第4話 番犬は石鹸の香りに弱い

 ソウルに帰ってから、宿舎で無表情のユーリとたまにすれ違うが、話しかけていいものか迷っていた。

 でもエレベータで二人きりになってしまった時、話したそうにしている僕に、

「ごめんね、私といると面倒なことになるから」と優しく言った彼女はやっぱり僕の好きなユーリだった。

 僕は降りようとした彼女の腕をつかんでエレベータに戻して抱きしめた。

「ユーリ、僕はやっぱり諦められない。友達でいいから近くにいたいんだ。何ならペットでもいいから」

 彼女は噴き出した。

「こんな大きなペットはいないよ、わかったから離そうね。またミンジュさんに叱られるよ」と僕の背中を優しくトントンする。

 僕は半分泣きながら、彼女にもっと抱き着いた。

「良かった。嫌われたかと思った」

「こんな君をほっとけないでしょ。じゃあミンジュさんには言っとくから、これからはお友達ね」

「わかった。ありがとう、ユーリ大好き」

「はいはい」

 そして僕は彼女と友達になった。


「おい、おまえユーリと友達になったって?本当?」と仲間に驚かれた。

 電話番号を教えてもらった話をしたら、

「末っ子に負けるなんてショックだわ」と言われた。

 まだ続いてるとしたら勝負は僕の勝ちだった。

 ユーリは女の子にはとっても優しいのに男には全く愛想が無いと宿舎で評判だったから、なんで友達になれたのか皆が聞きたがった。

「うん、サイパンの時にたまたま砂浜で話して親しくなったんだ」

 おかげで男の間では僕の株はぐんと上がったが、女の子からは嫉妬で株が下がった。(彼女は女子に人気だった)

 でもユーリのそばにいられるので僕は幸せだった。


 僕は夏休みの間に少しでも彼女に近づきたくて、日本語を教えてもらったり、彼女にハングルの歌を教えたりしてくっついていた。

 ミンジュ先輩は嫌そうに、

「なんだお前またいるのかよ」と言っているが、御飯を奢ってくれたり作業室に入れてくれたりした。

 見かけによらず面倒見がいいのだ。

「ルイ君は耳がいいから日本語の上達が早いし、声も良いってミンジュさんが言ってたよ」とユーリから聞いてすごく嬉しかった。



 南の島で撮影したユーリの写真集が発売されることになった。

 韓国語と日本語バージョン2種類だ。

 あの僕たちを興奮させてやまない手ブラのショットが日本語バージョンに入れられていると聞き、僕はこっそりネット予約した。

 ソウルの本屋で行われた発売記念握手会には長蛇の列が出来、その様子がツイートされた。

 僕はみんなと握手する彼女が大変だなと思ったが、ミンジュさんは心配そうだった。

 至近距離の握手会だから変態とかいたら大変ですものね、と言うと、

「バカ、違うよ。変態野郎のほうを心配してるんだよ」と真面目な顔で言った。

 僕はそんなバカな、と言いつつ、

「あの手ブラの写真の手、ミンジュ先輩ですよね?」と先輩の手を見ながら聞いた。

「お、よくわかったな。そうだよ」

「やっぱり。ショックです…ユーリの胸ってどんな触り心地ですか?」

「バカ、そんなの教えてやんねーよ」と笑って言った。


 僕は先輩を話した時は「変態野郎の身が危ない」の意味がわからなかったが、2日目にユーリは暴漢からナイフを取り上げたと宿舎の噂で聞いた。

 実際の映像では彼女が握手会に並んでいる男に急に近寄っていき、そいつがユーリに列からつまみ出されてナイフを出した瞬間に、ユーリのパンプスで強烈な横蹴りを入れられふっ飛んでいた。

 僕も見たが、ユーリがスカートで蹴りを繰り出す様は衝撃映像で何度も見てしまう。

 その映像が拡散したので写真集の反響がすごかったらしい。特に女子に。

 ミンジュ先輩が言っていた意味が僕はやっとわかった。


 ソウルの次は日本の東京で握手会が行われた。

 僕は暇だし心配だったので一緒に付いていくことにした。

 もちろん日本に行ったことがないので行きたかったのもある。

「ミンジュ先輩、僕がユーリの側にいたら嫌ですか?」と作業室で二人の時に聞いたら、

「嫌だけど、番犬がわりだ」とニヤッとして言った。

 僕だってユーリを好きなのに酷い。

 でも先輩は男から見てもカッコイイから全然太刀打ち出来なさそうだった。

「ちぇ、早く別れてくれたらいいのに」と僕が悔し紛れに言うと、

「絶対ないけど、俺たちが別れてしまったとしてもチャンスを待ってるやつらがいるんだよ。どう贔屓目ひいきめに見てもおまえに勝ち目はない。諦めろ」ときっぱり言った。

 多分本当の事なんだろう。

 僕は涙目になっていたと思う。

 そこにユーリが入ってきて僕を見た。そして、

「またミンジュさんはルイ君をいじめて。可哀そうに」と言って僕の頭を撫でた。 ミンジュ先輩は、

「本当のことを言ってやっただけだ」と可愛く口を尖らせた。

 ユーリがそんな先輩の頭を乱暴に撫でて、

「本当はとっても優しいのにね、よしよし」と言ったので僕たちは笑った。

 ミンジュ先輩だけ照れたような怒ったような複雑な顔をしている。

 先輩のそばにいる時の嬉しそうなユーリは僕を辛くさせた。

 それでも彼女のそばを離れられなかった。



 初めての東京に着くと蒸し暑くてクーラーの有難みがよくわかった。

 熱気が身体にベトベトまとわりつく。

 僕達とマネージャーはクーラーがガンガン効いているタクシーで、早速握手会の行われる本屋へ向かった。


「ユーリは怖くないんですか?」と後部座席で聞くと、

「なんで?怖くないよ、君もいるし。私がキレたら止めてね」と言う。

 キレた彼女を僕が止められるのだろうか?

 暴漢より止めるほうが怖い。マネージャーは、

「ルイ君ありがとうね、付いてきてくれて。ユーリを一人にすることがあるから助かるよ。しかし君ら仲いいね。お姉ちゃんと弟みたい」

「いいですよ、どうせ暇だし。ユーリが暴れないよう見張ってますから安心して下さい」と言った僕を彼女が優しく睨んだ。


 東京の本屋さんに開店前に着いて握手会の準備をするのだが、僕らはすることがないので誰もいない店内を歩いた。

「ね、これルイ君達!」と言って韓国コーナーでユーリが立ち止まった。

「どれ?」と彼女の肩の後ろから雑誌を覗き込むと僕たちのデビューアルバムと南の国で撮った写真が載っている。

 ミンジュさん達に比べると格段に扱いが小さいが嬉しい。

「なんて書いてあるの?」と近寄って聞くと、ユーリの香りがする。

 香水でなくほのかな石鹸の香りが彼女の肌の匂いとまじっている。

 化粧もしてない。

 清潔そうな彼女の首筋に思わず音を立ててキスすると、ちょっとビクッとしてから「こらっ」と言って彼女が振り向いて僕の頭を優しく叩こうとした。

 僕は彼女の腕を掴んで彼女の顔に自分の顔を近づけた。

 もう片方の手で彼女は僕の顔を抑えようとしたが、僕はその手も掴んだ。

 彼女の手から落ちた雑誌が音を立てて床に落ちる。

 僕は彼女にキスをしようとしたが、ユーリのすごく困った顔を見てしまって硬直した。

「ごめんね」と言う彼女の手を離し、僕は彼女に抱き着いた。

「困らせてごめん…でもユーリが好きだ」

「私なんかが好きって変わってる、ルイ君は」

 彼女はそう言って笑った。

「じゃあミンジュさんは?」と僕が聞くと、

「ミンジュさんはものすごく変わってると思う」と言った。

 そういえばミンジュさんから、ユーリが浮気しないように見張るよう言われたことを思い出した。

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