第82話 過去を向き合う者たち
躊躇いながらも燈は事実を語る。
声が震えて、うまく話せない。喘ぐように少女は言葉を紡ぐ。
「私を殺したのは、私自身と──かつて弟になるはずだった人なの……」
燈は龍神の反応に身構える。失望、侮蔑の目で見られるかもしれない。そう──思ったのだが──。
彼は目を伏せて優しい声で言葉を紡いだ。
「そう……だったのですね。けれど、あの結末になったのは、姫だけの責任ではありませんよ。関わった者たちが少しでも気づけたのなら、おそらく変わっていたでしょう。今の私たちのように」
「
そっと燈の頬に龍神は手を当てる。ここに来るまでに随分と長い時間と回り道をしてしまった。けれどもそれは無駄ではなく、全てに意味があったのだと燈は思った。そしてその想いは龍神も同じだったようで、酸漿色の双眸はとても優しい。
「そうだな。ここにいる者たちは殆どが過去に囚われている。だからこそ、眼前のアレもなんとかするって話だろう」
「……武神。今、良いところなのですから、少し空気を呼んでもらえませんか?」
そう指摘しながら龍神はちゃっかりと燈を抱き寄せる。龍神の少し思い切った行動に少女は耳まで真っ赤にしながら、硬直した。思考回路は許容範囲を超えつつある。
(このぐらいは許されるでしょう)
(ふあああ……。いつになく
「空気を読んで、二人っきりにしてもいいんだが──」
「推測。二十一秒後に檻が壊れる」
「え」
「あ」
武神こと浅間龍我と、ノインは敵を補足しながら冷静に告げた。二人の世界に入っていたせいで、周囲の雷の檻がひしゃげるような音も聞こえていなかったようだ。
燈も龍神も互いに恥ずかしくなり、視線を逸らす。
互いに距離を取ろうとするが、離れがたく殆どくっついているような中途半端な形になった。
ギギギギギギギィイイ。
それは怒号にも聞こえ、耳を劈くような音だった。足止めももう間もなく終わる。だが、やることは変わりない。燈はそう思い、眼前の相手を見据えた。
「姫──いえ、燈。行けますか?」
「勿論です」
燈は龍神と目を合わせ、次に浅間とノインにも視線を向ける。互いにどのようなポジションで対応するか、打ち合わせもなく──けれどもごく当たり前に四人は構えた。本来、このメンバーであれば必ず燈に居た相棒が今、檻を蹴破って姿を見せる。鬼神として。
***
鎧武者は、かつて式神だった鬼神は龍神を見つけた瞬間、弾かれたように笑った。まるで世界そのものの何もかもがおかしくて、堪らないといったように見えた。
燈の傍には武神だった浅間龍我、星を奪われた神の転生者であるノイン、万物に最も近い神でありながら、人間に転生した龍神。物怪から式神に転じた一ノ瀬花梨。誰も彼も鬼神になる──堕ちる条件はさほど変わらなかった。
けれど、今。
鬼神は燈の前に立ち塞がり、敵として立っている。その事実に彼は笑うしかなかった。本当は泣きたいのに、笑うしかなかった。
本当は────だったというのに。
それを願っていながら、自分で自分の願いを殺した。
誰よりも切に願っていながら、自分から手を離したのだ。それが最善だと言いながら、最適解だといい聞かせて自分で貧乏くじを引いたというのに、それが今は悔しくて、苦しくて──身勝手にも許せないと思ったのだ。
なぜ自分がこんな目に合っている?
なぜこんな役割になっている?
それを是としていても、心は悲鳴を上げる。
愛おしくて、守りたくてこちら側になったというのに、許せない。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。許さない。憎い。許さない。許さない。許さない。許さない。
許せない。
その感情だけで──心が塗り潰されていく。もっと大事だった思い出も、信念も、絆もかなぐり捨てて衝動的な感情だけが突き進む。
光の檻から見える彼ら。
気の抜けたやり取り。賑やかな声。
あそこに居たのは、誰よりも傍に居たのは自分だった。あそこに自分の居場所が無いのなら、一度壊すしかない。全てをリセットする。
「ハハッ──ハハハハハハハハハハハッ!! ああ、そうか。そういう結末か。某が望んだ光景だが、こうなるとは──ああ、流石だ我が主。見事に全ての駒を揃え、辿り着いた答えが、結末が──お主の記憶を取り戻す旅路は、ここが終着となる」
徐に鬼神は燈に手を伸ばす。
「我が主──ッツ!!」
***
徐に鬼神は燈に手を伸ばす。
それは僅かに残った彼の心。羨望の眼差しを受けて、燈は胸が軋んだ。椿が本当に何を願ったのか──知っている。
だからこそ、その願いを叶える為に燈は挑む。
鬼の姿になろうとも、その瞳は椿のままだ。
褐色の肌に強靭な筋肉と巨体。黒髪は長く剛毛なのが伺える。なにより頭から五本の角が生えておりその纏う雰囲気は全く異なるのに、彼が泣いているように見えた。
泣きたくなくて、泣くのが嫌で人をやめたのに泣いているようだった。
燈の影から《荒御霊》が出て行ったからか、全身に広がっていた痣が消えていることに気付く。
いや、それだけではない。
少女は椿の気配を自身の中に感じ取れなくなっていた。仮契約とはいえ、縁を結んだ式神と燈の間には繋がりを感じることが出来ていた。それは空間が遮断されていても存在しているという感覚を持つことは可能だった。だが、今。燈は眼前の鬼──椿との繋がりが感じられない。
燈と龍神、武神の三人は一斉に駆け出す。
むろん、真っ先に駆け出した燈が最後尾となり、龍神と武神が先陣を切る。真っ先に辿り着いたのは武神だった。鬼神と真っ向からぶつかり、剣戟を交わす。
対して龍神は燈の真横から現れた漆黒の塊の攻撃を防ぐ。それは《厄災》。燈の中に封じていた何か。いや、それは三大妖怪の一角を担う。
名を
「おのれ、おのれ、おのれ──!」
「燈、こちらは私が抑えます」
「うん、わかった! 私が椿を一緒に戻ってくるまで、お願い」
燈は速度を落とさず、鬼神の間合いに飛び込む。
近くで見るとその威圧感に、足が竦みそうになる。けれど、無理やり体を動かす。
鬼神の鎧は檻を無理破ったせいでボロボロになっていた。だが鬼神はなりふり構わず、力任せに地面を跳んだ。その跳躍は二十メートルも離れた燈との距離を一気に縮めた。
先手必勝。
一撃が少女の頭上に振り下ろされる瞬間──。
武神の目の前に白い花びらが舞った。空間の揺らぎによって、一面の花畑へと移り変わる。
「!?」
空間の変動に僅かに動きを止めたのは、鬼神だけだ。燈も浅間も読んでいた。この空間が何なのか、二人には理解してかいしていたのだから。
宇佐美杏花によるアシスト。
そのコンマ一秒に満たない僅かな隙を狙って、燈と浅間は背後と前方から奇襲をかける。
一撃必殺──渾身の一撃は鬼神の背中と肩、双方を捉え叩き込まれる。凄まじい爆風と衝撃が周囲に咲く庭園の花びらを散らした。
血しぶきを上げて、態勢が崩れた武神に畳み掛けるように浅間は刃を振るう。その隙に燈は貫いた刃を通して、強制的に術式を発動させる。
「“秋月燈はここに式神との契約を望む”」
紡がれる内容は本契約の言葉。
ギョッとしたのは鬼神だった。抵抗しようとするが、体は動かない。
少女の周囲に風が集まり、桜吹雪が舞い散る。
「や、やめよ! 主、それを使えば今度こそ死──」
「“式神としての名を主に示せ”」
刀は眩い光を灯し、燈と鬼神は強制的に夢の中に落ちた。
ユーデモニクス(Eudaemonics) ─四千年の泡沫で君ヲ想フ─ あさぎ かな@電子書籍二作目 @honran05
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