第33話 英雄の帰還Ⅰ

 ゼンザックたち先駆け部隊は、行軍中であった王国軍の正面より攻め入った。予期せぬ急襲に王国軍は慌てふためき、戦闘準備もできぬままにグルーモウンの騎兵を迎え撃つ。矢衾やぶすまを作り矢を繰り出す余裕も、槍衾やりぶすまを組んで突撃を押し留める余裕もなく右往左往する歩兵たちの中へ、次々と千騎の騎兵が切り込んでいく。

「総司令に遅れを取るな!」

「敵は浮足立っておるぞ! 進め進め!」

 逃げ惑う王国兵の悲鳴と怒号の中、騎兵を鼓舞する小隊指揮の声が響く。

 先駆け部隊の勢いは留まることを知らず、やがて隊列を喰い破り王国軍隊列の後方へと駆けぬける。王国軍の行軍は止まり、ゼンザックたちを包囲しようと展開した両翼の兵たちはその役目を果たせずに遊兵となった。

 後方へと抜けてしまえば、軍団を撹乱かくらんすることなどあまりにも容易たやすい。じき本隊が到着し、王国軍を包囲するだろう。それまで持ちこたえて撹乱を続ければいい。

 しかし最大の効果をあげるのはやはり、敵の総指揮官を叩くことだ。王国軍を率いているのは、かの黒騎士メラナイト・アルマンダイン。黒騎士を失うことは王国軍にとって指揮官を失うのみならず、大きな心の支えを失うことになる。そうなれば士気を保てるはずもなく、総崩れになるだろう。

 ゼンザックたちは、襲いくる歩兵、騎兵を蹴散らしながら、馬上から黒騎士の姿を探し続けていた。そしてついに、その姿を捉えるに至る。

 陣の後方中央付近に、その姿はあった。間違いようもない。巨体を覆う漆黒のよろい……二メートルを超える大剣クレイモアを掲げ、その瞳はじっとゼンザックを見すえていた。

「ゼンザック・トライアンフ!」

 黒騎士の叫び声が響き渡る。

「メラナイト・アンドラダイトの名において、貴様に決闘を申し込む! 尋常に勝負いたせ!」

 戦場の喧騒の中にあっても、よく響く声であった。

 ゼンザックの周囲を、仲間の騎兵が取り囲む。

「私をご指名のようですね……」

「受けるのですか、決闘を?」

「まさか。戦場であちらの流儀に、付き合ってやる必要もない……」

 副官がうなづき、部隊へ司令を伝達する。騎兵は再びくさび形の陣形をとり、突撃に備える。一千の騎兵が整い切るを待たず、ゼンザックは号令する。

「突撃!」

 黒騎士一人とればよい。一千も要らぬ、先頭の小隊だけで事足りる……。

「総司令! 我々が血路を開きます!」

 両側から十余騎の騎兵が剣を片手に駆け上がり、槍を構える歩兵の群へと切り込んでいく。その先にある、黒騎士の姿を見すえながら。先陣を切った騎兵たちが、次々と敵をなぎ倒す。黒騎士まで、あとわずか……。

 その時、戦場の空気が震えた。

 三人の騎兵が、黒騎士に襲いかからんとした瞬間だった。黒騎士の咆哮ほうこうとともに、大剣クレイモアが横薙ぎに振るわれていた。そこに居たはずの騎兵の姿が、ある者は胴を二つに割られ、ある者は馬ごと吹き飛ばされ、ゼンザックの眼前から消えていた。

「騎士の戦いを愚弄ぐろうする気か!」

 黒騎士の雄叫びが響く。続く騎兵が黒騎士の肩口へと槍の穂先を打ち込むが、黒騎士が返す剣で薙ぎ払う。

「化け物かよ……」

 思わず副官がつぶやく。

 正面から立ち向かっても、被害が広がるばかり……そう考えたゼンザックは、剣を鞘に収め短剣ダガーを握る。

「サポートを……」

 副官にそう告げると、ゼンザックは馬上で身をかがめて黒騎士の側方を駆け抜けるために速度を上げる。そうはさせぬと、黒騎士の大剣クレイモアがゼンザックを迎え撃つために振るわれるが、後に続く副官の剣が大剣クレイモアをはじき上げて防いだ。

 首尾よく大剣クレイモアの下をくぐったゼンザックは、すれ違いざまに黒騎士の軍馬へと飛び移る。予期せぬ出来事に恐慌をきたす軍馬の臀部に、ゼンザックは短剣ダガーを突き立てる。

 人間離れした豪腕を振るうのであれば、豪腕を封じてしまえば……そう、豪腕を振るえない状況を作り出してやればいい。

 暴れまわる軍馬をなだめようと必死に手綱を引く黒騎士の首筋に、ゼンザックが軍馬から引き抜いた短剣ダガーが沈み込ませていく。

「き、貴様! 卑怯だぞ!」

 鎧の隙間へと差し込まれた短剣だがーは、やがてその刀身の全てが首筋へと沈み込む。何とか背後のゼンザックを捉えようと藻掻もがく黒騎士は、バランスを失ってそのまま落馬していった。黒騎士の巨体が、地に落ちる音が周囲に響く。

 王国兵が呆気にとられる中、グルーモウン騎兵が声を上げながら駆け抜けていく。

「黒騎士を、黒騎士を討ち取ったぞ!」

 呆けていた兵が我に返り、一斉に逃げ出していく。何事かと遠巻きに様子をうかがっていた兵も、つられて逃亡を始める。

 この時すでに、グルーモウン軍の本隊が王国軍を包囲しつつあった。追い立てられた王国軍は、東側にある囲いの切れ目へと追い立てられていった。そして敗北を悟り自らが進んできた方角へと、散り散りに逃げ惑っていった。


     ◇


 挟撃地点に向けて南下する一万五千の王国軍の中に、金獅子トパゾライト・アンドラダイトの姿があった。今や国王となった先代の金獅子、ホーマック・ノウレッジより受け継いだ獅子剣ライオン・ハートが陽の光に輝く。その長剣ロング・ソードの柄には獅子をかたどった金の装飾が施され、猛々しさの中にも品格のある美しさを湛えている。

 王国騎士団では代々、団長を務める者が『金獅子』の二つ名と獅子剣ライオン・ハートを受け継ぐ。王の即位と同時に、トパゾライトは騎士団長を拝命した。そう、金獅子の名を継いて、そして獅子剣ライオン・ハートをたずさえるようになって、もう十二年にもなるだろうか……。十年戦争以降は大きな戦いもなく、自らが大軍を率いて出陣するのは久しぶりのことだ。

「辺境の反乱ごときに、騎士団の精鋭を送り込むとは……いやはや、国王陛下はよほどご立腹と見えますな」

 馬を並べて進むインディゴが、取って付けたような笑顔を浮かべて言った。

 騎士団長自らが率いる一万五千の軍団は、ビットレイニア王国軍の精鋭をそろえたものだ。今回は教皇庁より、僧兵団二五〇人も参加している。数こそ少ないが、こちらも精鋭中の精鋭、戦場においては一騎当千の働きを見せるはずだ。そして当然、南からこちらに向かっている一万五千の軍団もまた、王国最強の精鋭部隊だ。

「隣国のお歴々の前で面子を潰されたのだ……無理もなかろう」

 参謀として同行しているインディゴは、教皇庁より送り込まれてきた。元は暗殺者アサシンギルドの長であったはずだ……。このような得体のしれぬやからを軍に加えるのは承服しかねるが、あちらもまた面子を潰されているのだ……体面くらいは整えてやらねばならぬだろう。

「ところで、金獅子殿……」

 先ほどまでと打って変わって、真剣な面持ちでインディゴが呼びかける。

「黒騎士殿の一万と、反乱軍二万……戦闘に入ったようです」

「馬鹿な! 早すぎるではないか!」

 交戦までにはまだ、一時間以上の猶予があるはずだ。一時間後に戦闘に入り、足留めをしている隙に、南北から三万の兵で包囲する作戦なのだから……。

「しかも、反乱軍優勢とのこと」

「その情報、確かなのか!?」

「こう見えても情報の精度と速度には、自信がありましてね……」

 部隊の上空を低く旋回している鷹を、インディゴが見やる。

 その隣で、南の空を見上げながら金獅子が思案を巡らせる。

「加勢に駆けつけますか? 此処ここからだと、急げば一時間ほど……黒騎士殿の軍が数をへらしていたとしても、精鋭一万五千の援軍となれば、形勢逆転も可能かと……」

 インディゴの言葉に空を見上げる眼をきつく閉じ、金獅子は苦悶の表情を浮かべる。しばしの思案の後、やがて絞り出すように重々しくつぶやく。

「加勢には……行かぬ……」

「何故ですか! 黒騎士殿を、兄上をお見捨てになるのですか!?」

「……インディゴよ、大局を見誤ってはならぬ。この戦い、反乱軍の鎮圧こそが目的。であれば、南からの軍と合流を果たして兵力三万とし、反乱軍二万と相対する……これが上策だ」

「黒騎士殿には、犠牲になっていただく……と?」

「敵が速いというのであれば尚の事。加勢に駆けつけたところで、おそらく兄者の軍は全滅しておる。そこにはもう、反乱軍などおるまい。そうなれば、我が軍は二手に分断され、各個撃破される恐れすらある……そんな危険な橋は渡れぬ」

 馬上に揺られながら、インディゴが金獅子を見つめる。

「どうした、呆けた顔をして……」

「いえ、その、感服いたしました。この局面で、その判断がお出来になるとは……。てっきり、黒騎士殿の元へ駆けつけられるものだとばかり……」

「金獅子の名を、地に落とす訳にはいかぬのだ。苦々しいことではあるがな……」

 その言葉に、インディゴは南の空を仰ぎ見る。

 ゼンザックの奴、黒騎士相手に初手は巧く打ったようだが、此処からは簡単には行かぬだろう。金獅子は、なかなかに思慮深い。

 はてさて、ゼンザック。次はどんな一手を打ってくるのか……。インディゴは嬉しそうに唇の端をゆがめた。


(つづく)

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