第Ⅰ章 隠遁の魔女
第01話 魔女と執事Ⅰ
木々に囲まれた森の中では、朝の訪れが遅い。ウェイの森の奥深く、隠れるように
庵の一室、ベッドに眠る女性を、朝の柔らかな日差しが照らす。眩しさに目覚め
「ドー様、そろそろお目ざめを」
ドア越しにドーと呼ばれた女性が、声の主に背を向けるように寝がえりをうつ。
「もう少し寝かせてくれ、ゼンザック。昨夜は、調べ物で遅かったんだ」
ゼンザックと呼ばれた男はドアの向こうで大きく溜息をつくと、「入りますよ」そう言って寝室のドアを開けた。
「相変わらず、行儀がお悪いことで……」
シーツからは、ドーの褐色の両脚がはみ出していた。その足元には、昨日の着衣がまるで脱皮殻のように丸まっている。おそらくベッドの中で着替えたのであろう。上着などは、シーツに巻き込んでその身に抱きながら眠っている始末である。
「昨夜は、書庫にこもって異世界の禁書を解読……ですか?」
「よく知ってるじゃないか……。だから眠い。寝る」
眠いと言う割には、やけにはっきりとした物言い。いつもと変わらぬやり取りに、ゼンザックはまたもや溜息をもらす。
「起きる気はない……と?」
「くどい。起きぬ。寝る」
「仕方ありません。では、申し上げましょう……」
「内緒にしておりましたが私、少し前に
ドーが言葉の意味を理解するまで、しばしの静寂が訪れる。
「おまえ! まさか入ったのか!? 書庫に!!」
怒声とも悲鳴ともつかぬ大声をあげてドーが飛びおきると、まとっていたシーツがはだけ一糸まとわぬ褐色の上体があらわになった。窓から差しこむ朝日が、形の良い乳房を照らす。ゼンザックはすかさず、ドーの豊満な胸から目をそらした。
「ドー様。またそのような格好でお休みになって……はしたない」
言われてドーは着衣していないことに気づいたが、慌てる風もなく面倒事であるかのようにその身にシーツをまとう。
「寝間着を着るのが面倒で、そのまま寝てしまったようだな……」
ゼンザックは右手をこめかみに添え、溜息をつきながら大げさに首を振ってみせた。
ドーが不用意に裸体をさらすのは、今日に始まったことではない。異性として意識されていないのだろうと、ゼンザックは思う。それは
「そんな事よりゼンザック! 書庫に入ったのか!?」
問われてゼンザックの口元が、意味ありげにゆがむ。
「いやはや、まさかドー様が、あのようなご趣味をお持ちとは……」
両手を広げて、大げさに肩をすくめてみせる。
「ちょ! おま! 書庫で何を見た!?」
「何を見たと言われましても、書を数冊……」
「禁呪を記した書だろう? そうだろう? そうだと言ってくれ!」
「そのように大それた物は、見ておりません」
再び口元をゆがめ、ゼンザックが言葉を続ける。
「やけに薄い書が並ぶ棚を、のぞき見た程度でして……」
言われて、ドーの顔から血の気が引く。
「み、見たのか? あの異世界の書を!?」
「はい」
「まさか……いや……そんな……」
見られた? あの書を!? 思わず声が震えてしまう。
「夜を徹して、男性同士の
ドーの悲鳴が寝室の、いや森の静寂を切りさく。
「ぎゃー! わかった! 起きる! 起きるから、それ以上は言うな!!」
ベッドの上でのた打ち回るドーに、ゼンザックが微笑む。
「では、朝食が冷めぬうちに、広間へお越しくださいませ」
そう言うと深々と頭を下げ、ゼンザックは寝室をあとにした。
「お茶はいかがですか?」
空になった食器を下げながら、ゼンザックがたずねる。
「もらおうか」
ゼンザックには言っていないが、朝から妙な胸騒ぎがする。残念なことに、魔女の予感は当たる。往々にして、良くないことが起こる。
「私の顔に、何か付いておりますか?」
「いや、おまえも
「今でも、少年の心を忘れていないつもりですが?」
「ほざけ。あのような起こし方をする奴が、少年などであるものか」
ヒューマンの子は、すぐに大きくなる。そしてすぐに歳をとって
自分でも意外な事なのだが、ゼンザックと過ごすこの
「ドー様は、お変わりになりませんね」
「エルフは、お前たちの四倍は生きるからな。歳をとるのもゆっくりさ」
カップを供しポットから紅茶を注ぐと、華やかな香が広がる。
「ドー様、お
「死にたくなければ、歳の話はするな。いいな」
カップを手に取り、紅茶の香を楽しみながらドーが応える。
「振られた話を、返したまでですが……」
理不尽に思いながらも、ゼンザックはそれ以上の言葉を飲み込んだ。歳の話題にふれ続けると痛い目をみる……ここの生活で学んだことだ。
「それと、異世界の書は忘れろ。いいな」
「それは、できかねます」
「なぜだ?」
「ドー様が
「ぐぬぬ……」
「それに、漫画という書物、なかなか興味ぶかい」
「ゼンザック。おまえ、まさか……」
ドーは期待に瞳をかがやかせ、椅子から立ちあがる。
「勘違いなさらないでください。男色にめざめた訳ではございません」
「チッ……」
広間中に響く程の舌うちをしたかと思うと、椅子へと身を投げだした。
「絵で記すとは斬新でございますね。実に興味ぶかい……」
「分かった、分かった。好きに読め」
「良いのですか!?」
「ただし、薄い書はだめだ。あれはワタシのものだ」
薄い書はいらない……そう思いながらも、ゼンザックは再び言葉を飲みこんだ。
「しかし、あの量の禁書を、どうやって手に入れたのですか」
問われてドーは、言いよどむ。
「十年ほど前に、異世界でちょっとな……」
「行ってらっしゃったんですか!?」
「行っていたと言うか、何というか……まぁ、そのときの土産だよ」
応えてドーは、紅茶のカップへと視線を落とす。何か、伝えづらいことなのだろうと察し、ゼンザックは話題を変える。
「さぁ、ドー様。今日はウェイの街へ買い出しに行く日ですよ」
「あぁ、そうだったか……」
「朝食がお済みになったのでしたら、早くご準備を」
急かされてドーは、身支度のために寝室へと戻る。ますます大きくなる胸騒ぎを、杞憂であってくれと願いながら。
(つづく)
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