第395話、わたくし、シ○タゲもジョン・タイターも、論破可能ですの。(その4)

 ──それでは、前回予告いたしましたように、今回はいよいよ、『自称未来人』であるジョン・タイター氏の発言(=ネット上での書き込み)のうちの最大の焦点とも言える、『並行世界パラレルワールド』に対する独特な定義について、アニメ版『シュ○ゲ』本編の内容とも絡めつつ、徹底的に解説しつつ、情け容赦なく論破していこうかと思いまあす☆




 ジョン・タイターと言えば、『未来人』を自称していることからもわかるように、『タイムトラベル』や『タイムマシン』等の時間SFに特化した、(正体不明のネットオンリーの)論客なのであって、一見『並行世界パラレルワールド』は専門外のように思えるけど、彼が言うには、実はタイムトラベルとは、本当に本物の過去の世界──SF用語で言うところの『同一世界線上の過去』では無く、『別の世界線上の過去』、いわゆる『時代の異なる並行世界パラレルワールド』に転移することらしいのよ。




 ……まあ、この点に関しては、本作の作者自身も異論は無いんだけどね。


 何せこの説に則れば、時間SFにおける最大の泣き所である、『タイムパラドックス』問題が解決してしまうんだし。



 いわゆる「いまだ自分が生まれていない過去の世界に行って、父親を殺したらどうなるか?」という場合ケースにおいて、その過去の世界が、本物の過去の世界である『同一世界線上の過去』では無く、『別の世界線上の過去』──すなわち、SF小説と言うよりはWeb小説そのままの、『異世界』へと転移したようなものとしたら、その世界の自分の父親とそっくりな『赤の他人』をいくら殺そうが、世界の未来を一変させるような大改変を加えようが、タイムトラベラー本人には、何の影響も及ぼされないことになるわけ。



 ……こう言うと、いかにも画期的なアイディアのようだけど、これって結構前から言われていて、別にジョン・タイターが発案したものでも無いし、しかも彼の言う、『この現実世界とは、別の世界線』というものの定義が、とても頷けないとんでもない代物なのが、むしろ問題となっているのよ。



 それと言うのもねえ、そもそもなぜ『世界線』なるものがいくつもあるのかについて、事もあろうにジョンってば、「タイムトラベル等の世界間転移や、世界を一変し得る大改変が行われた際に、別の世界線へと分岐してしまうのだ〜」とか、ほざきやがったのよ。



 ……何よ、『分岐』って。


 おまえは世界と言うものを、『プラナリア』か何かだと思っているのか?


 これってWeb小説やラノベの読者様向けに、わかりやすく言い換えると、いわゆる『ループ』や『死に戻り』みたいなもので、実際にアニメ版『シュ○ゲ』本編においても、何度やり直そうが結局のところ、幼なじみの女の子を死なせてしまうことになる主人公が、ただ一人だけ世界線がどんどんとズレていっていることに気づいて、次第に精神を蝕まれていくという、『10年代アニメ』お馴染みの『鬱展開』になっているわけなの。


 ……う〜ん、Web小説やラノベを持ち出すまでもなく、『シュ○ゲ』自体が元々ゲームなんだから、『シナリオ分岐』が存在しているのは、非常に妥当な線とも思われるけど、だったらもう少しだけ考えてみようか?



 その『別のシナリオルート』って、主人公(すなわちゲームのプレイヤー)が、選択肢を選ぶごとに、新たに(プラナリアみたいに分裂して)生み出されるんだっけ?


 そんなことは無いわよね? すべての選択ルートのためのシナリオは、『最初から用意されている』わよね? もしそうで無かったら、単なる『手抜き』だよね?




 そうなのよ、世界と言うものは、あくまでもでの話とはいえ、ギャルゲ等同様に、『クソゲー』としての現実世界において常に我々プレイヤーの前に立ち塞がっている、情け容赦なき無限の選択肢に対応して、ちゃんと無限の世界線が最初から存在しているわけ。




 ……こう言うと、いかにも『トンデモ話』のようだけど、それはジョンとか『シュ○ゲ』の作者とかが、あえて『世界線』なんていうトンデモワードを使っているだからであって、この『世界線』と言うのを、『未来』に置き換えてごらんなさいよ?




「この現実世界においては、無限の選択肢の分だけ、無限の未来が存在し得るのだ」




 ほうら、小学生低学年の子供だって大納得の、『極当たり前なこと』を言っているだけになったでしょう?



 うふふ、『無限に存在し得る可能性としての世界』なんて言うと、いかにも小難しく感じられるけど、この『無限の世界』とはまさしく、『未来』のことに他ならないわけ。




 つまり、『別の世界線』である、異世界とか並行世界パラレルワールドとか過去や未来の世界の類いは、新たに分岐して生み出されるものでは無く、最初から無限に存在しており、しかもこの現在の世界と同時に確固として存在しているわけではなく、あくまでも『未来の選択パターン』を具象化したものとして、可能性上の世界としてのみ存在しているの。




 まあ、ジョン・タイター自身も、自説の『分岐世界』には自信が無かったようで、『別の世界線』なるものは(わざわざそのつど分岐する必要無く)、最初から(無数に)存在し得るかも知れないとも言及しているけど、現実世界と同時に存在しているという、三流SF小説的思想に固執していたところは、まだまだといった感じかしら?(超上から目線で)



 この『世界線分岐論』に則っているからこそ、アニメ版『シュ○ゲ』本編では、どんどんと主人公が別の世界線へと飛ばされていくことになるんだけど、結局幼なじみは死に続けるばかりだし、更には他のキャラたちにおいても、とんでもない『素顔』を晒し始めると言った、踏んだり蹴ったりの展開となっているのよねえ……。




 あのね、一応ここできちんと釘を刺しておくけど、これについては『ハ○ヒ』の時代からみんな勘違いしているようだけど、世界が分岐して別の世界線に飛ばされようが、過去や未来にタイムトラベルしようが、異世界に転移しようが、元いた世界が消え去ったり新たな世界によって上書きされることなんて無く、ずっと永遠に存在し続けているのであって、つまりは主人公が世界線を移動するごとに、幼なじみは永遠に殺され続けることになり、しかもそれは絶対に御都合主義的に『無かったこと』になったりはせず、最後の最後で幼なじみを救えたところで、何の意味もありゃしないのよ?




 なぜなら、これまで本作の作者が、何度も何度も言ってきたでしょう?




「世界と言うものは最初から、あらゆるパターンのものがすべて存在しているからこそ、タイムトラベルや異世界転生の可能性があり得るのであり、改変されたり消失したりすること無く、永遠にすべて揃って存在し続けるのだ。──なぜなら、世界と言うものは、その一つ一つが絶対に不変であり、しかもあらゆるパターンが最初からあると言うことは、『改変後の世界』も最初から存在していると言うことだから、改変する必要自体が、そもそも存在していないのである」




 ──ってね♫


 と言うわけで、ジョン・タイターの持説である、『タイムトラベル(による世界の改変)=世界線の分岐』は完全に誤りであり、そのためアニメ版『シュ○ゲ』の『ハ○ヒ』ばりのループ展開は、論理的に間違っていることになるんだけど、別に本作の作者自身は、アニメ版『シュ○ゲ』に対する、アンチ的結論を導き出したいわけではないの。




 何せ、この『論破』シリーズの最初にもお伝えしたように、今回のテーマとしては、ジョン・タイターのトンデモタイムトラベル理論を、完全に論破してしまうと同時に、たとえそのようなSF考証を楽しむ作品であろうとも、アニメという娯楽作品である限り、何よりもエンターテインメント性こそを尊ぶべきなのであって、そういう意味ではアニメ版『シュ○ゲ』は、時間SF的には欠点が少なくないものの、アニメとしては非常に優れた作品でありますゆえに、より大勢の皆様に是非ともお薦めしたいかと思いますので、機会がございましたらどうぞご視聴なさってください♡




(※某アニメ版『アズ○ン』顔負けの、最後の最後での力任せのつじつま合わせ的結論)

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