第16話 魔女と暗殺者Ⅳ
朝日のまぶしさに目を醒ませば、ゼンザックは見知らぬベッドの上にいた。いや、正確には一度だけ見たことがあるベッドだ。魔女の寝首をかこうと、様子をうかがった寝室にあった。床には変わらず、いくつもの酒瓶が転がっている。
「気がついたか。動かぬ方が良いぞ。傷口が開く」
ベッド脇の椅子に座るドーが、書から顔を上げてゼンザックの様子をうかがう。
起き上がろうと力んだ途端、体中に激痛が走る。痛みを
「
体中がどうやら、右手と同じ状態のようだ。他の手足もまるで鉛の
「そうか、負けたのか……」
ゼンザックは、ようやく状況を理解した。ドーに襲いかかるも歯が立たず、そして一族の仇だと知らされて決闘を申し込んだ。そこから先のことは、激情に流されてしまいよく憶えていない。ただ
「なぜ助けた」
ゼンザックの問に、ドーはすぐには答えなかった。
「庵の前で死なれても、迷惑なのでな……」
そう言ってドーは、再び書へと視線を戻した。
思えば決闘の際、ドーは魔導を用いなかった。
「手を抜いたのか?」
「そうでもないぞ。手を抜く余裕などなかった。だからお前は、起き上がることすらできない体になっている」
書に視線を落としたまま、ドーがこたえる。
「殺せ……」
「そう言うな。命を粗末にするものじゃない」
「殺しておかないと、また命を狙う……」
「やりたいのなら、そうしろ。何度でも相手してやるよ」
それきりドーは口を開かず書を読みふけり、しばしの静寂が訪れた。
差し込む朝日が、やけに眩しい。目を細めて窓の外を見やれば、
「さて、飯にするか」
書を閉じ、ドーが立ち上がる。
「運んでやるから、お前も喰え」
「……要らない」
「喰わんと治らんぞ」
寝室を出ようと、ドーが戸口に立つ。そしてドアに手をかけ、背を向けたままゼンザックに問う。
「少しは、気が済んだか?」
問の意味を測りかねあっけにとられるゼンザックを残し、ドーは振り返らずに部屋を出て行った。
「顔、思い切り殴っただろ」
「殴っちゃいないさ。蹴り飛ばしただけだ」
千切ったパンを、ドーがゼンザックの口元へと運ぶ。
「仔犬に餌をやっているようで面白いな」
遠慮がちに開かれた口へ、ドーがパンをねじ込む。
満足に両手が使えないため、食事を助けられているのだが……命を狙った相手に介添されるなど、屈辱以外の何物でもない。
「ほら、
口元へ運ばれたスプーンから、ゼンザックがスープをすする。
「……あんた、料理下手だろ」
「なんだ、もう気づいたのか。味よりも
やけに塩っぱいスープを、さらに一口飲みくだす。
昨夜は激情に飲まれ考えが至らなかったが、冷静になってみれば疑問に感じることがある。ゼンザックは、ドーに問うたものか決めかねていた。しかし
「……なぁ、あんた。本当は仇じゃないんだろ?」
「ん? 何故そう思う」
スープを運ぶ手が止まり、ドーがスプーンを皿に戻す。
「魔導連合を率いていたのに、騎士同盟の粛清に関わってるのはおかしいし、粛清の頃あんた行方不明だったって……」
「ワタシは知っていたんだよ、恐怖政治が始まることをな。いや、恐怖政治なんぞ序章にすぎん。この先、もっと
ドーが視線を落としたまま、ゆっくりとスープをかき回す。不ぞろいに刻まれた具材が、ゆらゆらと皿の中を
「だからな、ワタシがお前の一族を殺したも同然なのだよ。知っていながら、防ぐことができなかったのだからな……」
ドーがゆっくりと顔を上げ、金色の
「お前に殺されてやっても良いのだがな、ワタシにはまだ成さねばならんことがある。代わりに、お前の気がすむまで相手してやる。殺したいのなら、いつでもかかってこい」
そう言うとドーは、また
独りで体を起こせるようになるまで、ドーはゼンザックのそばで過ごした。
床ずれとならぬように姿勢を入れかえ、日に三度は食事を与え、日に一度は包帯を取りかえ……ありとあらゆる世話を焼いた。交わす言葉は、ほとんどなかった。ドーは当たり前であるかのように世話をし、ゼンザックは当たり前であるかのように受け入れた。
三日目の夜、ゼンザックの姿勢を入れかえるため、ドーが少年の首の下へと自らの腕を滑らせる。体制を入れ替えようとしたとき、ゼンザックの手がドーの腕をつかんだ。
「なんで……なんでそこまで、できるんだよ」
窓から差し込む月明かりが、ゼンザックの泣き出しそうな表情を照らしていた。ドーは答えず、もう片方の手で少年の前髪をそっと
「命を狙った
にじむ涙はやがて目尻へとあふれ出し、ゼンザックはドーの腕にすがって
「泣く奴があるか……」
ドーはベッドへと身を任せ、ゼンザックを胸に抱く。
「ワタシがやりたいから、やっているだけだ。お前もやりたいようにやればよい」
久々に触れる人の
忘れようと努めたものが、ドーの胸に抱かれて一気によみがえった。ゼンザックは胸に熱く湧き上がる感情を、どう扱えば良いのかわからなかった。とめどなくあふれる感情を持てあまし、子供の様に泣きじゃくることしかできなかった。
いつしかゼンザックは、涙に濡れたままドーの腕の中で眠りに落ちていった。眠りながらも警戒をおこたらぬ
◇
話し終えて空を見あげてみれば、満天の星空が広がっていた。
膝の上でゼンザックの話に聴き入っていたヘレスチップが、そっと涙を流している。ドーは話の途中で先に寝ると言い出し、焚火の向こう側で背を向けていた。
「そのまま、ドーちゃんと暮らすようになったのかニャ?」
涙をふきながら、ヘレスチップがたずねる。
「任務を失敗して、おめおめとギルドに帰る訳にもいきませんし……どうしようかと思っているところに、ドー様が庵に住めばよいと」
ゼンザックが、
話の途中からヘレスチップに
「あれは、ヘレスチップ様だったのでしょ?」
「何がニャ?」
「血の粛清から、私を助け出してくださったのは……」
膝に抱かれたヘレスチップが、驚きの表情を浮かべて振り返りゼンザックを見上げる。
しばしの静寂。焚火の中で
「……え、いや、そ、それは、アタシじゃないって言うか、血の粛清なんて知らないって言うか、えーっと……」
しどろもどろに答えるヘレスチップの唇へ、ゼンザックが人差し指を添えて制する。
「ドー様から、口止めされていらっしゃるのでしょ? 表舞台から姿を消していたドー様に代わり、ヘレスチップ様が動いていらっしゃった……自分の身の上を振り返って、そう思い至りました」
ヘレスチップが、焚火へと視線を落とす。
「ドーちゃんもアタシも、
ゼンザックの指先が、再びヘレスチップの唇に触れて制する。
「感謝しているのですよ、私は。戦う
「ゼンちゃん……」
「さぁ、お話はお終いです。もう眠らないと……」
そう言うとゼンザックは
「今日は、一緒に寝てあげるニャ」
ヘレスチップが、ゼンザックの外套の中へ潜りこむ。
焚き火を囲んで眠る三人の上で、降るようにきらめく星明りが
(つづく)
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