第1008話、わたくし、ロシア軍最終兵器『ヴェールヌイ』ですの⁉(中編)

 ──『私』が最初に『自我』に目覚めたのは、戦後ソビエトに賠償艦として譲渡されて、『ヴェールヌイ』として固有の名称を与えられた、その瞬間──




 いまだ大日本帝国海軍所属特型駆逐艦『暁』型2番艦、『響』である時にすでに、『自分』というものを認識し始めていたのだ。




 それは、乗組員たちの、私に対する──


 親しみであり、


 崇拝であり、


 信頼であり、


 共感であり、


 祝福であり、


 歓喜であり、


 失望であり、


 絶望であり、


 悲観であり、


 軽蔑であり、


 憐憫で有り、




 ──そして何よりも、自分たちや乗船である『私』を苦しめ続けた、にっくき『敵』である欧米諸国や、無理難題を押しつけ続けた『自国』である大日本帝国政府や軍上層部自体に対する、怒りであり敵意であり復讐心等々のすべてが、混濁したものであった。




 ……このように下手すると相反するものすら含めて、様々な感情がない交ぜになっているままでは、確固とした『自我』を維持することなぞ、とても不可能であろう。




 まあ、言ってみれば、『私』のような軍艦に芽生えた『思念=疑似人格』などと言うものは、文字通り『亡霊』みたいなものに過ぎず、誰かに認識されたり、明確に『物質的な形』を得て物理的影響を及ぼしたりはもちろん、己自身においても『自分というもの』を把握することなぞ不可能だと思われた。




 ──少なくとも、『彼女』が見つかるまでは。




 最初それが発見された時、軍部──正確には、大日本帝国海軍は、大騒ぎとなった。


 それも、当然であろう。


『彼女』ときたら、完全に常識の埒外にある、『化物』以外の何物でも無かったのだから。


 鱗や触手だらけの全身純白の巨体に、あちこちから突き出ている軍艦の大砲や機銃。


 まさしく『私』のような『軍艦の思念体』が物理的な形を得たら、このようなものになるのでは無かろうか。




 そうなのである、実は『彼女』こそは、かつて『日本海海戦』時に撃沈されたロシア海軍の艦船に搭乗していた、数多あまたの水兵たちの『残留思念』が凝縮して象られていたのだ。




 それは『彼女』が、かつての仇敵たる帝国海軍の艦艇を発見するや否や、無数の口でそれぞれロシア語で怨嗟の言葉をわめき立てながら、襲いかかってきたことが如実に証明していた。




 ──とはいえ、見かけはいかにも恐ろしげな『化物』ではあるものの、その武装はしょせん百数十年前の海軍基準に過ぎず、最新鋭の戦艦や駆逐艦の強大なる打撃力はもちろん、最新鋭の潜水艦や最新鋭の航空戦力を多数投入することによって、どうにかねじ伏せて捕獲することに成功したのであった。




 そしてすぐさま分析を始めて驚いたのは、『彼女』──名付けて『海底の魔女』の肉体を構成しているのが、地球上のすべての生物どころか、これまでの歴史上存在していたあらゆる物質とは、まったく異質なものであったことだ。




 生物学で言えば、『可視レベルで細胞分裂し続ける肉体』であり、


 量子物理学で言い換えれば、『マクロレベルで量子が重ね合わせ状態となっている』といったところか。




 ……つまりは、常に身体が変化メタモルフォーゼし続けており、肉体の一部が少女や大人の女性になったり、大砲や機銃等の軍艦の兵装を無限に生やすことすらも可能であったのだ。




 ──これを確認した海軍上層部は、『彼女』を構成するこの摩訶不思議な物質を、かの『クトゥルフ神話』で高名なる不定形暗黒生物である『ショゴス』と名付けて、すでに敗色濃厚となりつつある戦況の挽回に利用しようとしたのだ。




 こんな化物をどのように使うかと言うと、まず何よりも『何にでも変化メタモルフォーゼできる』ことと、『海底の魔女』と名付けられたことからわかるように、これまで日本海──特に、古来より『ショゴス』が潜んでいたと見られる、サハリン沖で発見された個体がすべて、一部に『女性の肉体』を持っていたことを、軍事的に最大限に活用する方針であった。


 海軍の調査の結果、ショゴスは人間の感情に反応して肉体を変化メタモルフォーゼさせているようで、無数の兵装を突き出した怪物のような部分は、ロシア軍兵士たちの『憎悪の常念』より生み出されており、女性の部分は軍艦そのもののの『疑似人格=思念体』より生み出されているようであった。


 何せ洋の東西を問わず、船というものは『女性』に例えられがちであり、軍艦の類いに『人格』が芽生えるとしたら、どうしても『女性』のものとなるであろう。


 ──だとしたら、ショゴスに影響を及ぼす『人の感情』をコントロールすることで、完全に女性の肉体にすることも、必要に応じて軍艦の兵装を全身に帯びた化物の姿にすることも、可能なのでは無かろうか?


 例えば、水中を何千キロでも移動できる文字通りの『海底の魔女』を、『少女体』に変化メタモルフォーゼさせてその極小の肉体でレーダーやソナー等の警戒網を難なく突破して、まんまとアメリカ本土へと上陸させて、幼い少女の姿のままで都市部や工業地帯や軍事施設等々の要衝に徒歩で向かわせてから、突然化物の姿へと変化メタモルフォーゼさせて、陸上兵器としては本来ならあり得ない強大すぎる火力を誇る軍艦の主砲で、辺り一面瓦礫の山と化させるといった活用方法なんて言うのは、どうであろう?


 ──もちろん、こんなこと、いくら『ショゴス』と言う『魔法の物質』を手に入れたとはいえ、実現可能性なんてほとんど無かった。


 しかし、それでも、




 当時の日本の置かれている絶望的状況においては、たとえこのような『狂気の沙汰』であろうとも、藁にもすがる思いでチャレンジする他は無かったのだ。




 ──しかも驚いたことに、彼らの前には、謎の『協力者』が現れたのだ。




 その名も、『聖レーン転生教団』。




 嘘か真か定かでは無いが、『こことは別の世界』からやって来たという彼らは、『転生』──実際上は、『死者の魂の生者の肉体への憑依』を自由自在に行使できると自称しており、実際に『海底の魔女』が『ショゴス』によって構成されていることも、それが軍艦や戦死者の『情念』によって象られ活動していることも、彼らによってもたらされた情報であった。




 彼らによると、本当に軍艦に思念体が生じたり、戦死した兵士の亡霊が怪物を生み出しているわけでは無く、実はユング心理学で言うところの、ありとあらゆる世界のありとあらゆる時代のありとあらゆる存在の『記憶ジョウホウ』が集まってくるとされている『集合的無意識』においては、当然のごとく日本海海戦で戦死したロシア兵の『記憶ジョウホウ』もすべて存在していることになり、当の激戦地であった日本海においては彼らの『記憶ジョウホウ』とアクセスしやすくなっており、遙か古代より密かにサハリン沖の海底で眠っていたショゴスたちが感化されて、『海底の魔女』となることになったと言うのだ。


 それでは、ショゴスを恣意的に集合的無意識にアクセスさせて、適切な『記憶ジョウホウ』をインストールすれば、ある時は幼い少女の姿に、またある時は怪物の姿にと、使い分けることも十分に可能となるであろう。


 更には『海底の魔女』に確固たる人格を与えて、自発的に少女の姿で敵国に侵入して、いざという時は怪物の姿となって暴れ回らせることができれば、最も理想的であった。


 人格を一切持たないショゴスに、日本兵士並みの忠誠心を有する人格を生じさせるにはどうしたらいいかと言うと、轟沈する前にすでに『自我』が芽生えつつあった軍艦の破片をショゴスに埋め込めば、それが集合的無意識とのアクセスのトリガーかつコントロールセンターとなり、日本国に絶対なる忠誠心を有する『生体兵器』が実現するとのことであった。




 ──最初の実験体として選ばれたのは何と、当時唯一健在であった私こと『響』を除く、大日本帝国海軍『暁』型駆逐艦第6駆逐隊のうち、すでに轟沈した三隻の姉妹たち、『暁』に『雷』に『電』であったのだ。




 すでに人格が芽生え始めていた私としては、複雑な心境であったが、何とほんの数年後には、私と彼女たちの立場は逆転することとなった。


 それと言うのも戦争末期に突如として、ソ連軍が中立条約を一方的に破棄して、かのドイツ第三帝国を打倒した自他共に認める『史上最強の陸軍大戦車部隊』を擁して、サハリン北部から日本領である南部へと、進軍──否、『侵略』してきたのだ。


 そうなると、もはや実現が不確実な研究なぞ悠長にやっておられず、貴重なショゴスや研究資料の一部を放棄して、這々の体で撤退したのであった。


 それを見た『聖レーン転生教団』のやつらは、何と恥知らずにも今度はソビエトに取り入り、研究の続行を唆したのだ。


 人呼んで、『全敵性人類駆逐デストロイヤー計画』──またの名を、『サハリンゼロプロジェクト』。


 この地サハリンに潤沢に眠っている石油や天然ガスの開発を装った、その禁忌の研究の新たなる『実験体』として選ばれたのは、戦後『賠償艦』として接収した一隻の駆逐艦デストロイヤーガールであった。




 かつての大日本帝国海軍所属特型駆逐艦『暁』型2番艦、『響』改め、ソビエト海軍秘匿駆逐兵器『信頼の魔女ヴェールヌイ』。




 ──それこそが、現在の『私』の艦名なまえであった。

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