最終章 それは燈の幸福論

第81話 紡いだ絆

『転移まで一分……ううん四十秒、かかるわ。それまで、耐えて!』


 静止していた時が動き出す。

 それと同時にがしゃがしゃと甲冑音が近づく。


「ハハハハッツ!!」


 鬼神の手に巨大な太刀が出現する。漆黒のどろりとした呪いから作り上げられた刀。禍々しく、刀身も歪だった。

 燈は逃げずに椿──鬼神に触れようと間合いに飛び込む。


(触れさえ出来れば、本契約の術式が発動できる!)

「ハッ、そう来ると思っていた!」

 

 鬼神は少女の手を振り払い、突き飛ばす。

 燈は両腕でとっさにガードするも、体はボールのように軽々と吹き飛び、壁に激突する。──かに見えた。


「菜乃花!」

『あー、もう! 最大出力でやるわよ!』


 ヤケともいえる言葉だが、菜乃花の爆破によって壁への衝撃を和らげる。次いで燈は壁を蹴って鬼神ではなく、別方角へ跳んだ。

 それはノインが吹き飛ばされた方角ふぁった。燈は有りっ丈の力を込めて、黒い蛇を切り裂く。邪気を浄化する刀。白刃が真昼のように煌めき、周囲そのものを祓い清めた。


「ぐっ……!」

「ノイン! 無事!?」


 黒い蛇が掻き消えると、燈はノインに駆け寄る。真っ白な壁には亀裂が入り、ノインの片腕はひしゃげて、コードやら銀色の骨組みや人工肉が垣間見えた。真っ赤な液体は間違いなく鉄っぽい、血の匂いが漂っている。


問題ないノープロブレム。予測可能領域──戦術コード〇三八一」


 無事なもう片方の腕が素早く反応し、銃声が七つ。全て耐物怪用の銃弾は漆黒の蛇を打ち抜く。蛇は「ギャッ」と潰れた声を上げて灰となって消えた。


「ハハハハッ! それでしまいか!?」

「否定。殲滅戦闘ジェノサイドモードに移行。照準補正」

「!」


 ノインはひしゃげた腕を切り離すと同時に、腕から小型ミサイルが発射された。至近距離からの砲弾は鬼神に命中。ノインのタイミングに合わせて、燈は鬼神の間合いに飛び込む。一撃を入れるため、下段から切り込むが──。

 キィン、と金属音が響き渡り、火花が散る。

 刃がぶつかり合い、燈と鬼神は鍔迫り合う。二対一であっても、鬼神の圧倒的な力の前では防戦一方だった。一撃でもまともに食らえば、燈は戦闘不能になる。


(やっぱり火力が足りないし、数秒も足止めもできない! ある程度力を削いでから術式を展開するしかない!?)


 すでに何合か打ち合っただけで、燈の肌は切り裂かれ、白のロングコートもあちこち血で染まっていた。

 しかしながら少女の身体能力向上に、鬼神は目をみはった。以前よりも身体の動きに無駄が無い。浅間武神との特訓の成果だろうか──などとその成長ぶりを喜び、そして嫉妬した。


「ハハハハハッ!! 諦めろ、もう我が主よ。某が守って──殺す。某が──傍に──殺す。誰よりも──大切な──ハハハハハッ!! 全てを殺しつくし、主を我が殺せば──!」


 鬼神は支離滅裂な言葉を紡ぎ、喚きながら斬りかかる。理性が摩耗し、魂が邪気に染まりつつある末期症状だ。

 さらに速度を上げた鬼神に、ノインと燈は出遅れる。それが致命的で、決定打となった。振りかざされた刀を、燈が捌き切ることは不可能だ。


「さらばだ。我が主」


 死。

 そう脳裏に過った刹那。

 轟ッツ!!

 雷が刀を振り上げていた鬼神に降り落ちる。爆破に燈は吹き飛ばされそうになるが、ノインが手を引いて退避する。

 鬼神は雷撃が直撃したが、殆どダメージはなくなおも燈たちに迫った。


「邪魔をするなぁあああああああ!」

「喚くなよ。別に貴様のものじゃないだろう」

「!?」


 燈とノインの前に転移した男は、瞬時に状況を把握して一閃を見舞った。凄まじい速度の斬撃に、さしもの鬼神は後方に飛びのく。

 轟ッツ!

 剣戟がぶつかり合い、風圧が周囲の空間の壁に亀裂を作る。


「結局、闇の飲まれたか。まあ、面白みもない結果だな。式神」

「あ──師匠!」


 深緑色の髪、黒の軍服を羽織った二メートルを超える壮年の男──浅間龍我は燈とノインの前に、転移した。いや、彼だけではない。


「雷天帝乃柩」


 真っ白な光が空間を一瞬で飲み込む。

 ドッツ!!

 先ほどと比較にならないほどの稲妻が、鬼神の動きを封じた。檻に囚われた彼は暴れまわるが、簡単に打ち砕くことは出来ないようだ。


「ぐっ……がっ……」


 光の残滓は白銀色で、それらが空から──天井のない空間から降り落ちる。燈は視線を上げると、天井のない空間から亀裂が生まれ、そこから白銀の長い髪の偉丈夫──龍神が姿を見せた。


「龍神? え、でも──」

もいずれここに辿り着くでしょう。けれど、幾ばくか時を稼ぐ必要がありましたので、私が来ました」


 淡々と──無表情で彼は多くを語らなかった。それは昔からずっと変わらない。龍神も「四季秋親」であり「龍神」でもあるのだ。


(龍神と秋親は一九八四年のあの事故で、生まれた第三の人格であり、同一の存在……。向かっている彼を「秋親」と呼ぶなら、龍神は──彼の本当の名を呼ぶべきだろう。私にその資格があるかは分からないけれど──)


 燈は遥か昔の《約束》を果たそうと彼の龍神の神名を口にする。それはかつて燈だった魂が死の淵で呟いた名。人身御供とされた時、「私を忘れないで欲しい」と言った口で彼の名を呟いた。その魂と龍神だけの──たった一度きり呼んだ名は──。


「来てくれてありがとう、迦俄麗かがり

「……!」



 ***



 龍神は目を見開き、息をのんだ。

 それこそ心臓が止まったような衝動にかられた。よもやここで、この場面で想い人がその名を呼ぶとは思わなかったからだ。せいぜい「秋親」と呼ばれるかもしれないとは思っていた。けれど、彼女は──本当に全てを思い出した彼女は、たった一度しか呼ばれなかった名を呟いたのだ。

 龍神となるずっと前。炎の化身だった神は生まれたと同時に全てを失った。

 母を殺し、父に殺され──切り刻まれて残った残滓。万物に溶け合いつつあった名も存在も消えゆくはずった神。

 それを見つけた幼子。その娘がつけた名と信仰という名の想いが龍神を生かした。

 龍神は彼女の言葉に口元を僅かに緩めた。


「貴女が呼ぶのなら、三千世界の果てだろうと馳せ参じますよ」


 それだけの価値がある。そう龍神は断言出来た。

 龍神の服装は神社の神職が着ている浄衣という白い服を纏っており、酸漿色の双眸は鬼神を睨んでいた。

 龍神はふわりと、燈の前に降り立った。その隣には浅間龍我が佇む。この二人が前に立っているだけで、少女は数十人の応援よりも心強かった。


 龍神はこちら側に残った武神を一瞥した。その視線に気づいて、武神──浅間はやってきた白銀の髪の男から視線を外す。


「正直、あちら側に居るのは、武神だと思っていたのですが……」

「ふん、否定はしない」

「否定してくださいよ、師匠……」

「あちら側でもいいと思ったが、俺はその前に馬鹿弟子にしてやられたからな。なに、すぐにアレもそうなるだろう」


 ノインは浅間に銃口を向ける。それを知りつつ浅間は動かない。龍神はちらりとノインを一瞥するだけに留まっていた。燈は、おろおろとノインと浅間を交互に視線を向ける。


「……さっきも言ったが、馬鹿弟子のせいで予定が諸々狂った。ので、あの元式神を何とかするまでは、味方だ」

「了解した。怪しい行動を起こしたら、容赦なく排除する」

「やれるものならやってみろ」


 険悪な雰囲気を断ち切ろうと、燈は二人の間に割り込む。浅間もノインも長身だったので、視界に入るためぴょんぴょんと何度か跳んだ。


「ちょ、二人とも! ──というか、師匠。このタイミングで余計な事したら、白悠里しろゆりに告げ口しますからね!」

「わかっている。貴様に何かあれば、沙羅紗は消えるだろうし、俺も本来の姿に逆戻りするだろうよ」


 浅間は燈の頭をぽんぽん、と少し乱雑に撫でた。その行為に龍神とノインは目を見張った。


「だが、《迷い家》の条件をこのタイミングで満たしたことに関しては、よくやった」

「はい!」


 当の本人である燈は嬉しさのあまり、口元が緩んでいる。無理もない。燈にとって浅間は自分の師であり、父親とも呼べる存在だったのだ。それを思い出せて本当に良かったと思った。


(この陣営なら、椿を取り戻せる)

「姫、髪が乱れてますよ。どこぞの武骨な者に軽々と触れさせてはダメですからね」


 淡々と無表情のまま龍神は燈の髪や服装を整える。しかし、その指先は躊躇いがあった。龍神がうずうずしている姿を察し、少女は自分から「えい」と抱きついた。


「──っ、え、な!?」

「これは、あの子と、八葉と──多岐姫の分です」

「………………」


 燈は自身の魂そのものの記憶を知った。

 みな龍神が看取った魂。その皆が願ったのは、呪い、恨み、怒りももちろんあった。

 けれど──。


「もっと生きたかった。死にたくなんてなかった」

「……そうでしょう。そう思うのは人として当然です」


 自然と燈は涙が零れ落ちる。

 震える声で彼女はずっと溜め込んでいた想いを言葉にする。四千年の想いがようやく形となった瞬間だった。


(後悔はたくさんあったし、自分の甘さや愚かさに腹立つ気持ちはあった。けれど、もう一度、彼を抱きしめたいという純粋な想いが圧倒的に強い。些細な《約束》を守り続けてくれた愛しい人へ。感謝と謝罪を)

「私と関わったから、貴女の未来が変わった」

「それは、違う!」


 燈は顔を上げて、龍神の言葉をハッキリと否定した。


「ごめんなさい。ごめんなさい……」

「姫……?」

「私を殺したのは、いつだって迦俄麗かがりでも、椿でも、兄でも、将軍でもないのに……! その責を押し付けたの」

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