第67話 脱獄・イン・ポッシブル

 とはいえ、見張りは居るし、あの父親のことだから日に一度は降りてくるだろう。


 途中で見つかるのが一番面倒くさい事になるはずだ。


 ならばまずは何もしない。父親のくるタイミング、見張りの交代時間、飯の時間を一日観察する。


 退屈な囚人ほど厄介な存在はいない。


 喋らず、騒がず、動かず、逆らわない。囚人に気配を絶たれると、見張りはどうしても注意力散漫になる。


 簡単なようでいて、強い忍耐力を求められる仕事なのだ。


 騎士ギルドで自分も訓練を積んできた。そういう囚人こそが、我慢強く、逃げ出す好機をいつでも狙っていると。


 ラルフは待った。一日半、観察に費やした。


 牢に入った時に武装解除しているので、そっとバターナイフを枕の下に隠して過ごしている。


 見張りの交代は日に3回。父が来たのは両日ともに夜になってから。飯は日に2回、見張りとは別の兵が持って来た。


(そろそろいいだろう)


 捕まってから三日目、ラルフはようやく動き出した。


 先ずは最初の見張り交代の時間に合わせて、そっと牢の錠前を切っておく。これでいつでも扉が開けられる。


 見張りの交代が終わったところを見計らって、バターナイフを思い切り牢から通路の壁に向かって投げた。


 派手な音がして、ナイフが通路に転がる瞬間に透明になれるマントを具現化する。


「なんだ?!」


 兵士が驚いて音がした方を見る。すかさずマントを被り、牢の中から扉を開けた。


 鉄の牢が開く軋んだ音に兵士が牢を見ると、そこには誰もいない。


「くそっ!」


 悪態をついて兵士が去っていく。捜索の応援を呼びに行ったのだろう。


 いや、行くのだろう。ラルフは兵士のすぐ後ろで、足並みをそろえて足音をごまかしながら牢を出た。


 兵士が勝手にドアを開けてくれるので都合が良い。一階に出たところで、兵士は裏手の戸から兵舎の方へ向かった。


 このまま館を出るかと思ったが、ここは貴族街の最深部。館の外も中も兵がウロウロしている。


 警備が甘い部分……使用人の居住部まで滑るように移動する。今の時間ならば殆ど人がいないはずだ。


 その間も、何度か兵士とすれ違うのをやり過ごす。そろそろクラウスにも伝達が行く頃だろう。館内の大捜索となる前に逃げ出さねばならない。


 ラルフは一つの部屋に潜り込んだ。


 リネン室である。年中山と布が積まれていて見通しは悪く、黴びないように風通しは良く、だから外にもすぐに出られる。


 日干し用に外に出る扉は付いているが、当然鍵がかかっている。


 ラルフは少し迷った。鍵を具現化するか、スプーンで壁を掘るか……、少し考えて、使い所が多そうなスプーンを残して鍵を具現化した。


 マントは当然消える。


 鍵穴に鍵を近づけると、難なくはいって鍵は簡単に開いた。


(よし……)


 これで外には出られる。が、外には使用人もラルフを捜索している兵もいる。


 様子を伺って、物陰を移動した。


 が、どうしても門まで辿り着けない。そこでラルフは、鍵を放棄してあのふざけたスプーンを具現化した。


 人気のない館の柱の陰から、人一人が通れる穴を掘る。この穴が見つかるまではもう少し時間があるはずだ。


 ラルフは掘って掘って掘り続けた。スプーンで。スプーンのはずなのにショベルでも使っているかのようにザクザク掘れる。その上重さを感じない。とことんふざけている。


 館の基礎の下をくぐり、門の外の堀に出るように掘り進める。掘った土で今来たところが埋まって行くが、うまく空気穴だけは開けるようにして掘った。


 ようやく館の敷地の外に出た時には、もう日暮れ時である。


 穴に逆流してくる水に抗いながら堀りきると、水の中に泳ぎ出た。


 ちょうど人通りの少ない時間だ。息継ぎをしながら、ラルフは水の中を進む。堀は町全体の水路に繋がっており、そこから中心部に近いところまで潜水しながら向かった。


 日が暮れたころ、中心部に近いが人通りは少ない、繁華街から外れた場所で外に出る。


 ふと上を見ると、スタンが普通の隼のようなサイズで飛び回っていた。


 騒ぎを聞きつけてメネウが飛ばしたものだろう。


 ラルフは指をくわえて口笛を吹く。スタンがそれに気付いて、ラルフの上で何度か旋回して去って行った。


 行き違いになるのは時間の無駄だ。


 クラウスならば、とっくに関所にも手を回しているはずだ。どうにかして町を出なければならない。


「ラルフ、おかえり!」


「ラルフさん!」


「キャンキャン!」


 一番最初にラルフに飛び付いたのはカノンだった。嬉しそうに濡れた肩に登っていった。


 次いでトットが服が濡れるのも構わずに抱きつき、メネウが続こうとしたので張り手で丁重に遠慮した。


「いてて、寂しかったぞ〜。やっぱラルフがいねーとダメだわ」


「カノンはなんでも食べますけど、それでも食が細ってましたよ。メネウさんは平気そうでしたけど」


「だってラルフは3日って言った」


 ラルフもトットも意味が分からなかった。


「ラルフは出来ないことは言わないから、3日待ってたら帰ってくる。でも寂しかったからな?」


 帰ってくると思っていたのでもなく、信じていたわけでもなく、帰ってくる。


 メネウはそう『知っていた』だけだという。


(無茶な男だ、全く……)


 ラルフはやれやれと首を横に振り、それでも微かに口元に笑みを浮かべた。


 何としても脱獄してやろうとは思ってはいたが、そこまでハッキリと信頼を示されると参ってしまう。


 自分以上に自分を信じる存在とは、末恐ろしく、頼もしいものだ。


「父上は関所にも手を回しているはずだ」


「あぁ。俺たちが出るのは国外に出るほうだからな。ラルフのお父さんはしっかりそっちに重点を置いて警備しているよ」


 ラルフは、やはりか、と溜息を吐く。


 メネウは筆を取り出すと、炎と風の最弱の魔法を組み合わせてラルフを乾かしにかかった。秋の気温でいつまでも濡れ鼠では風邪をひく。


 ドライヤーと名付けたその魔法でラルフを乾かし終わったころ、ラルフは一つ頷いた。


「……父上と話す」


「だよね」


 メネウは、当たり前のように頷いた。


 悪いことはしていないのに逃げ出す必要は無い。クラウスにはもう充分付き合った、と思っている顔だった。


「邪魔してくるようならヴァルドゥングの本体を呼んで乗せてもらおう。俺は召喚術師だしね」


 ね、とトットの背のヴァルさんに問いかけると、ぬいぐるみの竜はこくりと頷いた。


「じゃ、ショーシャンクのつぎは父と子の感動の再会と別れ、感動巨編二本立てでいきますか」


 メネウが不敵に笑って告げたが、その言葉の内容を理解できるものはこの場には誰一人いなかった。


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