第120話、わたくし、『交換百合』という、新ジャンルを開拓しましたの。(その3)

「……アルテミス様、どうなされたのですか?」


「へ?…………」


 休日明けの、ホワンロン王国王都所在の、王立量子魔術クォンタムマジック学院高等部二年D組の教室。

 いろいろな理由から、心底疲れ果ててしまっている『私』は、まだ週の初めだというのにだらしなくも、HRホームルーム前の喧噪に包まれている教室の中で、一人机に突っ伏していたところ、


 すぐ間近にて、こちらを覗き込むようにしながらかけられた、少女のいかにも心配そうな声音。




 しかしその時の私は、それが自分に対する問いかけだとは、咄嗟すぐには思えなかったのだ。




 ──あ、いけない! 『アルテミス』って、私のことだっけ⁉


「……ええと、あなたは確か、伯爵家の御令嬢でしたわよね⁉ アルちゃ…………わたくしの取り巻きのリーダー格の! そう、そうです、そうなんです! この私こそが、ホワンロン王国筆頭公爵家令嬢、アルテミス=ツクヨミ=セレルーナご本人なのですわ!!!」


 実は『今の私』が、アルテミス……アルちゃんではないと、ばれたらまずいので、ここぞとばかりに、アルちゃんであることをアピールしてみた。

 すると、まるでお酢を一瓶丸呑みしたかのような、怪訝な表情となり、私から視線を外すや、『アルちゃん』の専属メイドであるメイのほうへと振り向く、伯爵令嬢………………………あるぇ?

「……ちょっと、メイさん、これって、どうしたことですの?」

「あはは、アルお嬢様ったら、日曜の朝から何だか、ちょっとおかしいのですよねえ」

「ちょっとお⁉ このアル様らしくない、奇妙きてれつな言動が、『ちょっとおかしい』レベルなんかじゃ、ないでしょうが!」

 ………………………………あれれれれ?

 ごまかせるどころかむしろ、更に疑いを抱かれてしまったようだ。

 ──マズい。このままでは、本当はアルちゃんでないのがバレてしまう!

 内心で焦りまくる私であったが、目ざとい伯爵令嬢殿は、取り繕う暇なぞ与えてはくれなかった。


「……ねえ、これって、またしても、『ゲンダイニッポン』からの転生者にでも、身体を乗っ取られていたりするんじゃないでしょうね」


 ──ぎくうっ。

 ……あ、当たらずとも、遠からずって感じじゃん!

「あ、いえ、それは無いですね。もしもゲンダイニッポンから『ゲーム転生』や『Web小説転生』をしているとしたら、異世界であることや公爵令嬢としての暮らしに戸惑ったり、逆にゲームやWeb小説の知識をひけらかしたりするはずですが、何だか挙動不審である以外は、それほど突飛な言動はされておられませんので」

 もはやこれまでか──と思っていたら、すかさず理路整然と否定してくれる、メイドのメイちゃん、ナイスフォロー!

 …………ええー、私そんなに、挙動不審かなあ?

「でも、アル様のご様子がおかしいのは、間違いございませんよね?」

「え、ええ、それは、確かに……」

 ──はい、すみません、確かに挙動不審ですよね? そもそも私、実はアルちゃんじゃないので。

 拭いきれぬ疑惑に満ちた視線でこちらを見つめ続ける、伯爵令嬢殿。

 だ、駄目だ、しょせん言葉なんかじゃ、ごまかせやしない!

 だけど、こうしてアルちゃんの身体を、『秘密の部分』も含めて、すでにすべて知り尽くした今となっては、『アルテミス様♡命』な取り巻き連中に、私がアルちゃんではないことを知られてしまったら、文字通り『命』は無かろう。

 ──ええい、こうなったら、最後の手段だ!




「あっ、アルテミス様っ⁉」


「──ひどいひどい、私のこと、信じてくれないなんて!」




 完全に硬直して、私への疑いのまなこなぞ、どこかに吹っ飛んでしまう、伯爵令嬢。

 ──それも、当然であろう。

 彼女が愛して止まない、セレルーナ公爵令嬢が、自ら腕の中に飛び込んできて、力の限り抱きついたのだから。


「──はわわわわわわわわわっ! 何この、やわらかさ⁉ それにちっちゃーい! むちゃくちゃほっそりとしていて、そのくせすべすべお肌で! うおっ⁉ 何つう、ええ匂いなんじゃ! これが『リアル・アルテミス様』クオリティか⁉ 私の夜のベッドの中の妄想のアル様や、特注の等身大アル様人形とは、比べものにならねえぜ!!!」


 すぐさま、効果てきめん。

 言語中枢がイカれるほど錯乱しつつも、すかさず力いっぱい抱き返してくる、オヤジ系伯爵令嬢。

 ──ちょっ、どさくさに紛れて、どこ触っているのよ⁉

「……あ、あの、少々、くるしい、のですが?」

「ああーっ、これはアル様、申し訳ない! ついに夢中になって、力の限り抱きしめてしまっておりました♡♡♡」

「あ、いえ、わかってくださればいいのです。──それよりも、わたくしへの疑いのほうは……」

「ええ、ええ、ただ今の抱き心地、間違いなくアル様でしたよ! もはや微塵たりとて、疑ったりしておりませんとも! だから、また抱きついてきてくださいね⁉」

「……あはははは」

 ふと気がつけば、今度はメイが私のほうを、いかにも不審げなジト目で見つめていた。

「め、メイ?」

「……なんか知りませんが、お嬢様ったら、この一両日で急に、『女の武器』を使うのがお上手になりましたようで?」

 ──うっ。

 ……す、鋭い。


 だって、仕方ないじゃない? アルちゃんの『身体』って間違いなく、この世界においても屈指の、『戦略級破壊兵器』なんですもの!


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 ──そう、それだけ昨日の日曜に目の当たりにした、アルテミス嬢の『身体のすべて』というものは、想像だにできなかった、只人ただびとの常識の埒外のものであったのだ。


 公爵令嬢ともなると、お風呂の中にもメイドさんがついてきて、着替えの世話はもちろん、身体や髪を洗うのも手伝ってくれるものと思っていたが、メイたちにそれとなく確認したところ、どうやらアル嬢自身のたっての希望で、浴室内では一人にしてもらい、身体や髪を洗うのはすべて自分で行っているようであった。


 実は、第二王女というやんごとなき立場にありながら、プライベートな空間ではできるだけ一人っきりになりたいという、いかにも庶民的な思考の私も、王宮内で同じようなことをやっており、非常に親近感を覚えたものであった。


 ──しかし。そんなほのぼのとした感慨なぞ、すぐさま空の彼方へと吹っ飛んでいった。


 まず、『最初のチェックポイント』において、早速度肝を抜かれてしまったのだ。


 脱衣場から浴室の入り口へと向かう途中の、壁面いっぱいに設けられている、巨大な姿見かがみ


 それは当然、すでに一糸まとわぬ私──いえ、アルテミス嬢の身体のすべてを、克明に映し出していた。


 あたかも月の雫のごとき銀白色の長い髪の毛のみをまとった、いまだ性的に未分化なおうとつのほとんど無い、華奢ですらりとした白磁の肢体。


 類い稀なる名匠が丹精込めて作り出した人形であるかのような、端麗なる小顔の中で、まるで夜空の満月そのままに黄金きん色に煌めいている二つの瞳。


 ──それは、公爵令嬢としての、きらびやかな衣装をまとっている、普段の彼女とは、まったくの別人であった。


 とはいえ、裸であるからといって、


 けして、いやらしいわけではないし、


 それどころか、女の色香など、微塵も感じさせはしなかったのだ。




 ──そう、いやらしくもなく、これっぽっちも女らしくなかったからこそ、むしろ、凡人にとっては直視できないほど、妖しくなまめかしかったのだ。




 まさしくそれは、この少女を讃える時に常套句的に使われる、『天使や妖精みたいな』──の、一言に尽きた。


 ただしそれは、ただ単に、美しさや、神秘性を、表しているだけでは、のだ。




 我々地を這うただの人間たちが、穢れた心で触れることをけして赦さない、もはや『神の領域』の存在──という意味こそが、真意だったのだ。


 まさにその、女でも男でもない、『性』というものを超越した、無機質的かつ絶対的な美しさは、もはや神自身の手による造形物であるかのような、神々しさを誇り、


 今この瞬間にだけ存在することを赦された、『奇跡の美の結晶』としか、呼びようがなかった。




 そしていよいよ、広大で豪奢な浴室へと入った私は、今度は直に自分の手で、まさにその『禁忌の存在』に触れることになる。


 ──その肌触り。


 ──そして同時に、己自身が『触られる』感触。


 その背反する二つの『快感』が、同時に私の脳みそを激しく刺し貫き、ほとんど臨死体験のごとき『絶頂感エクスタシー』を、文字通り一瞬ごとに与えてきた。




 ──確かにこういった、『入れ替わり』の物語は、すでに巷にあふれているだろう。




 ただしそのほとんどは、『男女間の入れ替わり』であり、お約束として、思春期の少年が美少女と入れ替わって、こんなふうに入浴時に、『ドキドキ☆ひゃっほい!』な大興奮シーンを繰り広げるってのが、お定まりだろう。




 しかしだね、諸君。女の身体の良さ──特に、自分の本来の身体との『違い』──が、わかるのは、むしろ同じ女のほうなんだよ。




『美少女』との入れ替わり?


 ──はっ、そんな生やさしいものじゃないね!


 間違いなく、天使だよ、妖精だよ、これって!


 もうね、裸を見るだけでも、ちょっと微妙なところに触るだけでも、『人類の原罪オリジナル・シン』レベルの犯罪ですよ!


 だって、この子の裸を写真に撮って持ち歩くだけで、『ゲンダイニッポン』だったら、ポリスメンにとっ捕まってしまうんだぜ?


 世に言う『存在するだけ罪作り』って、まさしく、この子のことだよ、ホンマ!


 このたった一両日の間で、入浴はもちろん、着替えたり、お手洗いに行くたびに、私がどんだけ、生きた心地がしなかったものか。


 例えるなら、モナリザの原画を、常に抱きかかえて生活しているようなものだよ。


 うん、もうね、この子はね、全異世界級の『芸術品』であり、老若男女を選ばず、誰だろうが皆殺しにできる、究極の生きた『凶器』だね!


 そりゃあ、伯爵令嬢だって、こんな子からいきなり抱きつかれたら、メロメロになって、すべてを赦すさ。


 私自身だって、現在こうしてこの子でいることで、発狂寸前の歓喜と快感とに苛まれているんだからね。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「……あれ、そういえば、いつの間にか伯爵令嬢のお姿が、見えなくなったのですが」


 長々と回想にふけっていれば、気がつくと、私の周りには専属メイドのメイ以外は、リーダー格の伯爵令嬢を始めとして、いつもはうざったいくらいまとわりついている、取り巻きグループの皆様が、一人残らず姿を消されていたのである。

「ああ、リーダーのくせに、お嬢様のことを疑うとは何事か──ということで、他の取り巻きの方々に連れられて、体育館裏のほうへと向かわれましたよ」

「え、それって……」

 しれっと宣うメイであったが、それは間違いなく、抜け駆けして自分だけ私に抱きつかれたものだから、それに嫉妬した他のメンバーたちが、リーダー格の伯爵令嬢を私刑リンチにかけようとしているんじゃないのか?


 私が女性の団結力のはかなさについて、心中で考察していた、まさにその刹那。


「──わわっ」

「姫様⁉」

「ステキー!」


 にわかに騒がしくなる、教室の入り口付近。


 何事かと思って、視線を向ければ、


「おわっ⁉」


 一見小柄でほっそりとしているものの、出るところは出ていてすでに女らしさを誇っている、高等部の可憐な女子用の制服に包み込まれた色白の肢体に、ハニーブロンドのストレートヘアに縁取られた端整な小顔の中で煌めいている、いかにも神秘的な紫色の瞳。


 まさにそこにいたのは、『おとぎ話のお姫様』そのものの、あでやかな一人の少女であった。


「……何、あの超絶美少女。あんな子、このクラスにいたっけ?」


 思わず口を突いて出た、至極もっともな私の感嘆の言葉を聞き、なぜか心底あきれ果てた表情となる、目の前のメイド少女。


「……他ならぬあなた様が、何をおっしゃっておられるのですか?」


「へ? もしかして、あの子、私の知り合い?」


 その間抜けな問いかけに対して、メイが返してきたのは、




 ──正真正銘、本日最大の、驚きの言葉であった。




「──眼鏡を外して、いつもとは違って念入りにメイクアップされているので、まったくの別人であられるように見えますが、間違いございません。──あの方は、ホワンロン王国第二王女の、『二の姫』様ですよ」

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