五線譜は五本 ギターの弦は六本

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短編 五線譜は五本 ギターの弦は六本

三単語縛り(楽譜/道路/世論)



「おお! 五線譜!」

 担いでいるギターケースを揺らしながら、矢板やいたがとんでもない声を出して指さす。隣に立ってスマートフォンをいじっていた黒川くろかわと、予告ゲリラライブという矛盾したイベントを待つ半径数十メートル以内の暇人たちが、一斉に矢板の指の先を見上げた。その先には五本の電線と、その一番上に列をなして留まっているかりたちがいた。

 こうべを垂れることなく、しっかり胸を張った電線は、確かに五線譜に見える。見えるけれど、どこかで聞いたような見立てだ。

「ほんとだね」

 黒川は気のない声を出した。あんな声を出すくせに人並みの羞恥心は持っている矢板が、「何事かと思った」とでも愚痴り出しそうな周囲の視線を敏感に受け止め、茶髪からのぞく耳たぶを赤くした。

「だって、すごいと思ったんだよ」

 言い訳するように黒川へ告げた後、黙り込んでしまう。

 黒川はスマートフォンに視線と指先を戻した。SNSアプリの投稿画面を出し「クモキレ初ライブ待機!!!!!!! 楽しみ!!!!!!」と絵文字付きで打ち、目の前に広がる野外ライブセットの写真をアップした。

 もうそろそろ予告された時間のはずだけれど、自主発表デビュー曲群が、動画サイトで二千万回再生を記録した新星バンドの姿はまだ見えない。

 そのとき、雲の切れ間から夕陽がのぞいて、会場の人たちは一斉にざわめいた。矢板と黒川を含めた全員が待っているバンドが『クモノキレマデ』なのだ。雲の切れ間で。出てくるとしたらこのタイミングしかない。

 けれど彼らは姿を見せなかった。

 雲の切れ間から覗いていた夕陽がまた隠れ、あたりの陰がふたたび深まった。

 会場に少しだけ、動揺が走る。

「やっぱそううまくはいかねえかー」

 見ず知らず人たちにも、矢板のやわらかさは伝わるらしい。彼が黒川のほうを見て笑い飛ばすと、周りから小さな笑みが漏れた。黒川も微笑んだ。

 通知音がして、またスマートフォンに目を向ける。さっきアップしたばかりの写真へのコメント。

『クモキレ、うちの店の前にいるよ!?』

 アカウント名はmiyamiya_191。高校の友達の三山だった。

「うええっ!?」

 矢板のことを馬鹿にできないほど、大きな声が出てしまった。人の視線が集まるけれど、それどころじゃない。あたりを見回す。スタッフらしき人が設営済みのセットを眺めていたので、その背中に呼び掛ける。山賊みたいなヒゲのそのスタッフは、黒川の言葉を聞くと、にこっとかわいらしく笑った。

「ああ、本命はあっちだったんだ」

 ぴこん。

『やっぱりクモキレ駅前! すごい人だかり』

 そのコメントを見てすぐ、黒川は踵を返して駆け出した。目を白黒させている矢板の目の前を通り過ぎざま、自分のギターケースを押し付けながら、

八窪はちくぼの駅前で本当のライブやってるって!」

 と叫んだ。

 それを聞いた人たちが最初はおそるおそる、やがて一気に走り出した。

 ここから八窪駅前までは歩いて一時間近くはかかる。タクシーどころかバスの行き来もあまりない。走るしかない。

 道すがら、自転車組にあっさり追い抜かれ、途中で何人もに追い抜かれながら、半分歩くような速度になった。それでもあきらめずに走り続け、昼間の熱の残りかすで汗だくになりながら、どうにか駅前についた。

 交差点の赤信号の歩道の前でひいひい言いながら膝をつく。同じく走ってきたらしい巨漢の男の人が信号の鉄柱に肩をもたせかけている。他にも疲れ切っている人たちは目に付くけれど、なかでもひどいのは点字ブロックの上で大の字になっている女の人だ。こんな姿が動画サイトにアップされたらまずい。連帯意識で手を伸ばすと、ちょうど青になった。女の人を引っ張り起こしてから、また走り出した。人混みといっていいくらいに混雑してきたので、ぶつからないように気を付けた。

 駅前広場に近づくと、シャーン、という音が遠くで聞こえた。そのあとに大歓声。

 よかった、まだやってる、希望が見えたのもつかの間、

「あーりがとうっ!」

 と恰好つけた感謝の言葉がかすかに聞こえてきた。

 その声を頼りに最後の力を振り絞ってたどり着いた黒川が見たのは、自分が「救われた」とすら思った曲を作った男の人たちが、駅前交番で大勢の警官に囲まれて絞りあげられ、そしてそれをたくさんのスマートフォンが囲んでいる風景だった。

 演出。

 単純なその二文字が頭の中を覆いつくした。

 ゲリラライブを予告していたが、そこには現れず、本物のゲリラライブをやる。そして警察にお世話になる武勇伝つき。そういう、演出。

 走っている最中、ポケットの中でぐいぐいジーンズを押し下げてくれていたスマートフォンを手に取り、先ほども投稿したSNSアプリを開いた。行き場のない怒りを写真と文字とに叩きつけようとして、興奮気味の三山の新規投稿が目に入り、やめた。黒川はスマートフォンをジーンズのポケットにしまい、交番に背を向けた。

 雲の向こうにあった夕日も落ち始め、ビルから漏れ出る室内灯が歩道に影をつくり始めている。

 道路を挟んで立ち並ぶ街路樹のひとつに背中を預けてそのまま滑り落ちるように座り込んだ。

 さっきアプリにぶつけようとしていた言葉は、クモノキレマデの曲にどれだけ救われたかということ、この安っぽい演出にどれだけ傷ついたかということ。そして告知のあった一週間前から、どれだけ自分が楽しみにしていたかということ。

 泣くほどのことか、と自分に言い聞かせる。『バイトあるから行けないなあ』と残念がっていた三山は、偶然店の近くで始まった演奏の映像を投稿していた。きっと大喜びだったはずだ。だから、自分の分も三山が楽しんでくれたと思えばいい。

 喉の奥がひくついた。ぐ、と歯を食いしばって堪える。

 だけど。

 本当に楽しみにしていた。クモノキレマデの演奏が、生で聴けるのを。

 こんな些細なことで生まれてしまった情けない嗚咽を誰にも聞かれたくなくて、膝を抱えて顔をうずめる。

 全速力で走ってきた疲れがどっと押し寄せてきて、少し、過呼吸の気配まで出てきた。どうしよう。こんなところで過呼吸なんてなったら、周りの人にも伝染するかもしれない。

 そう思っても、気配はどんどん濃くなってくる。

 そこで、遠慮がちにちょこちょこと、肩をつつかれた。

「大丈夫か、黒川」

 声の主はすぐにわかったけれど、顔を上げられない。こんな汚い泣き顔を、見られたくない。

 それに、どんな顔をして謝ればいいのかもわからなかった。

 矢板も、今回のライブをとても楽しみにしていたのだ。それなのに、ギターケースを押しつけてきた。矢板が、初めて自分のお金で買ったギターを、そして他人のギターを、道端に野ざらしにしておくことなんてできないと知っていて。矢板が身軽になっていれば、ライブの終盤くらいには間に合ったはずだ。

「そっか。間に合わなかったのかー」

 矢板がわざとらしく、のんきな声を出す。

 少しのわずらわしさがあったけれど、ここで応えておかないとますます話しづらくなる気がしたので、

「うん」

 とだけ言っておいた。というよりも、嗚咽が邪魔をしてそれしか言えなかった。

「そっか。うーん! ううーーーん!」

 わざとらしいうえに、声が大きい。やめてほしい。

「じゃあ黒川、これ持っといて」

 言われて、初めて顔を上げる。しゃがんでいる矢板と目が合う。矢板は笑った。「これ」は黒川のギターケースのことだった。

 素直に受け取ると、矢板は自分のギターケースを地面に置いて開いた。ストラップを体に巻き付けて、街路樹から少し離れる。通勤客と学生がちょうど少なくなった、夕方か夜か曖昧な時間帯。少ない歩行者が何事かと見ていくが、人並みの羞恥心があるはずの矢板は、ギターを鳴らし始めた。

「雲の切れ間で 夕陽がのぞく」

「今日が終わる ようやく終わる」

「浮かんで消える 明日の絶望 昨日の後悔」

「雲の切れ間で 夕陽がのぞく」

「……えー、ふんふんふーん……ふふふー」

 だんだん声が小さくなり、ギターを弾く手もすぐに止まった。練習もしていなかっただろうし、コードと歌詞を忘れてしまったんだろう。往来の人に怪訝な目をぶつけられていく恥ずかしさもあったかもしれない。耳が真っ赤だ。

 本当は、こんな往来のど真ん中で、クモノキレマデのデビュー曲を歌おうとしてくれた矢板のズレた慰めが、ちょっとだけ心地よかった。でもそれを正面から言うのは照れ臭かった。

「ちょっとは元気出た?」

 感想を求めてくる矢板に、

「歌、ヘタ」

 ととりあえず感想を言う。

「はあ? なら次は俺の即興オリジナルソングだ」

「まだ続くの」

 ジャカジャ、ジャカジャ、シャカシャカシャー。

「五線譜はごっほーん!」

 シャカシャカシャカシャ!

「ギターの弦はろっぽーん!」

 シャカシャカシャカシャ!

「ちょっとやめ…やめっ!」

 歌は上手い、ギターも上手い。だけど歌詞がひどい。

 往来の人たちの笑顔が痛い。痛いから!

「五線譜はごっほーん! ギターの弦はろっぽーん!」

 矢板は歌いながらどんどん向こうへ逃げていく。ぶつかりそうで怖いから、あまり勢い良くも追えない。

 このまま矢板を放って帰ろうか。

 でも、合間合間に入るギターが上手い。気持ちいい。この旋律は歌ってみたい。

「五線譜はごっほーん! ギターの弦はろっぽーん!」

 ああもう。

 黒川は自分のギターケースを開いて、ストラップを斜めがけした。

 矢板のほうに向かって声を張り上げる。

「五線譜はごっほーん! ギターの弦はろっぽーん!」

 矢板が戻ってきた。

 それから二人で、目と目、ギターの弦と弦を見比べて合わせながら、「五線譜は五本、ギターの弦は六本」と歌うだけの、即興演奏を繰り広げた。

 やっているうちにもう人の目なんて気にならなくなってしまったのが運のつきで、黒川が気付いた時にはおまわりさんがすぐ横にいて、「歩行者の迷惑だから今すぐやめなさい」と注意されてしまった。

 ちょうど「ごっほーん」のところで肩を叩かれたので顔の全神経が真っ赤に燃え上がり、無言で頭をかくかく上下させながらギターをしまい込み、矢板と一緒に全速力で駅前を走り去った。

 駆け込んだ路地裏で、先客の猫たちが悲鳴を上げて逃げていくのに謝ってから、ギターケースを杖代わりにして息を整えた。

「死ぬかと思った」

 黒川がつぶやくと、矢板もぜえはあ言いながら頷いた。

「でも、楽しかったな」

「そうかもね」

「クモキレの演奏を聴くのと、どっちがよかった?」

 二千万回再生をたたき出した美声と、そこらの高校生の、どっちの唄がいいか?

 百人にアンケートを取れば百人が前者だと答える。百ゼロだ。勝負にならないワンサイドゲームだ。

 それでもなぜか自分は、

「五線譜は五本、ギターの弦は六本」

 とつぶやいていた。

 矢板の笑顔がいっそうまぶしくなって、黒川は慌ててギターケースに視線を落とした。

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