第43話 竜の王

 荘厳な空気が辺りを満たす。浄化魔術をかけ、結界を張ってもなおしつこく残っていた瘴気が一気に消し去られたようだ。

 海竜種はアスターの港でも見たが、今ここにいるこの竜はそれらと比べ物にならない程大きく、神々しい。


『人の子よ』


 周囲の魔力が震え、頭に直接声が聞こえる。こんな体験は初めてで、思わず身を固くしてしまう。

 すると横から手が伸びて、落ち着くように頭をかきなでられる。はっと見るとベネディクトが微笑んでいた。

 あ、この至近距離での美青年の微笑みの方がダメージでかいわ。

 そう思うと一瞬で身体が弛緩した。


『我はこの巣のかつての長、竜の王』


 びりびりと身体中に響く声に立ち尽くして竜を見上げることしかできない。竜の王が発するその威圧感に押しつぶされてしまいそうだ。

 その場にいた他の人たちも同じようで、呆けたようにただぽかんと竜を見つめていた。


『此度は我らの群れの存続の危機によくぞ来てくれた。礼を言おう』


 竜は堂々と続ける。


『見ての通り我らの巣は今、瘴気に侵されている。小さき者や我のような老いぼれは無事であったが、若き者たち、中心となる者たちは突如として苦しみ、狂化されてしまった……』


 その言葉にさらに緊張が走り、空気が張り詰めたものになっていくのがわかる。

 かなり深刻な事態であることが、改めて思い知らされた。


『今の群れの長も狂化され、今は竜玉の側を離れぬ。……竜玉は護らねばならぬという本能が狂化されてもなお働いているのであろう。……狂化された竜もそうでない竜も、竜玉に近付いた者は皆殺されてしまった……。

我にまだ力が残ってさえいれば力づくで抑え込むことも出来たであろう。しかし、年老いた我が身、最盛の竜には到底及ばぬ。……よって、人の子の力を借りることにしたのだが、同じ竜である我でも扱いきれぬ者を人の子というか弱く、その上我らが護らねばならぬ王国の民に任せることをひどく申し訳なく、そして情けなく思う』


 護らねばならぬ? なんだそれ。

 小さく呟くとそばにいたレヴィさんが教えてくれる。


「マリテとその周囲に棲む竜は古くから互いに協力関係を結んでいるんです。マリテは竜の自由や居場所を守る。竜はマリテの船の航海を助け、国を守る。かつてあった世界戦争でもマリテはそのおかげで領域内はあまり被害を受けずに済んだのですよ」

「なるほど……」


 目を伏せた竜は本当に申し訳が無さそうで、これが苦肉の策であることが伺えた。

 そんな竜の前に立つ人影がある。ベネディクトだ。彼はその美しい顔でにこりと微笑んで言う。

 顔がいいからまるでそれは天使かなにか神の使いのように見える。なんだか近づきづらいような、そんな美しさだ。


「竜の王よ。私はこのマリテの第三王子、ベネディクト·マーフィーだ。古来より我が国は貴殿ら竜たちの助けがあってこそ成り立ってきた。今はその竜たちが困難に直面している時。力になるのであれば何だってしよう」


 普段の年相応の元気の良さは鳴りを潜め、王子として竜の前に立つベネディクト。その姿はまさしく国を率いる者だ。


 ……ちょっとこいつが王子であることを忘れてたけどこれを見てしまえばもう忘れることはできまい。

 いくらかなりの軽装で、そこらへんの漁師や商人に混ざっててもおかしくないような格好をしていたってその耳に光るピアスは王族の紋章が入っているし、肝も据わっている。


 本当に、王子なんだなぁ……。


 けっこう仲良くやってるつもりでも、やっぱり遠い距離に少し胸のあたりがもやりとした。

 俺が端の方でそんな気持ちになっていようが話は進む。ベネディクトの言葉に、竜が少し安心したように言った。


『その言葉、身に沁みる。改めて、礼を言おう』


 竜は満足したように巣穴に戻っていく。それを見届けたベネディクトはくるりと振り返ってニッと笑った。

 その顔はもう、普通の青年だ(ただし美がつく)。


「じゃ、挨拶は済んだし、準備、続けようぜ」


 どうしようギャップで風邪引きそう。風邪薬あったっけ。

 軽い足取りで俺たちの元まで戻ってきた彼を見やって、大佐が号令をかけた。


「各自準備が出来次第入口前に集合すること。相手は竜だ。抜かりのないように」


 応と声を上げ、各々の得物や装備品の最終確認をする。

 俺も刀を確認し、ベルトを締め直す。


 周りをさらにピンと張り詰めた緊張感が包み、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

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