密室

 ズゥン!

 大きな振動があったあと、エレベーターが動きを止めた。


 非常ボタンを押してもなんの反応もなく、ご丁寧に隅の方に食料と飲水が置いてある。

 しかもこの研究所のエレベーターには置いていないはずの非常用ボックスまであった。

 中央には、何故か色波虹希博士が若い頃に作ったというプラネタリウムの機械が置いてある。


 もちろん、この機械は乗るときに気づいてはいたのだが、てっきり重量オーバーを狙っていたのかもしれないくらいにしか思っていなかったのだが。

 この状況を鑑みるに、暇つぶし用ということなのだろう。

 まさに至れり尽くせりな環境だ。


「やられた! 多分というか、ほぼ確実に透矢の仕業だな」

「そうですね。一階のエレベーター前にいた二人。あの二人をそのままにしておいたのが間違いでした。きっとあの二人がモニタールームに入って、エレベーターを止めたのでしょう」


 白鳥さんの推測に頷く。

 意図的に引き起こされたことだとわかっているので、冷静に話は出来ている。

 しかし、それだけに出し抜かれた悔しさと情けなさが胸中を満たしていた。


「とりあえず赤木さんに助けを求めましょう」

「ああ。そうだな」


 俺は陽介に連絡するため、ハイホを取り出そうとして、気づいた。


「ハイホがない……」

「ああっ! そうでした。あっくんが気絶した時に落としていたので、美空さんが拾っていたんでした。その後にバタバタしていましたから、すっかり忘れてました」


 ああ、そう言えばあの公園で、青井さんが何かを言おうとしてたっけ。

 まさかハイホを渡そうとしてくれていただけだったなんて……。

 これは悔やんでも悔やみきれないミスだ。


「いったいどうすれば……」

「……外からの助けを待つしかなさそうですね」


 白鳥さんは早々に諦めムードになり、壁に背を預けて座り込んでしまった。

 俺はもう少し何かないかとあたりを見回したが、この状況を打開できそうなものはなく、俺も壁に背を預けて座り込んでしまった。


「まさか、こんなことになるなんてな……」

「大丈夫ですよ! きっと、赤木さんが助けに来てくれます。だから、それまで待ちましょう?」


 確かに現状、待つしかない。

 けれど……。

 俺は自分の作った機械を見ながら、ため息をつく。


 機械に反応しているのは一階のエレベーター前に二人(回廊を見回っていた二人は外に追い出しておいた)、二階にさっき倒した二人、三階には透矢一人。

 さらにエレベーターの中には俺達二人だけ。

 つまり、陽介がこの研究所内にはいない可能性が高いのだ。というより、陽介と別行動をする前にいわれた言葉を考えると、もう……。


「……」

「暇ですねぇ……」


 俺が両膝に顔を埋めていると、白鳥さんが静かに話しかけてきた。


「ああ、そうだな……」


 俺は軽く相槌を打つ。

 そう、暇なのだ。

 やらなくてはいけないことはあるのにそれが出来ない。


 そんなもどかしさを抱えながら、虚ろな目で前方を見る。

 そんな俺を見かねたのか、白鳥さんは辺りを座ったままキョロキョロと見渡し。


「そうだ、このど真ん中に置かれている機械って何なんですか?」


 良い質問を思いついたとばかりに、少しテンションの上がった声音で質問してくる。

 白鳥さんの気遣いに感謝しながら、俺は質問に答える。


「これ、プラネタリウムに使う映写機なんだ。本来、ドーム型の天井に映し出すものだけれど、これは室内であればどこでも天体観測が楽しめるんだ」


 そう言いながら、立ち上がって中央に置かれている機械に触れる。


「知ってるか? この機械ってさ、色波虹希博士が若い頃に創ったものらしいんだよ」

「はぁ……」


 白鳥さんは突然機械の説明を始めた俺を、戸惑った様子で見つめてきた。

 しかし、話を遮るつもりはないらしく黙って聞いてくれている。


「色波博士は初めから医療の道に携わろうとしたわけじゃないんだ。色々な物を創って、世間から認められて、自信をつけて、それでようやく医療の道へ進むことを決めたんだ」

「そうですね。確かに、色波虹希博士が世界的な有名人となったのはここ二十年のこと。これは有名な話です。あっ、もしかして志望学科を聞いた時に好きな物を創りたいと言っていったのはもしかして……?」


「そうさ。色波博士のように色々な物を創ろうって思ったんだよ。けど何を創ったらいいかわからないし、とりあえずは自分が創りたいものかなって」

「色波博士の後を継ぐという光栄な未来を捨てることが出来るなんて凄いですね」


 白鳥さんが心の底から凄いと思ってくれていることに苦笑いを返す。


「正直ずっと迷ってたよ。色波博士のあとを継ぐべきなのかどうか。けど、いーちゃんと透矢にスカウトされた時、思ったんだ。ああ、これじゃないって」


 スカウトされた時、色波博士と働いているのだからこういうこともあるだろうと思った。半ば確信していたくらいだ。

 けど、それは色波博士と働いていたから注目されただけの話。

 俺自身の力ではない。


「あのまま色波博士のとこで働き続ければ、色波博士の下位互換的な存在になれるだろうし、それで一定の評価は得られると思う」


 元々、色波博士が世界でもトップレベルなのだから、下位互換だったとしても世界全体から見れば優秀な部類に入ることができるだろう。


「でも、俺は自分の得意を見つけたい。自分だけの技術を見つけたい。自分にしか創れないものを創りたい」


 例え、優秀じゃなくても、世間から認められなくても、大成できなくても。



「だってそれが色波博士の元で働く黒沢明人じゃない、黒沢明人おれ自身の夢だから」



「そうですか……」


 結局、また話を脱線させたどころか別に聞きたくもないであろう自分語りを始めてしまったが、白鳥さんは少し嬉しそうに自分の足を抱き寄せた。


 俺の話を聞いて何が嬉しいのだろう。

 そんな疑問をよそに、白鳥さんは立ち上がって映写機に近づいていく。


「あっくんあっくん。どうせやることがないのですから、この映写機動かしてみてくださいよ」


 白鳥さんは子供のように目を輝かせながら、あどけない笑みを浮かべている。


「明かりはどうするんだ?」

「スイッチを入れたら、透矢さんが照明を消してくれると思いますよ」


 確かにこれを用意したのは透矢であり、もし本当に暇つぶし用に置いていったのなら、照明を消してもらうことは可能だろう。

 それにこのエレベーターにも監視カメラはついており、モニタールームにエレベーター前にいた見張りがいるはずなので、特に問題もないだろうし。


「……わかったよ」


 映写機のスイッチを入れると、俺達の推測どおりに照明が落ちた。

 やはり監視カメラからこちらの様子を窺っていたらしい。


 映写機から投影された映像がエレベーター全体に広がっていく。

 まるで、エレベーター内の空間がどこか別の場所へ移動したかのような錯覚を覚える。

 映像から漏れ出る光が、俺と白鳥さんを照らし出す。


 上を見上げれば天井一杯に広がる人工的な夜空。

 この光景を見た瞬間、夢の中で何度も見た十二年前の別れの日を思い出した。

 あの時も、白鳥さんと二人きりで夜空を見上げていたのだ。

 そして、白鳥さんに慰められていた。


「なんだか、懐かしいですね……」


 白鳥さんは夜空を見上げながら、ポツリと呟いた。

 けれど、俺は何も言えない。

 白鳥さんに嘘をついた罪悪感が今になってぶり返してきたのだ。


「あっくんもそう思いませんか?」


 白鳥さんは微笑みながら問いかけてくる。

 こんなにも純粋な笑顔を向けてくれる白鳥さんに対して、俺は――。


「ごめん、いーちゃん。俺、君に謝らくちゃいけないことがあるんだ」

「あっくん?」

「俺、いーちゃんに隠してきたことがあるんだ」


 唇が重たい。

 正直、この重さに任せて口を閉ざしたいと思う。

 こんな大切な決闘の途中に、関係を悪くするようなことをして馬鹿だと思う。

 もしかしたら、白鳥さんに嫌われるかもしれない。

 様々な思いが、胸中を満たす。


「スカウトされたあの日から、気づいてた。十二年前の女の子が――いーちゃんが白鳥さんだって知ってたんだ」


 ずっと言えなくて、言いたくなくて――けれど、ずっと言いたかった言葉。

 ようやく言えた。一歩を踏み出せた。


「今まで黙っていて……ごめん」


 俺は絞り出すように、謝罪を口にした。

 人工的な星の光が照らすエレベーターの中。

 白鳥さんの表情は窺い知れない。

 軽蔑されることも覚悟の上で、白鳥さんからの言葉を待つ。


「……私だって同じです」


 ポツリと呟かれた返答。


「私だって、親睦会の時に緑河さんに言われるまで、あっくんが黒沢明人だと気付けませんでした。……ごめんなさい」


 そう言いながら、白鳥さんは頭を下げる。


「それは……俺の配慮が足りなかったから。大体、昔と今じゃ、俺の見た目も声も違う。いーちゃんがわからなくても、仕方がないよ。……このことも、青井さんに言われてようやく気づいたことだし、やっぱり悪いのは俺さ」

「それを言うなら私だって、透矢さんに言われてですけど、あっくんが私に過去の出来事を話しづらくしていたことに気がついたんです。だから私が悪いんです」

「それは関係ないよ。言い出せなかったのは俺が臆病だったからで……」


 言い合いを続けているうちに、何故か白鳥さんとにらみ合うことになっていた。

 先に表情を崩したのは白鳥さんの方だった。


「だったら、おあいこですね」


 白鳥さんの柔らかな微笑みに、胸が高鳴るのを感じた。

 すごくドキドキするし、顔が熱い。

 もっと白鳥さんといたい。この決闘が終わったあとも、ずっと。


 そんな思いが溢れてくる。

 だがその思いは、今まで知らないふりをして目をそらしてきた残酷な現実とぶつかってしまう。


 即ち、白鳥さんとの別れだ。

 この決闘を俺達の勝利で終えた場合、俺がイクシード研究所にいる必要はなく、大学受験も本格化するため白鳥さんに会う機会も口実もない。


 それに高校卒業後は恐らく、別々の道を歩んでいくことになるだろう。

 このことは恐らく、白鳥さんも分かっている。

 この別れを阻止するには告白して恋仲になるか、あるいは良好な友人関係を築くか、この二つしかない。


 しかし、前者はともかく、後者は大学や就職後の人間関係だったり、やることが多かったりと、会える頻度は極端に低下するだろう。


 となると選択肢は一つしかなく、あとは俺が腹を括れるか。

 いや、あとは腹を括るだけだ。


「すぅー、はぁー、すぅー、はぁー」


 深呼吸で心を落ち着け、告白する覚悟を決める。


「いーちゃん」

「はい。なんでしょうか?」

「…………」


 俺は告白の言葉を言おうと口を開くが、声が出ない。

 いざ告白しようとすると、プレッシャーに押しつぶされそうになってしまうのだ。

 心臓がバクバク行っており、顔が燃えるように熱い。


「あっくん?」


 白鳥さんが首を傾げて俺を見つめている。

 俺はその視線を真っ向から受け止めた。


「あ、あの……そんなに見つめられると、恥ずかしいんですけど」


 白鳥さんが戸惑いながら頬を染める。

 これ以上、白鳥さんを待たせるわけには行かない。

 俺はもう、自分が思ったままのことを伝えようと、考えることを放棄した。


「俺、いーちゃんのことがす――」


 と、その時。

 急に明かりがつき、エレベーターが下に向かい始めた。


「な、なんだ?」

「もしかすると、助けが来たのではないでしょうか?」


 白鳥さんの推測は正しいだろう。

 俺達と透矢達との決闘はまだ終わっていない。にも関わらずエレベーターが動いたということは助けが来たということだ。


「そうか……助けが……」


 助けに来るのがもう少し遅いか、俺の告白がもう少し早ければ俺の気持ちを伝えることができたのに。

 俺はこのタイミングで助けが来たことに、落胆と後悔を感じていた。


 エレベーターが一階に到着する。

 白鳥さんは扉の方へ歩いていく。


 ああ――待ってくれ。まだ俺は言いたいことを言えていなのに。

 このチャンスを逃したら、もう言う機会なんてないのに。


「待ってくれ! 俺は――俺はまだ何も!」


 俺は必死に引き止める。

 このまま何も言えないなんて、絶対に嫌だ!


 こんなことは初めてだった。

 今までずっと、他人に背中を押してきてもらった。

 俺一人では何もできなかった。


 けど、今回は誰にも何も言われず、自分の意志で白鳥さんを呼び止めた。

 果たして――白鳥さんは立ち止まった。


「先程の続きは、次に会った時に聞かせてください」


 白鳥さんは後ろを向いたままだっため、どのような表情をしていたのかはわからない。

 ただ、その声は何かを堪えるような、そんな硬い声音ではあった。

 扉がゆっくりと開いていき、外の光が入り込んでくる。


「この決闘が終わって、チームとしてではなく、個人として会えるようになった、その時に」


 そうか――これは白鳥さんなりの約束なのだ。

 この決闘が終わったあともまた会おうと。敵や味方ではなく、友人として、あるいは一人の男と女として会おうと。

 その時に先程の続きを聞かせてくれと。

 そういう、再会の約束。


「分かった。次に会ったときに、必ず」


 白鳥さんが僅かに微笑んだような気がした。

 けれど、その直感は間違いではなかったのだろう。



「あなたの告白、楽しみにしてますね」



 白鳥さんは振り返りながらそう言って、頬を染めながらはにかんでいたのだから。

 それを見て思った。

 俺が言おうとしたこと、ちゃんと伝わってんじゃねえかと。


 照れ交りに悪態をつきながら、白鳥さんを追いかけた。

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