったんです! あ、私じゃないですよ、この子です! 今逃げてきたばかりで…」


 たまたま遭遇した慎悟のお父さんを巻き込むのは心苦しいが、この人はあの慎悟のお父さんだ。学校の教師よりも、瑞沢家の人間よりも頼りになること間違いない。

 ポッカーンとしたおじさんだったが、私の要領を得ない説明で状況を簡単に把握したようである。おじさんの眼鏡の奥の瞳が鋭くなったのがわかった。


「詳しい話を聞くとして…あそこにうちのオフィスがあるから、とりあえず移動しようね?」

「ご迷惑おかけします!」


 私と瑞沢嬢はおじさんの案内でお店が隣接している綺麗なオフィスにお邪魔した。土曜だからかオフィス内には人が数人しかいなかったけど、別棟にあるお店のほうは中々繁盛している様子であった。ここイートインスペースもあるのか。今度来てみようかな。

 ここが慎悟の家の会社か。…輸入モノ扱っていると言っていたからどんな物売ってるのかと思ったけど、ピンからキリまで取り扱ってるんだね。 

 当初の目的を忘れて、人の家の会社事業内容に興味を持っていた私だが、ここに来たのは理由があるのだ。

 会議室らしき部屋に通された私達はおじさんから、今冷えているのがこれしか無いけどと言われて輸入物らしきアメリカンなコーラを出された。

 私は走ってきたのでとても喉が渇いていた。喉を湿らせるためにプルタブを開けて呷った。シュワーッとした刺激が喉をくすぐ…ちがう、私はコーラの刺激を楽しむためにここに来たんじゃない。


「えぇとですね、これには色々深い訳がありまして…瑞沢さん、触りだけ事情を話しても大丈夫?」

「…うん…」


 ぐす、ずびと隣で泣きじゃくる瑞沢嬢に了承を得て、私は軽く状況説明をした。

 話を聞いていたおじさんは難しい顔をして、そして深々とため息を吐いていた。そのため息の吐き方、慎悟と似てるね。


「…エリカちゃんはこんなにお転婆な子だったかなぁ…?」

「事件の影響で私は生まれ変わったんです」


 私は何度目かになる言い訳を素知らぬ顔で吐き出した。もうその嘘つくのに慣れてしまったよ。

 おじさんは苦笑いして肩をすくめていた。


「…まぁそれは別にいいんだけどさ…その子、宝生君との婚約が破棄になった原因じゃない。…エリカちゃんだって忘れたわけじゃないでしょ?」


 私だって色々思うところはあるさ。…私がエリカちゃん本人だったらきっと…

 転生の輪で最後に見たエリカちゃんの泣き顔が瞼の裏に蘇ったが、私は深呼吸して心を落ち着かせた。


「…見捨てることは私の信条に反するんです」


 なんたって私は通り魔から人を庇って惨殺された人間だよ? お人好しなのは承知の上だ。見て見ぬ振りは出来ない、これは私のサガなのだろう。

 出来ればこうして人に迷惑かけずに解決できたら一番いいんだけどねぇ。


「…君のご両親にも連絡させてもらうけどいいかな?」

「大丈夫です」


 二階堂パパママに怒られちゃうかもしれないな。…娘を傷つけた原因を私が助けちゃったのだもの…でも事情を知れば2人は理解してくれるはず。


「二階堂、さん…」


 おじさんが連絡するために席を外すと、先程からずっと泣きっぱなしの瑞沢嬢がようやく口を開いた。

 嗚咽を漏らしながらなので、聞こえづらい。可愛いのに色んな液体を垂れ流しているので台無しである。宝生氏の前でもこんな泣き方をしているのであろうか。

 この子もうすぐ高3になるのに…


「うっ…うっ、ごめんねぇ、ヒメ…また」

「…鼻を噛みなさい。話はそれからだ…アッー…!」


 隣に座っていた瑞沢嬢が私に抱きついてきて、黒のパーカーの肩口にしっかり鼻水を付けやがった。目の前にティッシュがあるのに何故拭わない!?

 洗えば落ちるけどさぁ…これ地味な嫌がらせなのかな?


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