消えることのない罪。消えない苦しみ。
「今日は帰るのが早いんだね、二階堂さん」
「……」
「そんな嫌そうな顔しないでよ。傷つくな」
「だって嫌なんだもん」
今日は部活を休んでいつもよりも早い時間に帰宅することになっていた。それが仇となったのか、下駄箱で上杉に声を掛けられてしまった。最悪である。
この間ハッキリきっぱり【好きになることはない】宣言をしたのに、凝りずに声を掛けて来るとは…。コイツ、まだ諦めてないのかよ。傷ついたと言っている割にはニコニコしているし、本当に傷ついているのかは謎だ。
「クリスマスパーティのパートナーは決まったの?」
「出ないから要らない」
早歩きで撒こうとしたが並進してくる上杉。コンパスの差か? …いっそ正門まで走ってやろうか。
「何で出ないの?」
「家庭の事情」
コイツには絶対に弱みは握られたくないから返事を濁す。ていうかクリパに出てもあんたのパートナーには絶対なってやらないから。
入門ゲートのある正門の向こうは道路を挟んですぐに駐車場となっており、車でのお迎えがある人はそこで車に乗って帰宅する。ちょっと歩いた先にはバス停もあって、交通の便はしっかりしている英学院。
学校に入場する際は入門ゲートにて学生カードを通さないと学校には入れない。部外者は厳重なセキュリティチェックをされてようやく入れるが、不審な人物は足止めを食らう場合がある。
「困ります! 保護者でもない方の入場はお断りしております!」
「駄目なの! 今話さないと、裁判はもうすぐなのだから!」
「おい、誰か警察呼べ!」
たまに学校に無理やり入ろうとする人がいるらしい。(目的は様々)だから門番の守衛さんはムキムキのお兄さんやおじさんばかり。元警察官だったり、元自衛官だったりの精鋭ぞろいらしい。だからめっちゃ強そう。ていうかそういう強い人じゃないと、この学校の門を任せられないらしい。
今もどこかのおばさん…白髪交じりで化粧っ気のない素朴な感じのおばさんが警備員のおじさんたちに止められていた。
誰かの親なのかな…? でもさっき保護者でもない人って守衛のお兄さんが…
生徒達はそのおばさんの必死の形相に怯えた様子で、それを遠巻きに眺めている。私もそのひとりであった。
だけど、そのおばさんが生徒をざっと目で見渡して、こちらに視線を向けた時…
私を見てハッとした。
何処からそんな力があるのかはわからない。守衛さんの腕を思いっきり振り払って、こちらへと駆け寄ってきた。おばさんのその足は
私にとっては知らない人だ。誰だこの人という驚きと、その人の異様な雰囲気に声が出ずに固まっていた。
「あなた。二階堂、エリカさんよね…?」
「……どなたですか…?」
「…
その名前を聞いた私は、瞳を限界まで見開いた。それと同時にバクンバクンとエリカちゃんの心臓が大きく跳ね始めた。
幾島要…それは世間一般では少年Xと呼ばれている、私を殺した少年の名前だったからだ。
何故犯人の母親がここにいるんだ。何をしに来たんだ…早く逃げなければ。
なのに足があの時のように地面に縫い付けられて動かない。その間も犯人の母親が肩を強く握ってくるものだから指が食い込んで痛い。
周りに沢山の人がいるのに、ここにいるのが私と犯人の母親だけのような錯覚がして、私は…
「母さんっ! 何してるんだ!」
私の意識を取り戻させたのは青年の怒鳴り声。1人の青年がおばさんの腕を掴み上げて、私を解放させた。
助けてくれたのか? …でも母さんて……
混乱してくらくらする頭のまま、私は上を見上げた。
そこにいたのは、私の初盆に線香を上げに来た人。そして少年Xを何歳か老けさせた青年。
それは頭ではわかっていた。
なのにその時の私には目の前にいるのが少年Xに見えてしまって、恐怖でへなへなと腰を抜かしてしまった。
…毎晩見る悪夢のように、また私を殺しに来たのかと私は恐怖に慄いていた。
「二階堂さん!?」
上杉も私同様、おばさんの乱入に固まっていたようだが、どさりと地面に座り込んだ私の異変に気づいて、私を助け起こそうとした。横から上杉の声が聞こえたが、奴が何て声を掛けているか理解する余裕がなかった。
今の私は目の前にいる男のことで頭がいっぱいだったから。
少年X…幾島要によく似た男が私を見ていた。
彼と目が合った瞬間、私の心に深く傷を残したあの記憶が濁流のように蘇った。
私の背中へ突き刺さる刃物。
あいつの狂った笑い声。
エリカちゃんの恐怖に引きつった表情。
背中の焼き付くような痛み。
…私が死んだ瞬間を。
「ああああああああああ!!!」
「!?」
「いやぁーっ! 来ないで! …人殺し!」
また私を殺しに来たのか。
やめろ、私をそんな目で見るな。何故そんな目で私を見るんだ…!!
あいつは困惑した顔で私を見下ろしていた。私を殺したくせに、のうのうと生きているあいつ。私はどうしてもそれが許せなかった。
「…私が何したっていうのよ! なんで私が殺されなきゃならないのよ!」
「二階堂さん!」
「何であんたが生きているのよ! 松戸笑が生きられなかった人生を返してよ!!」
私は、
私の中に押し殺していた憎悪という名の殺意が牙を剥いたのだ。やり場のない感情を初めて表で爆発させた私は周りのことなんて意識できなかった。
上杉の腕を振り払い、私はフラフラと立ち上がる。棒立ちして私を見ている相手に飛びついて胸ぐらを乱暴に掴み上げると相手を射抜くように睨みつけた。
「あんたなんか殺してやりたい…!」
「……」
私は今まで抑え込んでいた恐ろしい感情を思いっきり男にぶつけた。
本当に殺人なんて犯したいわけじゃない。…だけど、私のこの憎悪の感情は抑えきれない…!
青年は胸ぐらを掴まれた瞬間こそ驚いていたが、私の言葉にすべてを悟った表情をしていた。
その時にはわかっていた、この人が犯人の兄で、犯人本人じゃないってことは。だけど私のやり場のない怒りは加害者家族であるこの人に向かっていた。
「…構わないよ。それで君の気が済むなら」
「
…死すら怖くないという表情だ。
彼の顔をよく見たら顔色が悪いし、目の下のクマは色濃く残っている。それに頬もコケてしまっていて、ひどくやつれていた。
加害者の兄は、この世の何物にも未練がない、何もかも諦めきってしまった顔をしていた。…その目は虚ろだった。
何故簡単に命を投げ出せるのだ。私は腸が煮えくり返りそうになった。
この人の弟に私は人生を強制終了させられたのだ。自分勝手な犯行理由で私は死んだのだ。色んな物を失ってしまったのだ。夢も希望も命さえも。
この人を殺したとしても私は生き返らない。しかもエリカちゃんに罪を着せてしまうことになる。
…出来ないよ。
出来るわけがないのに…!
「……」
犯人の兄の胸ぐらを掴む手の力が抜けた。
どんなに憎んでも憎んでも、私の望みは叶わないし、余計に苦しくなるだけ。
ならばどうすればいいのだ。私のこの苦しみはどうしたら消えてなくなるのか。
「……インターハイに出たかったの。誠心のバレー部でようやくレギュラーになれたの。なのに! 全部、全部終わらされた…! 犯人が刑を負えたとしても被害者は生き返らない! …私の心は癒えないの! 憎む心は忘れられないの!」
「……そうだね」
「簡単に肯定しないでよ! あんたには何もわからないでしょう!」
「……なら、どうしたらいい?」
「え……」
ぽつりと呟かれた加害者の兄の問いかけに私は固まった。
彼は疲れ切った表情で自嘲していた。
「…どうしたら気が済む? どうすれば俺は加害者家族というだけで世間から憎まれることはなくなる? …俺の弟は確かに許されざる罪を犯した。…だけど俺は何もやっていない。なのに見ず知らずの人間から攻撃される! ……俺は、一体どうしたらいいんだ?」
「……」
彼の言っている事に涙が止まった。
加害者の兄ははらはらと涙を流していた。それを拭うこと無く、虚ろな瞳で私を見てきた。
「……もうなにをしても許されないんだ。俺は一生弟が犯した罪のせいで幸せにもなれずに、身を縮めて生きていくしか出来ない…!」
「充、大丈夫よこの子に訴えを引き下げてもらえば」
「母さんはいい加減に現実を見ろ! あいつは人殺しをしたんだ! 例えこの子が許しても世間は許しちゃくれない! 俺たちは死ぬまで一生、あいつの罪を背負っていかなければならないんだ!」
彼の悲痛な声が響き渡る。周りにいる生徒達は息を呑んで此方を見ているだけ。守衛さんすら固まっている。
私は先程まで感情的になっていたのに、彼の悲痛な訴えに少し頭が冷静になった。
冷静になったのは彼も同じのようだ。周りを見てバツの悪そうな表情で自分の顔を腕で乱暴に拭っていた。
「…母が悪かったね。…‥初公判の日、君は君の思うままに証言して欲しい。どんな判決が出ても俺はあいつの兄として全て受け止めるから」
「……」
「ねぇ充待って、まだ話は」
「帰るよ」
おばさんを少々乱暴に引き摺って正門を出ていく加害者兄。私は彼の覚悟を決めた目を見て、言葉を発することが出来なかった。
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