食事
俺たちが色波虹希博士の研究所のある山のふもとにある病院にたどり着いたのは、十時半過ぎだった。
院内に入り、ロビーの隅でこれからの予定を話し合う。
「もう決闘は始まっちゃってるな」
主に自分のせいだと自覚していたが、思わずそんなことを口走ってしまう。
しかし、陽介は俺に辛辣な言葉を浴びせるでもなく、ニヤッと笑みを浮かべていた。
「まあ、ほぼ時間通りだな。いや、予定より少し早いくらいか」
「は? どういうことだ?」
俺のせいで一時間ほど、時間を無駄にしたと思っていたけど……。
首を傾げていると陽介が陽介が時計を指さした。
「今は十時半だ」
正確には十時四十二分だけれど。
そんなことを思ったが、無意味に話を止めるわけにはいかないので黙っておく。
「今からゆっくり昼飯を食べて、十二時の少し前から登山開始。道なりに進めばほんの二十分ほどだが、今回は整備されていないところを行く。そうなると倍はかかると考えて十二時半過ぎから十三時前に到着ってとこか」
「そんなゆっくりしてて大丈夫なのか?」
「問題ない。到着予定時刻はだいたい、昼飯を食べる前か食べた直後って時間帯だろうからな」
透矢の研究所でバイトしていた時は十二時半から十三時半までが昼食休憩だった。
今回の決闘でも同じことをしているのかは疑問に思うところだが、陽介が言うのだから、まあ、同じことをやっているのだろう。
「ならば、大いに油断しているはずだ」
「んん? そうなのか?」
「してるだろう。何せ、朝から警戒しているにもかかわらず何も異常はなく、腹も減っている。集中力なんてとっくに切れてる。また、食後だった場合も動きが緩慢だろうな」
確かにこの時期はだいぶ涼しくなってきて、過ごしやすい気温になってきている。
春と比べて陽気こそないものの、そんな気候で満腹状態になろうものなら眠気が襲ってくるだろうが……相手はそんな単純だろうか?
陽介の立てる作戦に疑問を抱きつつも、陽介が言うのだからと納得してしまう俺は多分馬鹿なのだろう。
「そんなに上手く行きますかね?」
「透矢や星志に関しては出し抜けないな。だが、二人に協力しているであろう研究員なら大丈夫だ。あいつらは基本、透矢に味方した事実があればそれでいいのだから」
「なんでだ? 自分たちが作った機械を否定されてるんだぞ? むしろ躍起になって止めに来るんじゃないか?」
「まあ、普通はそう考えるだろうな。だが、俺だってイクシード研究所で真面目に働いていただけじゃないんだぜ? ちゃんと、研究員たちが透矢のことをどう思っているとか、情報集めは万全だ」
…………。
元々白鳥さんに近づくために始めたバイトだったし、そのおかげで仲良くなれたところもあるのだけれど、当たり前のように真面目に働いていた自分を思い出し軽く落ち込んでしまう。
ま、まあ、そのおかげで基礎技術力が上がったので、無駄ではなかったと思う……思いたい。
俺がショックを受けている間も、陽介の説明は続く。
「で、だ。情報集めの結果、透矢に対する意見は色々あったが、大多数は雇ってくれたことには感謝しているがモノクロ化に対してはあまり快く思っていない、ということだ」
つまり、雇い続けてもらうために透矢の味方はするが、モノクロ化を対処しようとしている俺たちを止める理由はない、ということか。
「研究員たちはわざと満腹になり、自ら眠気を誘うことによって透矢さんの味方をしながら私たちの味方をしてくれるということですね」
白鳥さんはなるほど、という感じで何度も頷いていた。
どうやら俺と似たような解釈をしたらしい。
しかし、陽介は苦笑しながら白鳥さんの解釈を否定する。
「いや、俺たちがいつ来るかわからないのに、そんな味方の仕方はしないさ。ただ、やる気はあまりないはずだし、深く考えずに昼食は取るだろうな。そこから俺の作戦に繋がってくるわけだ」
「けど、モノクロ化を快く思っていないのなら、こっそり協力してくれたりするんじゃ……」
「その可能性はないとは言えない。けど、確率はだいぶ低いし、あまり期待しすぎるのは良くないぞ? 協力ありきで考えると、協力がなかったときに困ることになるからな」
要するに陽介は不確定要素ばかりに頼りすぎるなと言っているのだろう。
出来る限り確定している事実や信憑性のある情報で動くべきなのだと。
まあ、油断しているってのも信憑性は薄いように感じるが、それはそれということで。
俺と白鳥さんは互いに顔を見合わせ、力強く頷いた。
「わかった。なら、俺たちは研究員たちは協力はしてくれないけど、決闘に対するやる気はないという認識で良いんだな?」
「そうだな。その認識でいてくれたら大丈夫だ。あとはどこで昼飯を食べるか、だな」
話題が移った途端、ぐー、とお腹の音が鳴る。
一体誰の音だとあたりを見渡すが、陽介と白鳥さんは呆れたようにこちらを見ていた。
あ、今のは俺か。
確かに朝飯はしっかり食べたけれど、青井さんに剣道の動きを教えてもらうために体を動かしたり、駅まで急いで移動したりと、結構体力を使っていた。
「あっははは……」
頭をかきながら恥ずかしさを誤魔化すように軽く笑い声を上げる。
「誰かさんがお腹すかせているようだし、ここでいいか?」
「仕方ありませんね。誰かさんがお腹をすかせてますから」
そう言いながら陽介と白鳥さんが小声で笑い合う。
病院のロビーだということを配慮した完璧な笑い方だ。
二人の笑い合う姿に少しだけイラッとした俺はそっぽを向きながら悪態をつく。
「うるせえな……まったく」
陽介も白鳥さんも俺が本気で言ってるわけではないことは理解しており、笑いが収まると同時に移動を開始する。
この病院の中には食堂や託児所、果てはコンビニや書店のようなものまで様々な施設がある。
勿論、それぞれの施設は小さいものだが、病院の中ということを考えれば異例と言えるだろう。
これは患者に付き添ってきた人や、ほとんど完治して院内を自由に出歩くことを許された入院患者向けに作られたものだ。
とはいえ、一般の人も自由に使うことができるし、色波虹希博士の研究所で働いている時にはよく使わせてもらっていた。
「ここに来るのも久しぶりか……」
少し懐かしい気持ちになりながら、食堂の中に足を踏み入れた。
食堂は食券制で、すぐに料理が受け取れる学食のような形になっている。
これは食堂の利用人数が多いことから、すぐに料理を出して回転率を上げることを優先したためだ。
「カツ丼をご注文の方!」
「あ、俺です」
最初に料理を受け取ったのは陽介だった。
一足先にメニューを決めていただけあって、料理が出てくるのも早かった。
「じゃあ、席確保してくる」
席取りを陽介に任せて、俺達は料理が出来るのを待つ。
「あっくんはここ、よく利用してたんですか?」
白鳥さんのあっくん呼びに少し反応が遅れる。
俺達が互いに十二年前の男の子と女の子であることを理解してからというもの、白鳥さんは俺のことをまた、あっくんと呼ぶようになっていた。
そのことについては納得したはずなのだが、やっぱり少し恥ずかしい。
ちなみに白鳥さんのお願いを断りきれず、俺もいーちゃんと呼ぶことになった。
「……ああ、休日にバイトがあった時なんかはよく来てたよ。あと、たまに色波博士に奢ってもらう時とかにも」
バイトを始めた頃は色波虹希博士に奢ってもらうことを申し訳なく思っていたが、次第に陽介と過ごすのと似たような楽しさを感じるようになっていたっけ。
また、色波虹希博士と来たいなぁ。その時には白鳥さんや青井さんを紹介したいし、トラウマを克服したことを自慢したりもしたい。
そんなことを思いながら、白鳥さんに微笑みかける。
「色波虹希博士に奢ってもらっていたんですか? ズルいです。羨ましいです」
白鳥さんは可愛らしく頬をふくらませながら抗議してくる。
色波虹希博士は世界的な有名人だし、その気持ちはわからなくもない。
俺だって知人が有名人と親しくしていたら、羨ましく思う。
まあ、俺の友人に一人、有名人と親しくしてそうな奴がいるが、不思議と羨ましいとは思ったことはないのだが。
「だったら、機会があったら色波博士を紹介するよ」
「本当ですか!?」
俺の言葉に白鳥さんは目を輝かせて食いついてくる。
しかし、すぐに顔を曇らせてしまう。
「……けど、色波虹希博士は今どこにいるかわからないんですよね……?」
「まあ、ね。まったく、今どこにいるんだろうなぁ」
なんとなく、湿っぽい雰囲気になってしまう。
しかしその直後、湿っぽさを吹き飛ばすかのように店員の声が響いた。
「カレーをご注文の方、それからキツネうどんをご注文の方!」
俺達は互いに顔を見合わせ、出来上がった料理を受け取りに向かった。
「はーい!」
「うどんは私です!」
俺達は料理を受け取り、陽介の姿を探していると、陽介が手を振っているのが見えた。
どうやら、料理を待っている間に席を確保してくれたようだ。
しかし、陽介の元へ向かったところで陽介に席取りを任せたことを後悔することになった。
「陽介、お前仕組んだな?」
「さて、なんのことやら。俺はちょうど三つ席が空いていたから取っただけさ」
「よくもまあ、いけしゃあしゃあと」
陽介が席取りしたところは、俺と白鳥さんが隣り合って座るように仕組まれていたのだ。
白鳥さんは少し恥ずかしそうにしながらも、空いている席の一つ、陽介の斜め前の席に座る。
俺はやむを得ず残った一席、白鳥さんの隣兼陽介の正面に座った。
「「「いただきます」」」
早速スプーンで米とルーをすくって口の中に放り込む。
「久しぶりの味だ……」
陽介や白鳥さんも各々の料理を食べて、顔をほころばせていた。
その後、しばらくは全員が一心不乱に食べ続け、三分のニほどを食べ終えた頃、陽介が口を開く。
「この三人での食事はあの時以来だな」
「そうですね。これから決闘に向かうという中で不謹慎かもしれませんが、久しぶりにこの三人でチームを組むことに、少しワクワクしてます」
「わかる。俺も若干、ワクワクしているからさ。あれから成長した俺達にどんなことが出来るのか。試してみたい」
陽介の言葉に胸がチクリと痛む。
違う。成長なんてしてない。俺は何も、変わっていない――変われてない。
気づけば机の下でぎゅうっと手を握りしめてしまっていた。
……落ち着け。陽介の言う成長とは単純に身体の大きさや力、知識量のことを言っているのであって、俺が気にする必要はない。
そう自分に言い聞かせて、心を落ち着ける。
「あっくんはどう思いますか?」
「えっ? あ、いや、俺もワクワクしてるよ」
考えに没頭していた分、少し反応が遅れてしまう。
「おい明人。いつの間にあっくんって呼ばれるようになったんだよ?」
そんな俺の内心を知ってか知らずか、陽介はあっくん呼びについてツッコんできた。
「ついさっきだよ……」
「は~! これから大切な決闘って時にイチャイチャできるとは」
陽介の口調は非難するというより、からかうといったニュアンスだった。
それを理解していたからこそ、俺と白鳥さんは互いに顔を真っ赤にして俯くしかなかった。
恥ずかしがっている俺達の様子を見て、陽介が口元を緩めた。
まるで、もう大丈夫そうだなと言わんばかりに。
俺の様子がおかしいことを見抜かれていたのだろう。それで気を使ってくれたらしい。
お礼を言ってもとぼけられるか否定の言葉が返ってくるであろうことは理解していたので、何も言わなかった。
その代わり、心の中で陽介に感謝する。
――ありがとな、陽介。
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