第10話、わたくし、『薄い本』の業の深さを思い知りましたの。

「──何をおっしゃっているの、我が王立量子魔術クォンタムマジック学院における、大本命の攻略対象は、第一王子のルイ様以外にあり得ませんわ!」


「いえいえ、いまだ中等部に入学されたばかりだというのに、すでに『マダムキラー』の名をほしいままにしている、天使の顔をした悪魔、第二王子のクロウ様のほうが素敵よ!」


「それだったら、正真正銘本物の天使であられる、現在初等部に在籍しておられる、第三王子のショウタ様が至高ですわ!」


「はんっ、皆様ってば、お子様趣味ねえ〜。別に攻略対象は現役の生徒に限定せずに、校内医ならではの大人な魅力、少々陰があるのがたまらない、ラウール先生こそイチオシよ!」


「生徒にだって、大人の魅力はあるわよ! 在学中ですでに王国剣士に叙されている、『双剣の若獅子』にして魅惑の『両刀遣い』のイアン=グールドマン先輩なら、女性のみならず男性もOKという、『来る者は拒まず、去る者は追わず』がモットーの、包容力なら学院ナンバー1なんだからあ!」


「剣の腕前なら、大将軍のご子息の、ゴータ=ギガント先輩だって、負けておりませんわ!」(※英語読みだと、ジャイアント先輩です)


「脳筋よりも、眼鏡男子! 学院きっての知性派、宰相のご子息、オズワルト=ノビルタ=ドラエルモンド様をお忘れなく!」(※英語読みだと、ノビータ=ドラエーモンド様です)


「おやあ、いいんですかあ、皆さん。いにしえの救国の巫女姫の生まれ変わりとも噂されている、聖レーン教団枢機卿猊下のご子息、マリオ=ネット=ワタツミ様を忘れては、神罰が下りますよお?」


「「「巫女姫の生まれ変わりなのに、男なのかよ⁉」」」


 ──早朝の、王立量子魔術クォンタムマジック学院高等部、一年D組の教室にて。

 いまだHRホームルーム前ということもあり、担任の教師が不在なのをいいことに、言い争いをどんどんと激化ヒートアップさせていくばかりの、主に女の子のグループ同士。

「……やれやれ、不毛な争いですこと」

 淑女レディたちがはしたなくも大声で怒鳴り散らすものだから、聞きたくもない話題を強制的に聞かされ続けて、うんざりとため息をつく、わたくしこと公爵令嬢、アルテミス=ツクヨミ=セレルーナ。

「──アル様の申される通り」

「まったく、困ったものですわ」

「周囲の目や耳のあるところで、ああもあからさまに、男性の品定めとは」

「しょせんは同じ貴族とはいえ、我々とは違って、下級の方ばかり」

「まさしく、お里が知れるというものですわ」

 そういって一斉にコロコロと笑声を上げる、自他共に認める学年カースト最上位トップの、我が女子グループ。

 さすがは、わたくしの取り巻きの皆さんよね。他の女生徒の方とは、格が違うわ。

 そのように胸中で自画自賛に酔いしれていると、なぜか取り巻きの皆さんが全員席を立ち、それぞれわたくしを背後から取り囲むような位置に展開した。

 ──なっ、何なの?

「……やれやれ、まったく、あのように、殿のお話ばかりされる方の、気が知れませんわ」

 そう言って、わたくしの両肩にそっと手を置く、取り巻きグループのリーダー格の伯爵令嬢。

「まったくですわあ。男なんてむさ苦しい生き物なぞ相手にせずとも、もっと美しく可愛らしいお方が、ここにこうしておられるというのに」

 次には、机の上に置かれていたわたくしの右手に、同じくメンバーの一員の右の手が重ねられる。

「ほんに、この銀白色の長いぐしなんて、月の雫のようだし」

 髪の毛を、撫でてくる、複数の手のひら。

「人形そのものの愛らしいお顔の中の黄金きん色の瞳ときたら、夜空のお月様みたい」

 真正面から、うっとりと見つめてくる、どこか潤んだ双眸。

「「「まだ十歳だからか、お肌のほうもすべすべぷにぷにだし」」」

 とどめに四方八方から伸びてきた指先が、わたくしの顔や腕や脇腹や腰あたりを、ところ構わず怪しい手つきでまさぐってくる。


「──ちょ、ちょっと、皆さん! 何をなさっておられるんですか⁉ ……もしかしてあなた方って、貞淑な淑女なんかではなく、むしろ『女の子大好き♡』だから、殿方に興味が無いだけなのではありませんの⁉」


 堪らずすべての手を払いのけつつ、勢いよく立ち上がり、暴漢お嬢様連中から距離をとりながら、まくし立てるように問いただす。

 それに対して、心底不思議そうに首をかしげる、取り巻きの皆さん。


「「「あら、貞淑な淑女であることと、ちっちゃな女の子が好きなこととが、両立していても、構わないではありませんか?」」」


「女の子を好きなことを、否定しなかった⁉ もうやだ、この人たち! ──メイもわたくしの専属メイドのくせに、さっきから傍観してばかりいないで、この人たちのこと、注意や警告ぐらいしなさいよ⁉」

 半ば八つ当たり気味に食ってかかれば、一人落ち着いて紅茶を飲んでいた、おかっぱ頭にエプロンドレスをまとった美少女が、おもむろに立ち上がりながら口を開いた。

「──皆様、踊り子さんには、くれぐれもお手を触れませんように。規約をお守りいただけない方は、規定通りに処罰の対象となり、場合によっては除名となりますので、ご注意を」

「何その、規約とか規定とか処罰って⁉ そもそもこのグループにおけるわたくしの扱って、実のところはどうなっておりますの⁉ 公爵令嬢として崇められているというよりも、何だかマスコットとして愛でられているように感じるんですけど!」

「……ふっ。何度も申しますけど、この世には、知らぬほうがいいことだって、たくさんございますのですよ?」

「ほんとだ、そのセリフ、確かにあなたの口から、これまで何度も聞きましたけど、知らないなら知らないで、何だか非常に気になりますわ!」

 ……まさか、わたくしって、いかにも当然のようにして悪役令嬢であることを自認しておきながら、本当は愛玩動物ペットとか実験動物とかいった、立ち位置にあったりするんじゃないでしょうね⁉

「まあまあ、アル様、お気を安らかに。それよりどうやらあちらのほうは、何だか新しい展開を迎えそうですよ?」

 え?

 彼女の言葉に促されるように振り向くと、確かに他の女子グループたちの言い争いの場が、何だか更に雲行きが怪しくなっていた。

 それというのも、さっきまでのグループ同士の言い争いではなく、むしろすべてのグループのメンバーがこぞって、一人の女の子を取り囲んで詰め寄るという、穏やかならぬ構図と変わっていたのだ。

「──あ、あの子は⁉」

 そう、今や孤立無援の状態になりつつあったのは、もしもこの世界が乙女ゲーであったなら、悪役令嬢であるわたくしにとっての対極の存在であったはずの、いわゆる『ヒロイン』の少女、アイカ=エロイーズ男爵令嬢であったのだ。

「何ですってえ⁉ もういっぺん、言ってみなさいよ!」

「……だから、くだらないって、言っているのですよ」

「なっ⁉」

「確かに王子たちは、みんなイケメンだし、あなたたちがはやし立てるのもわかるけど、それに順序をつけようなんて、愚の骨頂というものよ」

「愚の骨頂お⁉ それって、どういう意味よ!」

「どうせなら、優劣なんか決めずに、、愛でたほうがいいじゃん」

 ………………………は?

 あまりに唐突なる思いがけない台詞に、わたくしたちのグループを含む、女生徒全員が呆気にとられて、しばし言葉を失う。

「……何とまあ、乙女ゲーのヒロインらしからぬ、言い様ですこと」

 ──あ、いや、むしろ乙女ゲーのヒロインにとっては、ふさわしいのか。

「そ、そりゃあ、あなたのように平民出身のくせに、なぜだか王子様方にちやほやされている方だったら、いわゆる『逆ハー』展開に持ち込むこともできるでしょうが、そんなこと、文字通りあなたにとっての『固有魔法ユニークスキル』のようなものに過ぎず、私たちに真似できっこないではありませんか⁉」

 ……こらこら、逆ハーとかユニークスキルとかって、いかにもゲーム用語みたいなことばかり言い出して、本当にこの路線で大丈夫なのか? ──特にリアリティ的に。

「だからさあ、何で逆ハーとか、下世話な話になるのかねえ」

「ちょっ、逆ハーを──我々の乙女の夢を、下世話ですってえ⁉」

 いや、乙女ゲーはどうか知りませんが、現実の乙女は、逆ハーなんか夢見ませんよ。

「優劣に関心がなく、逆ハーも望まないとしたら、あなたは一体何がやりたいのですか⁉」

「そりゃあ、決まっているでしょう──」

 そして本来なら品行方正の正統派ヒロインであるはずの少女は、自信満々に言い放った。


「私と彼らが、一対一でつき合ったり、逆ハーしたりするんではなく、愛し合わせるんだよ」


「「「……………………は?」」」

 な、何でしょう。今確かに、けして正統派ヒロインから聞いてはならない台詞が、聞こえたような気がするのですが。

「……やれやれ、やはり私のような下々の人間とは違って、上流階級のお嬢様ではぴんとこないか。──仕方ない。百聞は一見にしかずってことで、これを見てちょうだいな」

 そう言って、やけに大きめなトートバッグから、薄い冊子のようなものを十数冊ほど取り出して、自分の机の上に広げるアイカ嬢。

「まあ手に取って、見てごらん」

「「「……はあ」」」

 とにかく言われるままに、それぞれ冊子の表紙を開いていく淑女たち。

 こうなればとても無視してなぞおられず、わたくしを始め他称『ロリユリ』グループのメンバーも、こそっと後ろから覗き込んだところ……。

「「「──! こ、これは⁉」」」

 何と言うことでしょう。

 そこに描かれていたのは、異世界転生者によって『ゲンダイニッポン』から伝えられた、『マンガ』あるいは『ドージンシ』と呼ばれる絵物語であった。


 問題は、登場人物たちがほぼすべて、我が学院が誇る上位攻略対象のイケメンばかりで、しかも彼らが全員一糸まとわぬ姿となって、むつみ合っていたところであった。


「……これはまさしく、『びーえる』ではありませんか⁉」

「おや、これはこれは、何と公爵令嬢におかれては、そのお歳でご存じでしたか。いやあ、将来有望ですね!」

「同好の士を見つけたかのように、瞳を輝かせないでください。──どこかの腐ったメイドが、自室のクローゼットの奥に、これとよく似た冊子を何十冊も隠していたのを、たまたま見つけただけです」

「──お、お嬢様、いつの間に⁉」

 どこかのメイドが何やら焦りまくっているようですが、ここは無視スルー

 なぜなら、この世界の守護たる、過去詠みカコヨミの巫女姫候補としては、是非とも確かめなければならないことがあった。

「……アイカさん、この冊子は、どこで手に入れられたのですか?」

「どこって、どこでもないよ。強いて言えば、私自身の脳みそとハートかな?」

「はあ?」


「つまり、これらの『びーえるドージンシ』はすべて、私自身の作品ってわけなんだよ」


 ──っ。

「……まさか、あなた、転生者、なの?」

「あはは、確かに元々この世界に『びーえるドージンシ』を伝えたのは、転生者の人たちだったけど、今ではすっかり根を張っていて、無数の蒐集家マニアが存在するのはもちろん、私のようなこの世界生まれの『書き手』のほうも、すでにごまんといるんだよ」

 す、すでに、そこまで汚染されていたの。

「いやいや、あなたは奨学金を受けて我が学院の編入試験に挑み、見事首席入学を果たした、勉学一辺倒の優等生のはずでしょうが? そんないかにも手間暇かかりそうな『マンガ』の作成なんて、実現可能なのですか⁉」

「愛さえあれば、不可能なんて無いのさ」

 ……いや、すっごい男前の台詞だけど、あなたが行っているのはあくまでも、腐女子活動だからね。

 わたくしが完全にあきれ果てて言葉を失っていると、上流中の上流のお家柄である侯爵家令嬢が、息せき切ってアイカ嬢に向かってまくし立てていった。

「これって、『えろいか』先生のご本ですよね? ということはつまり、アイカさんこそが、『えろいか』先生であられるわけなんですか⁉」

「えっ、もしかして、あなた」

「ええ! 私ずっと以前から、『えろいか』先生の大ファンだったのです! 先生の御作って、うちの学院の攻略対象の方々をモデルにしておられるじゃないですか? もう一目見た途端、すっかり夢中になってしまいましたよ!」

「そうそう。王子たちの特徴を捉えるのが、むちゃくちゃうまいんだよね!」

「やはりこれって、常日頃の逆ハー状態の賜物なの?」

「あ、うん。私としては、彼らとつき合う気なんて毛頭無いんだけど、お茶会に参加させてもらえば、彼らのことをじっくり観察できるじゃん。そうすると、妄想が大いにはかどるんだよね!」

「ああ、わかるわかる。私も学内で偶然、ルイ殿下とイアン先輩が一緒に歩いているのを見たりしたら、いろいろと妄想が膨らむから!」

「おおっ、なかなか素質があるじゃん。何といっても妄想こそが、創作活動の第一歩だからね」


 そのように、いつしか和気藹々と盛り上がっていく、我がクラスメイトの少女たち。


 そこには、貴族と庶民の対立も、イチオシの攻略対象の派閥争いも、もはや微塵も存在しなかった。


 ……知らなかった。『びーえるドージンシ』には無益な争いをやめさせ、乙女たちを一つにまとめる力があったのか⁉


「……もう、このクラスは、手遅れかも知れませんね」

「……お嬢様」

 絶望に打ちひしがれるわたくしに対し、肩を抱き慰めてくれる、専属メイド。

 ──いやあなたも、クローゼットの中に、大量に隠しているでしょうが⁉


「──やっぱ、『えろいか』先生の作品のイチオシは、『クロルイ』よね!」

「ああ、わかるわかる!」

「いつもは『オレサマ』気質のルイ様が弟君のクロウ様を引っ張っていくんだけど、夜のベッドの中では立場が逆転するの!」

「そうそう、年下の見た目天使のクロウ様が、家畜のように四つん這いになっているルイ様を責め立てるシーンなんて、もうギャップ萌えの極致で、これだけでご飯三杯ほどいけるってものよ!」

「まさにこれぞ、至高のカップリングだわ!」

「や、やだなあ、人前で自分の作品のことを詳しく解説されたりしたら、すごく恥ずかしいものなんだね」

「「「あははははははは」」」


 いや、本当恥ずかしいのは、勝手に『びーえるドージンシ』の登場人物にされたあげく、その痴態を事細かにあげつらわれているほうでしょう。


 大体あなたたちときたら、ここは共学の学院の教室で、しかも当の『登場人物』が何人もおられることを、忘れてはいないでしょうね?

 ほら、ルイ様ってばすでに涙目になって、耳を塞いで恥辱に震えているじゃないの。

 ……仕方ない、ここは元婚約者のよしみとして、この馬鹿騒ぎを終わらせてあげますか。

 そのように意を決し、わたくしが口を開こうとした、

 ──その刹那であった。


「はあ? 『クロルイ』が至高のカップリングですって? ちゃんちゃらおかしいわ! そんな低レベルの話は耳が腐るから、どこかよそでやっていただけないかしら」


 唐突に教室内に響き渡る、聞き慣れない少女の声。

 一斉に振り向けば、そこにいたのは、


 ──陰キャ・オブ・陰キャであった。


 ご、ごめんなさい! わたくしったら、つい動転してしまって。

 いやだって、そう形容する以外は仕様がない存在が、突っ立っていたのですもの。

 高校生にしては小柄でおうとつの少ないスリムな肢体を包み込んでいるのが、我々と同じ制服だから間違いなく学院の生徒ではあろうが、ピンクがかったブロンドの髪は無造作に伸ばされて、後ろのほうは一応リボンで結んで一本にくくられているものの、前髪のほうはただでさえ分厚いレンズの眼鏡に隠されている目元をほとんど覆っていて、結構整っていると思われる顔つきが台無しとなっており、全体的に陰鬱な雰囲気がそこはかとなく感じさせられるといった、まさしく陰キャの代名詞のような人物であった。

「……誰?」

「いや、誰って、あなたのクラスメイトですよ! 彼女ちゃんと入学式からおられましたよ!」

「え、ごめんなさい。でも全然、印象に残っていないんですけど……」

「たとえそうでも、そんなことを、ご本人の前でおっしゃらないでくださいよ! 下手すると、ふけい──」



「あ、はい」

「少し黙っていて。私のほうは今のところ、セレルーナ公爵令嬢には用は無いから」

「も、申し訳、ございませんでした!」

 謎(w)のクラスメイトのほうへ、ビシッと最敬礼するメイ。

 ……何なのよ、このクイーン・オブ・陰キャの子って。

 なぜかメイがいつになく必死に私に突っ込んできたかと思えば、それを当然のようにして、有無を言わさずに遮るなんて。

 この二人、以前からの知り合いなわけ?

 ……あれ、そういえば、ルイ王子ったら、さっきよりも更に沈痛な表情をして、頭を抱えているけど、どうしたのかしら?

 このようにわたくし自身はほとんど話について行けなくなっていたものの、自作の『びーえるドージンシ』をこっぴどくこき下ろされてしまったアイカ嬢のほうは、当然黙っていられるわけが無かった。


「……ねえ、まさか『耳が腐る低レベルの話』って、私の作品のことを、言っているのかしら?」


 あたかも地の底を這うかのような、重苦しく低い声音。

 それは間違いなく、普段は誰よりも明るい、元気の代名詞のような『ヒロイン』少女の、花の蕾のごとき唇から放たれていた。

 ──怖っ。

 この子、こんな声も出すことができるんだ。

 しかも表情のほうも、けしてヒロインがやってはいけないような、見るからに憎々しげだし。

 しかし陰キャなクラスメイトのほうは、何ら堪えていないようであった。

「ふふふ、プライドだけはいっちょ前にあるようね。──いいわ、あなたを見習いましょう、文字通り論より証拠ってことで、これを見てちょうだい」

 そう言って、どこかで見たようなやけに大きなトートバッグを持ち出して、そこからやはりデジャヴ感たっぷりに、十数冊ほどの薄い冊子を取り出し、適当に机の上に並べて────って、ちょっと待て、おいっ!

「な、何よ、これ⁉」

「ルイ様とアル様のカップリング?」

「ということは、びーえるではなく、普通に男女のノーマルカップリング……」

「つうか、ガチのロリコン18禁の、低俗エロ本じゃん!」

「……うわあ、趣味が悪いというかむしろ、人間性を疑うわ」

 見るからに嫌悪感をむき出しにしつつ、口々に歯に衣着せぬ全否定的意見を呈していく女生徒たち。

 それに対して、むしろ勝ち誇っているかのような笑みを、いまだ微塵も揺るがす気配のない、陰キャクラスメイト。

 そんな中にあって、なぜかアイカ嬢ただ一人だけが、顔を真っ青に染め上げて、手元の『びーえるドージンシ』を食い入るように睨みつけていた。


「………………あれ?」


 その時、女生徒の一人が、何かに気づいたかのようにして、声を上げた。

「うん、どうしたの?」

「……ねえ、これってひょっとして、ノーマルカップリングじゃ、んでは?」

「はあ? 何を言って………………あっ」

「何だ何だ」

「ちょっと、ここを見てみ」

「えっ、こ、これって!」

「やっぱり、そうだ」

「おかしいと思った」

「なんか違和感があったんだよね、この絵柄って」

 次々に、『何か』に気づいていく、少女たち。

「えっ、何々、みんな、どうしたの?」

「ほら、アル様も、ここら辺の絡みの描写シーンを御覧になれば、おわかりになりますよ」

「ちょっと、メイ! 自分をモデルにした絡みのシーンなんて、そんなにまじまじと見たりできるものですか!」

「……仕方ないですねえ、それならこの私がご解説いたしましょう。──実はですねえ、ここに描かれている受けキャラのほうの子って、アル様であるようで、アル様ではないのですよ」

 へ?

 あまりにも妙ちきりんなことを言われたので、つい見たくもない自分の濡れ場に注目してみれば、確かに『わたくしそのもの』と言うには、多大なる違和感があった。


「……これって、もしかして、男の子なの?」


 自信なさげに口にしたところ、メイがうんうんと大きく頷き返してくれた。

 確かにこれは、まじまじと何度も見つめ直さないと、気づきにくいであろう。

 元々わたくしそのものが、年齢的にいまだ性的に未分化で、女性的おうとつなぞほとんどなく、少年のような体つきをしていて、しかもマンガ内の『わたくし』ときたら、いわゆる『受けキャラ』あるゆえか、表情とかあえぎ方とか様々な点で、いかにも女性的に描かれていて、どうしても一見しただけでは、性別がはっきりしないのである。

 しかし、よくよく見てみると、いくらおうとつが乏しいからって、この『わたくし』は徹底的に女性的な『丸み』が排除されていて、しかも実物の私よりも手足が長かったりして、顔つきも比較的少年ならではの精悍さが垣間見られて、意識して見ると、もはや男としか思えなくなるほどであった。

 ──すると、不思議な現象が起こった。


 少女だと思っていた際には、ただただ穢らわしい反倫理的な作品でしかなかったものが、少年だとわかった途端、倫理的にそれほど問題ではなくなると共に、女の子と思っていた時よりも更に、背徳的かつなまめかしく見えるようになってしまったのだ。


「なぜだろう」

「アル様を男の子にするだけで、こんなに受ける印象が違ってくるなんて」

「……でも、いいよね、これって」

「うん! わかるわかる!」

「肉体的には十分大人である高校生の少年が、十歳ほどの女の子を責め立てるなんて図だったら、見るも耐えなかったところなのに、男同士だということになれば、背徳感や禁忌度が増加してよりスリリングになるのに反して、男女間の睦み合いに付随する『いやらしさ』が無くなって、少々どぎつい展開になっても平気で読めるんだよね」

「それでいて、どうなの、このアル様の、なまめかしさときたら!」


「──それについては、俺たち男性陣から述べさせてくれ」


「えっ」

「あれっ、ラウール先生やイアン先輩やギガント先輩やノビルタ様やマリオ様やその他の、我が学院が誇る攻略対象上位ランカーの、イケメン男子の皆様ではないですか⁉」

「い、一体、いつの間に……」

「まあ、そこら辺についてはこの際どうでもいいだろう、とにかくここは我々にも発言の機会を与えてくれないか?」

「え、ええ、別に構いませんが……」

「それでは改めて述べさせていただこう、──だがその前に、セレルーナ公爵令嬢におかれては、これからご本人の前でかなりきわどいことに言及する可能性もあり得ますので、前もって心からお詫び申し上げておきます。それというのは、これは本来なら言うまでもないことなんだけど、今回は必要に迫られてあえて述べさせていただくが、我々攻略対象一同は、いかにアル殿が絶世の美少女とはいえ、いまだ十歳ほどの貴女に対しては、断じて『性的な関心』を向けたりしていないことを、ここに断言しておきます」

「──ぶっ!」

 ちょ、ちょっと、ラウール先生、いきなり何てことを言い出すんですか⁉

「すまない、アル殿。今のはけして私の個人的意見では無く、ここにいる男子全員の総意であるわけなのだが、それは真っ当な倫理観と精神を有する男性であれば、至極当然なことに過ぎないのだ。──しかし、この少年版アル殿については、話がまったく別なのです」

 は?

「中性的に描かれているからこそ、女性的な部分を完全に否定しているからこそ、むしろ少女である実際の貴女よりも、なぜだかある意味『そそる』存在ともなっているのですよ」

「そうそう、その通り!」

「……俺、初めてだよ。びーえるの本を見て、ガチで興奮したのって」

「ええー、僕には、そっちの趣味なんて無かったはずなのにぃ〜」

 そんなことを口々に言いながらも、食い入るように『私』の痴態を凝視している、攻略対象の皆様。


 いやー! やめてえ!

 いくら性別を書き換えられていると言ったって、私そっくりに描かれた少年の、微に入り細に入り描かれた裸や絡みのシーンを、知り合いの殿方に見られてしまうなんて、一体どんな拷問なのよ⁉


 もはや耐えきれず、ただただもだえ苦しむ私だったが、

 そんなことなぞガン無視して、アイカ嬢に向かって、いかにも勝ち誇った表情で言い放つ、陰キャクラスメイト。

「どう? これぞ実際にモデルが存在している『びーえるドージンシ』の、まったく新たなる創造手段よ。いくらイケメンとはいえ、実在のルイ様とクロウ様をモデルに『びーえるドージンシ』を創ってみたところで、読者からは当然『それなり』の反応しか返ってこないわ。しかしこれを同様によく見知っている相手とはいえ、性別を書き換えて女性を男性化させて『びーえるドージンシ』を創ってみれば、びーえる関係作品における長年のマニア的読者といえども、これまでにない革新性と背徳感に圧倒されて、新たなる境地を広げることすら、十分あり得ることでしょう」

「……うぐぐ」

「何、どうしても負けを認めたくないってことなの? 案外器の小さい女ねえ」

「あ、あなた、もしかして──」

「うん?」


「伝説のびーえる作家、『ジミ王子』あるいは『ジミオ』先生ではありませんか?」


 何だか突然珍妙なことを言い出す、アイカ嬢。……え、まさか、壊れちゃったの?

 しかし、それに対してこれまでになく、真摯な表情となる陰キャ女子。

「……ええ、私こそが、『ジミ王子』──略して『ジミオ』よ」

「えっ、ほんとですか⁉」

「きゃっ!」

 あたかも飛びつくように駆け寄り、『ジミオ』先生の手を取る、『えろいか』先生。

 ……いや何この、いかにも頭の悪そうな文書は?

「ジミオ先生! 実は私、先生の作品の大ファンなんです!」

「えっ、あ、そ、そう、そうだったのですか?」

「そうなんです! それがこうして会えるだけでなく、直々に指導までしていただくなんて、もう大感動です!」

「し、指導って……あ、いえ、そう、そうなの。あれは、指導だったの!」

 あ、この子、長いものに巻かれようとしているわね。

「それにしても先生、あなたのような方が、うちのクラスにいたなんて、少しも気がつかなかったのですが?」

「「「そうそう」」」

 ……ここは、わたくしも一緒になって、頷いておきました。


「ああ、その辺は仕方ないの。私この春からずっと、保健室登校していて、こうして教室に来ることなんて、ほとんどなかったもの」


「「「──っ」」」

「ああ、違う違う。別に登校拒否とか、何かたちの悪い病気を抱えているとかではなくて、保健室では、同人誌の作成をやっていたの」

「へ? 授業中にそんなことやってて、保健室の先生に怒られなかったのですか?」

「実は保健のアリア先生も、いわゆる『びーえる同志』だったから、むしろいろいろと協力してもらったくらいなの」

「……ふうん、アリア君がねえ」

 それを聞いて何だか複雑な表情となる、校内医のラウル先生。

「でもなあ、同好の士か何だか知らないけど、学院指折りの堅物として名を馳せている彼女が、無意味に公私混同することなんて、ほとんどあり得ないはずなんだけどねえ。君って一体、何者なんだい?」

 わずかながら鋭い目つきとなって、伝説のびーえる作家の生徒を問い詰める、校内医殿であったが、


「──それについては、俺のほうから説明しよう」


 突然の威厳に満ちた少年の声に、咄嗟に振り向けば、

「……ルイ殿下?」

 そうそれは、間違いなく我が王国の第一王子、ルイ=クサナギ=イリノイ=ピヨケーク=ホワンロンであった。

「おい、その変装を、今すぐ取れ」

「えー、これって結構、着けるの面倒くさいんだよ?」

 そう言いながらも、渋々眼鏡や後ろ髪のリボンを外していき、髪をといたり制服の乱れをなくしたりして、外見を整えていく少女。

 ……何なの、この二人の気安さときたら。

 まるで、恋人同士か、家族──

 え? 家族って、王子様の? ……となると、彼女って。

 その時、完全に変装を解いた彼女が、ゆっくりとこちらに向かって振り返る。


 ハニーブロンドの長い髪に縁取られた、端麗なる小顔の中で煌めいている、紫色の瞳。


 そこには、すべての者から言葉を奪い去るほどの、絶世の美少女がたたずんでいた。


 ──‼ そりゃあ、何となく、見覚えがあったはずですわ!


 だって彼女とは、陛下御主催の王宮内パーティにおいて、何度もお目にかかっていますもの。


 ──まさしく、女王陛下の、『ご家族』として。


「じゃあ、僭越ながら、この俺から紹介しよう」


 そこでいったん言葉を切り、改めて教室内を見回す第一王子。

 ただただ呆然とするばかりの私たちを見て意を決した彼は、ついに本日最大の衝撃の事実を開陳する。


「そこにいる保健室登校の常習犯こそは、俺の双子の妹であり、女王陛下御自ら名付けられた通称で言うところの、『二の姫』なのだ」

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