聖者の口にお茶漬けパスタ

「いらない」

「は?」

「いらないわ」


 つんとした態度で姫野がいらないと言う。眉間に縦皺が寄りそうになったのを堪えられずに、俺はそのまま疑問を口にした。


「なんで」

「だって……えっと……」


 なんだか煮え切らない態度である。姫野がうろうろと言葉を探して迷っているのをせっつくように顔をしかめると、諦めたようにこうべを垂れた。


「正直に言うわね」

「お、おう」


 嫌な予感が胸を突き抜ける。あんまりいいことを言われないのがそのしぐさで分かるし、俺にとってもあまりプラスでないことを言われる気がしたのだ。姫野がため息をつく。


「お金ないの」


 …………。


「…………は?」


 何を言っているんだこいつは?


「柊くんに何かもらって、自分も何か、っていうお金がないのよ」

「え? どういう意味?」

「文字通りの意味よ。今月いろいろ物入りで厳しいの」


 想定外の答えに、あっけにとられてしばし黙り込んでいると、姫野が重ねて言葉を紡ぐ。


「親から借りられないこともないけど、そんなの悔しいし、なんか自分のお金じゃないっていうのが嫌だし」

「ちょっと待て」

「何?」

「それと俺がプレゼント買うのとはなんも関係なくね?」

「あるわよ。柊くんにもらって自分は何も贈らないって変でしょ」


 少し考える。確かに。

 お返しを期待していたわけではないが、こういう場合に片方だけがプレゼントするというのは少し滑稽だ。姫野なら、その滑稽さを敏感に感じ取るだろうということも分かる。そこが姫野が姫野であるゆえんだ。

 頬を指で掻いて、どうしようかと思い悩む。俺は完全にプレゼントを選ぶ予定だったので、それをしないとなると過ごし方が分からない。


「……じゃあ、当日何する?」

「え?」

「いつも通りだと、嫌なんじゃねーの?」

「……」


 ぱちぱちっと姫野がまばたきして、それから目を逸らす。なんだその顔は。


「い、いつも通りでいいわよ……」

「全然いいって顔してねーだろ」

「……」


 もう今更言及するまでもないが一応言っておく。姫野はふつうのカップルがするようなことが大好きだ。だからもちろんクリスマスだって、特別なものにしたいという気持ちがだだ漏れである。

 相手が俺である時点でそれは叶わぬ夢であることを理解してほしいものだが、俺だって一応譲歩はしているわけである。


「だって……柊くんは、ふつうでいいでしょ」

「そーだな。正直いつも通り飯食ってヤれればいいかな」

「ちょっと!」


 オブラートに包むべきだった言葉尻を姫野がしっかり拾って抗議する。テーブルにドリンクのカップを叩きつけてこちらを睨みつけてくる姫野に、うんざりしながらも一応言う。


「言葉のあやだろ。どうせヤるんだし」

「身もふたもないこと言わないで!」


 フォローのつもりが更に焚きつけたらしい。どうにも、言葉の選び方というものが俺はなっていないようだ。


「そんなの今どーだっていいだろ。で、結局どうすんの」

「それは……」


 正直なところ、俺と姫野でクリスマスにはっちゃけるなんて、お笑いもいいところだ。全然想像もできないし、ロマンチックなんてきっと程遠い。たぶん、姫野もそう思っている。

 それとももしかして俺に遠慮しているだけで、姫野は俺相手でもそういうことがしたいんだろうか。

 ついていた頬杖を解いて腕を組み、じっと姫野を見つめる。


「な、何?」

「いや……ブスだな……」

「何なの!」


 ヒステリックに姫野がわめく。しかしほんとうにブスだ。スタイルとセンスのよさが余計に光るくらいにはブスだ。


「……神様って不公平だな」

「もういい」

「は?」

「柊くんとクリスマスは過ごしません」

「はあ? ちょっと待てよ」

「待たない。じゃあね」


 さっさと姫野が立ち上がり、荷物を手早くまとめて立ち去る。それを慌てて追いかけるも、姫野にぎろりと睨まれてなんだかこちらも腹が立って、追いすがるのが馬鹿みたいになる。

 ドリンクのカップをゴミ箱に捨てて、俺はひとりで店を後にする。煙草吸いたい、と思いながら喫煙スペースを探して街に出る。

 喫煙所でぷかぷかと吹かしながらだんだんと落ち着いてきて、やはり追いかければよかった、そんな後悔が今更沸き起こる。

 クリスマスだからと言ってはしゃぐわけじゃないけれど、先ほどのことは俺が悪かったし、このままにしておいてはクリスマスを姫野と一緒に過ごせない。

 かと言って。

 追いかけたところで俺が素直に謝れるわけじゃないことくらい分かり切っている。それは時間を置けば尚更で、このあと俺が電話なりメッセージなりで謝れるはずがないのだ。

 直接会える機会は残り少ない授業の日しかないが、人のいる場所でまたケンカになるのは避けたい。


「……」


 なんか、もういいかな。

 そんな思いがじわじわと胸を浸蝕し始める。

 先にも述べた通り、俺はクリスマスだからって特別なことがしたいわけではない。と言うよりも宗教イベントにかこつけて大騒ぎするのは好きじゃない。

 相手の誕生日ならいざ知らず、言ってしまえば見ず知らずの真っ赤な他人の誕生日なのだ、クリスマスというものは。その見ず知らずの相手を信仰しているなら話は別だが、していないのにめでたいとか言う奴の気が知れない。

 キリスト教信者でもないくせにいったい何がめでたいのか、三文字以内で述べてみろというものである。

 フィルターを噛む。なんだか気分が悪くなってきて、それを灰皿に押し付けてもう一本に手を伸ばす。考えれば考えるほど、クリスマスに姫野と会う必要性がなくなってきてしまった。

 俺はそれでいい。ただ、姫野はそうはいかないのだ。

 ふつうのカップルみたいなことに憧れているあいつにとってクリスマスというものは大事なイベントで、その希望を叶えないとなったら俺が男としていろいろと駄目で終わっているように感じる。

 ぐるぐる考えて、結局舌打ちになる。俺はどうすればいいって言うんだ。




 そしてクリスマス前日の夜。つまりイブ。俺はなぜかとあるアパートの一室のドアの前に立っているのである。

 女々しすぎて自分を殴りたい。ため息をついて、チャイムを鳴らす。


「はい?」

「開けろ」

「……」


 ドアチェーンの向こうから顔を覗かせている姫野が、いやいやといったふうにドアを開けた。


「どうぞ」


 つんとした態度に、まだ怒ってんのかよ、とうんざりする。ため息をつくと睨まれた。


「なんだよ」

「別に。何にも」


 明らかに別に何もという態度ではない。しかしそこをほじくり返すと先日の二の舞になってしまうのは容易に想像がつくので、流すことにする。


「姫野」

「どうしたの? 上がらないの?」


 玄関先から動かない俺に、姫野が声をかける。靴を脱がないでその場に立ち尽くす俺は、数秒悩んで結局口に出す。


「飯、食いに行こ」

「はあ?」

「だから、飯」


 はあ? と素っ頓狂な声を出した姫野に、イライラしてくる。煙草が吸いたい。

 よく見れば姫野はすっぴんで、とても今すぐ出かけられるような格好はしていなかった。当たり前と言えばそうだが。


「化粧して、着替えろ」

「……クリスマスは柊くんと過ごさないって言ったでしょ」

「三十分以内に準備しろ」

「聞いてる?」

「あ……おまえ三十分じゃ化粧できねーんだっけ?」

「ちょっと」


 ちょっとそこまで、な適当な化粧ならいざ知らず、きちんと街に出るような化粧は時間がかかるんだろうか。と言うかあの顔にどう三十分かけるんだよ。

 とりあえず、それなりに時間がかかることを見越して、玄関に立ちっぱなしはだるいので上がることにする。ベッドに腰掛けると、姫野はむすっとした顔で言う。


「化粧しない」

「なんで」

「だから……」

「おまえが出かけたいかどうかはまったく関係ない。俺が外で飯食いたい」

「自己中にもほどがあるんじゃない?」

「知ってる。はやく化粧しろ」


 ひくりと姫野の口角が引きつる。ぴくぴくと、必死で取り繕おうとまぶたが痙攣しているのがけっこうおもしろくて笑うと、ますますへそを曲げたようだ。


「絶対化粧しない」


 俺の座ったベッドに乗り上げて、壁に背を預けてクッションを抱え俺から距離を取る。ここで怒ったりイライラを爆発させたら俺の負けだ。

 ただ、もういいやという気持ちにもなった。姫野の顔を見てしまえば、俺としてはもうよかったのだ。

 姫野が行きたくないって言うならそれでいいし、俺はどちらでも全然かまわなかったし。


「じゃあ、行くのやめる?」

「え……」


 それはそれで嫌ってか。ほんとうに素直じゃないにもほどがある。

 俺があっさり諦めたのが不満なのか、唇を尖らせてこちらをじっと見つめてくる。その表情は決して可愛くないしブスなんだけれど、何かこみ上げるものを無視はできなかった。

 ベッドが俺の重みで沈む。姫野と一気に距離を詰めて、そのすっぴんの頬に触れた。

 そうっと顔を上げた姫野の向こう側の壁にもう片方の手をついて、閉じ込める。そのまま、顔を近づけると抵抗されない。ゆっくりと重ねて吸いつくと、姫野の細い手が俺の肩のあたりに触れた。

 怒っているわけじゃないんだな、そう認識して、頬に触れていた手でその嘘みたいに細い手首を握り締めた。何度か角度を変えて吸い上げて、舌を絡める。

 いつまでも、らしくなく受け身だよな、とか思いつつ名残惜しくも顔を離すと、姫野がぼんやりと印象の薄いまなじりに涙を滲ませてこちらを睨んでいる。


「何?」

「私まだ許したわけじゃないんだけど」

「……この期に及んでそれ言うか?」

「うるさい、ばか」

「調子乗んなよ」


 馬鹿と言われるとどうしても反抗的な気持ちになる。さっきよりも乱暴に唇を押しつけて、そのまま服の隙間から手を忍ばせる。弱い抵抗をもう片方の手で押さえつけ、組み敷いた。


「言ったろ、俺は飯食ってヤれればいいんだって」

「まだご飯食べてないのに」

「順番はどっちでもいい」


 吐き捨ててその身体にむしゃぶりつく。後頭部をグーで殴られたらしく鈍い痛みが走るが、無視して手を進めた。

 結局、姫野の望むクリスマスになんかならなかったし、俺にとっても何だか不本意な結果となってしまいはしたのだが、俺のシャツを着てぶすっとした顔で即席のお茶漬けパスタを食べる姫野はぽつりと言う。


「ちょっとだけ。柊くんが今日来てくれたのは、ちょっとだけうれしかった」

「なんか変なもん食ったか」

「もういいわよ! ちょっとだけ思った私が馬鹿みたいじゃない!」


 顔を真っ赤にして怒る姫野に、俺は動揺を隠して無表情を貫くのが精一杯だった。

 クリスマスで街はきっと浮かれている。

 どこもかしこも、カップルや家族連れであふれていて、こんなふうに二人して適当に身づくろいしただけの姿で麺を茹でてお茶漬けの素を振りかけただけのパスタを食ってる恋人たちなんか、俺たちくらいなものだろう。

 けれど結局、クリスマスだからって会いに来てしまった俺がそれこそ馬鹿なんだろうな。姫野の思うつぼ……であるかどうかはともかくとして、だ。

 やられた。そんな気持ちになるのは、どうしても抑えきれなかった。でも、このお茶漬けパスタは正直なところ美味いから、勘弁してやらないでもない。

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