第130話 人と化け物

 水の都ジュプノから信仰都市ラムステリスまでは馬車で数日の距離だ。ラムステリスの入り口の商人ギルドで馬車を預け、今度は自分たちで宿を取ると、さっそくメネウたちは町で一番大きな教会へと向かった。


 気軽に遊びに来い、と言われていたのだから、顔を出さないのも失礼である。


 それにしても、この教会にはシスターや神父などは居ないのだろうか。神が顕現したとなったら大騒ぎになるんじゃないのか、とメネウは訝しみながら教会のドアを開けた。


「……セケル?」


 高い天井の講堂の壇の上に、呼びかけるとセケルが顕現した。と、今日はそれと同時にもう一柱、神様が降りてきた。


 ホルスではない。女神である。


 奥へと進んだメネウたちは、その女神の美しさに暫し惚ける事になった。あのラルフでさえだ。


 鴉の濡羽色の長い髪に、眦に濃い青を掃いている。装飾のついた白いドレスの裾は床に落ちてそのまま広がり、一輪の大輪の花のようだった。


「こんにちは、メネウさん。こちらバステトです。アルカッツェは彼女がこの世界にもたらした見張り役で、今日は彼女から報告があるとの事で一緒に来てもらいました」


「いつも楽しませてもらってるわ、メネウ、皆さん。はじめまして、私はバステト。よろしくね。さ、みんな座って、話をしましょう」


 バステトとセケルは何処からか出てきた椅子に、メネウたちは講堂の椅子に並んで腰掛けた。今日もまた目の前にお菓子が山と積まれる。やはり餌付けされている気もしなくもない。


 田舎の婆ちゃんの家に行ったら次々お菓子や煮物が出てくる、そんな感じだ。


 今日も美味しそうなマカロンを一つ摘みながら、メネウはバステトに向かって訊ねた。


「アルカッツェって魔物じゃなかったの?」


「魔物、とはなっているけど私の眷属なの。だけどこれは大々的に世の人に知られていないし、知られてはいけない事。見張り役だから……、適度に人との距離を保ちながらずっと世界に目を光らせているわ」


 近寄ってきて擦り寄りいざこちらから手を出そうとすると引っ掻いてくるのは適度な距離と言えるのだろうか。とはいえ、神の眷属としてのプライドをそんな細やかな事で満たしているのだとしたら可愛いものである。


「この世界に遍く存在するスカラベは人の役に立っているわ。だけどアルカッツェはそういう役割では無いの。人の為じゃなく……いわば私の目としてこの世界に存在しているのよ。……そして、数週間前からある一箇所のアルカッツェが大量に殺されているわ」


 洋菓子に夢中になっていたラルフが手を止めた。口に入っていたものを飲み込んでから口を開く。


「それは……もしや、エル・ドラドでの事か……?」


「察しが早くて助かるわ、色男さん。そうなのよ、もう皆知ってる事だから言うけれど、アペプはエル・ドラドにいて、そして今『私たちに見られては困る』ことをしているわ。それがいい事なのか悪い事なのか、私には判断できない。どう? この世界で旅をしているあなたたちが肌で感じている事はない?」


 メネウたちは目を見合わせた。肌で感じている異常……、戦争の種を撒いていること。違法魔法薬の蔓延。そして、風の一家という組織の動き。


 皆が同じ答えに行きついている事を察して、メネウが代表して告げた。


「まずは戦争を起こそうとした事。それにも使われてたけど、違法魔法薬がどうやら蔓延してること。これは全部、風の一家って裏社会を取り仕切っている組織が関係してる。……付け加えるなら、風の一家は不遇職と呼ばれる仕事にあぶれた人を戦力として囲ってもいるみたい」


 メネウの回答にバステトは少し悩む素振りを見せた。長く装飾された爪で顎を数度叩き、ふぅとため息を吐く。


「困ったわね……、死者の書は間に合うかしら。思ったよりアペプの動きは早いわ。戦争を貴方が途中で止めてくれたから助かったけれど、いつどこの国がまた唆されてもおかしくないわね」


「そんなに戦争は不味い?」


「大量のサンプルが取れる、それを元に違法魔法薬の精度が高くなる。アペプの狙いがそこにあるとしたら、不味いわね。監視役を殺しているのも、もしかしたら実用段階に入ってしまったかもしれないからだわ」


「な、何の実用段階ですか……?」


 違法魔法薬について解析をしたトットが恐る恐る訊ねる。


 バステトはセケルと視線を交わすと、メネウたちに目を向けた。


「自力での飛行……空を飛ぶ手段を得ている可能性があるわ」


「そして天空樹は空にあります」


 竜も精霊も自分に従わない、ならば、自分の体を改造して飛べるようになればいい……?


「もしかして、アペプは最初からそれを見越して……?」


「えぇ、違法魔法薬を精製していたのでしょうね」


「彼は権能を持ち出した代わりに、魔法は使えません。ですから天空樹に接触できる高度まではまだ至ってないと思います」


 ラルフとトットは思い出していた。あの石櫃の部屋にあった歪な死体の数々。とてもじゃないが、あの段階から空を飛ぶ肉体を得るまでにはもう数年は研究が必要に思えた。


 モフセンがお茶を飲んでから飄々と告げた。


「あの戦場におった者でそういった特徴を示していた者はおらんかったの。主にちょっとした身体強化とその反動で動けなくなった、程度じゃと思ったが」


「そうだね、俺が治療した人たちの中にも奇形になってる人は居なかったと思う」


「あの魔法薬は人体構造を作り替えます、メネウさんの回復魔法では治りません。だから、使われていなかった可能性は高いです」


「いや……」


 メネウとトットが続いたが、ラルフがある事を思い出して口を挟んだ。


「戦争は隠れ蓑だった可能性が、ある。メネウ、道中で奴隷商と戦った事を覚えているか?」


「……魔物で実験してるって事?」


「そうだ。しかも召喚術師が召喚した魔物で、だ。それならば検体は幾らでも手に入る、召喚術師の腕が良ければな」


 召喚獣は召喚術師が肉体の複製を作りそこに意思を呼び出して使役する魔法だ。


 確かに、これならば魔物本体に影響無く複製の体を好き勝手にいじれる。失敗したら召喚し直せばいい。


 エリーを送る道中、やりあった召喚術師の魔物は異常に強かった。


「それだわ。実験の方法を変えたのね。だから目を潰してきたんだわ」


「なんでわざわざ? 今まで散々大っぴらにやってたのに……今だって、別に違法魔法薬は流通してるよ」


 バステトはメネウの疑問に口を開きかけて、閉じた。そして少し考えると、セケルの方へ目を向けた。


 それを受けてセケルは少し困ったように目を逸らし、それからメネウへと視線を戻した。


「メネウさん、貴方の身体は23年前に私がこの世界へ遺伝情報を持ち込み元素から形成しました」


「知ってる。そう言ってたし、それは分かる」


「アペプは貴方と同じ身体を持っています」


「……? うん、知ってる」


「つまり……貴方とアペプの身体は人より精霊や魔物に近いんです」


 メネウは、ガン、と頭を殴られたような気分だった。


(え、何、じゃあ俺人間じゃないの?)


 口に出そうになった言葉を飲み込む。


 確かにステータスは化け物じみている。特に魔力だ、これがでたらめな事位は百も承知だった。


 それでも人の営みの中で人として成長していく、そう思って色々と頑張ってきたのに、人間では、無い?


「誤解しないでくださいね、貴方は人間です。構造の問題として、アペプは魔物での実験の方が遥かに自分の体に適していると知った、それだけです」


「ごめん、セケル……それは、素直に聞き入れられない。だって……アペプと俺は同じ遺伝子で同じく元素から生まれてる」


「……それでも、貴方は人間です。今日はこのくらいにしましょう、やがて神父やシスターがやって来ますので」


「ごめんなさい、メネウ。貴方を混乱させたかったわけじゃないの。貴方は貴方の人生を生きてちょうだい」


 神二柱はそう言って姿を消した。


 両手で顔を覆ったまま動かないメネウの肩に、ラルフが手を置く。ビクッと体が跳ねた。


「……ごめん、皆。先に帰ってて」


 足が震える。まだ立ち上がれそうに無い。


 メネウの様子に誰も何もかける言葉は持たず……、ラルフたちは教会を後にした。


 己を人だと思ったから、この世界で生きて成長する事を望んだのに。


 ふと脳裏に山本和也の姿が過ぎる。


『お前はどうしたって化け物なんだよ』


 化け物じみた見た目になるまで体を痛め付けた。無意識に。


『何か変わるか? お前は絵を描く化け物なんだ。いいじゃんか、それで、絵が描けるんだから』


 山本和也の言う事は最もだ。


 絵が描けるならなんでもいい。


 この世界に来る時、確かにメネウはそう思った。そう言った。


『べつにお前の手がタコの足になるわけじゃない。俺みたいに明らかに化け物みたいな身体に変化するわけでもない。それは立派に人間の形に見えるよ?』


 そう、人間の形をしている。


 だけど、俺は人間じゃない。この世の中を混沌に陥れようとする悪神と同じ。人の腹から生まれた訳では無い、化け物。


 自分の頭の中での問答に息が荒くなる。指の隙間から見えている目の瞳孔が開く。冷や汗が凄い、身体は、どんどん冷え切っていく。


「何かお困りですか? メネウさん」


 だから、誰かが入ってきた事にも気付かなかった。


 知っている声だ。


 メネウは恐る恐る顔を上げ、そして。


「シスター……」


 震える声で、ここにいるはずの無い彼女を呼んだ。

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