3 - 2 嫌なことばかり

第4話 おちょくって踊らされる

 イライラすると喫煙してしまうのは変わらない。

 昼の休憩時間、飯を食べ終えて喫煙室でフィルターを噛みながらスマホの画面に釘付けになる。

 今日は金曜で、ほんとうなら明日は姫野がうちに来るはずだった。でも今その約束が反故にされた。


『ごめん、ちょっと忙しくて疲れてる』


 言い訳のそんなメッセージが躍る。なんて返事をしようか、相当悩む。がしがしと髪の毛に手を入れて掻き乱しため息をついた。紫煙が勢いよく吐き出されていく。


「……」


 ここで俺が無理や文句を言えばきっとまた喧嘩になる。顔の見えないところで喧嘩をすると、尾を引く。そうなると俺はなすすべもなく、まあでも結局しばらく無視されたあとで姫野がけろりと連絡を入れてくるのだけど、とにかく、それは避けたい。

 でも、ここで、あっそ、とか突き放すのもガキくさい。

 既読をつけてしまったのであまり悩むのも向こうに変な勘繰りをされてしまいそうで嫌なのだが、返信に悩む。と、喫煙室のドアが開いた。


「……お疲れ様です、主任」


 煙草を吸うタイプには見えない男が箱を片手に俺のほうに近づいてくる。眼鏡を押し上げて、その冷たい瞳を尖らせた。

 商品開発部の主任。配属先が決まった当初は、取っつきにくそうだしパワハラかましてきそうな上司だな、という印象だったし、取っつきにくそうだという気持ちは少し経った今も変わらないが、新人の中でも俺は面白いとか言われて、目をかけてもらっている。


「主任って煙草吸うんですね……」

「たしなむ程度だ」


 そのままなんとなく、ふたりで並んで煙草をぷかぷかしながら、俺は片手に持ったスマホの画面を睨む。疲れていても顔が見たいと思っているのは俺だけだ、という事実に、余計イライラしてくる。


「どうした、怖い顔して」

「……いや、あの」


 主任が、親の仇のように画面を睨んでいる俺に問いかける。画面と主任を交互に見比べて、あー、と間延びした声を出す。

 私生活に干渉しようという気持ちでないことは間違いない。が、こんなことを相談するのはちょっとな、と思いつつも口を開いてしまう。


「……彼女が、疲れてるから会いたくないとか言ってきて、女ってそういうもんかって思って……」

「……かのじょ」


 主任は既婚者で、奥さんのほうも働いているそうだ。そういうときって、もちろん奥さんのほうが疲れている日もあるだろう。夫婦生活はどういうふうになっているのか、興味はある。


「……人それぞれだろ」

「まあ、ですよね……。主任の奥様は、疲れてるときとか、なんか言ってきます?」

「……妻は……、あまり言わない、な。ただなんとなく顔色で分かるし、そういうときは干渉しないようにしている。向こうもいろいろあるだろうし、夫婦と言ってももとは他人だ」

「……なるほど」


 夫婦が他人なら恋人はもっと他人だ。

 干渉しない。そこまでは俺の建前と同意見なので、どう返事をすればいいものか悩む。とりあえず、分かった、とだけ簡単に返して、フォローはあとあと考えることにした。

 フォローというのはつまり、分かった、だけでは冷たい気がしたのと、疲れているとわざわざ姫野が言うのならたぶんほんとうに疲れているのだろうことがうかがえるので、一拍置ける文字上でだけなら優しくなれそうな気がしたのだ。


「……変なこと聞いて、すいません」

「いや。どうだ、仕事は慣れたか」

「あ、はい。だいぶ」


 お互い、一本煙草を吸う間に短い世間話をして、仕事場に戻る。

 仕事を前にしながら、なんで俺はこんなに物分かりのいいふりを演じているのだと悩む。姫野が「会いたくない」と言うのなら、俺だって「会いたい」と言っていいはずなのに。

 分かっている、そんなみっともない縋るような真似はプライドが許さないこと。

 結局、分かった、と返信したあと仕事が終わるまでスマホを手にするタイミングがなく、姫野がそれにいつ既読をつけたのかは分からなかった。ただ、帰りの電車の時点では既読がついていて、返信はなかった。

 疲れた身体を揺すられながら、電車を降りる。家に着いて靴を脱ぎ、スーツをハンガーにかけてネクタイを緩める。ワイシャツの袖をまくって、キッチンに立った。

 前に姫野が母親面して忠告したにも関わらず、俺の食生活は学生の頃から何ひとつ変わっていない。常備されているカップ麺に湯をそそぎ、手早く着替えて三分待たずに食べ始める。

 食べながら、片手間にスマホを操作して姫野へのフォローを考えた。


「……」


 来週はどう、とか送るのも気が引けたけど、この文言は、来週の予定を決めるだけでなく俺は会いたいんだぞというニュアンスを含んだ大事なものだ。数秒悩んで、それを送信する。

 なんだかこうなると、俺ばかりが会いたいみたいで情けなくなる。いや、別に、会いたいというわけではなく、会おうと約束していたのをいきなり破られるとこちらの自尊心がだな……。

 悔しくなって取り消そうとする前に既読がついてしまった。くそ。スープをすすっているうちに、姫野から返信が届いた。


『ごめん。来週は新歓があって』


 言葉が申し訳なさそうな表情もなく、ただ表示されている。


「……は?」


 声を上げると同時に、俺は、は? と即座に送り返していた。

 ちょっと待てよ、と思う。俺は何も考えずに電話のマークをタップしていた。


『もしもし』

「おまえ、なんで今週疲れてるとかで会えねーくせに来週は新歓って」

『なんで、って……新歓は私ひとりの予定じゃないからずらせないもの』

「だったら今週は会っとけよ!」

『って言われても……今週ほんとうにハードで……あと、復習もしなくちゃいけないし……』


 久しぶりにこの理不尽さにぶちっといきそうだ。感情に任せて口汚い言葉を怒鳴り散らしそうになったのを、寸前でぐぐっとこらえて、それでも低い声で吐き出す。


「おまえいい加減にしろよ……」

『……じゃあ、会う?』

「いーよ。もういい。勝手にしろ」

『あ、そう。じゃあ勝手にする』


 電話は切れた。無音のスマホを耳に当てたまま、俺は怒りに燃えていた。

 じゃあ、会う? ってなんだよ。

 ほんとうにあいつはいい加減にしろ、調子に乗りすぎだ。俺をおちょくっているのかとすら思う。

 スマホをベッドに投げつける。スプリングで跳ねたスマホが、勢い余って壁に当たって鈍い音を立てた。それを眺めながら、シャワー浴びよう、と唐突に思う。

 髪の毛に指を入れて掻き回しながら、深々と息を吐き出す。

 じゃあ、会う? その響きは、なんだか俺がわがままを言ったのをしぶしぶ聞いているかのようで、まるで姫野は会いたくないかのような、俺ばかりが会いたいと望んでいるような、不穏な響きだ。

 別に、別にそこまで会いたいとも思っていないけど。どうせ顔を合わせれば二言目には喧嘩が始まってしまうような不毛な関係なのだから、会わないほうがいいのかもしれないし。

 大学生の頃は、会う会わない以前に学校に行けば、または部室に行けばだいたい顔を合わせていて。就活中はさすがにそんなことはなかったかもしれないけど、俺も姫野もわりと早めに就活を終えたから、そのあとは、お察しだ。

 だから、こんなふうに、会おうと思わないと会えない状況というのは初めてで、姫野とどのくらいの距離感でいればいいのか分からないで戸惑っているのはある。どのくらいの頻度で会うのが適切なのか、今はそれを測る時期なのかもしれない。

 だからと言って約束を反故にしたり、ああいう態度を取っていいのかとなると話は別である。

 姫野の癖に生意気だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます