第29話 壁
盾と剣で受け止めた牙犬の身体に、矢が次々と刺さってゆく。
見事な腕前だ。振り返るとトリシエラが構えを解くのが見えた。
彼女のジョブは『性術士』だが、弓使いとしてもかなりの素質があると思う。目が合ったので、賞賛の意を込めてニコリと爽やかに微笑んで見せたが、胡散臭そうな顔で目線を逸らされた。
俺の爽やかスマイルが通用しないとはな。地球では一度、登校中の女児にじっと見られていたから微笑んで見せたら、翌日不審者情報が出回るという悲劇もあった爽やかスマイルが。つまりは、いつも通りであった。
激戦の野営地を発ってから、2日ほど経過している。相変わらず、牙犬や鳥型の魔物、それにゴブリンや亜人種といった魔物の襲撃はあるが、次第にその頻度、数は減っているように思う。
代わりに遭遇するようになったのが、他の通行人だ。
馬車に乗った商人もいれば、警戒中の戦士の一団、そして徒歩でどこかへと向かう市井の人びと。人間相手も警戒を怠るわけにもいかないが、すれ違いざまに挨拶してくれる人もいて、ちょっとほっこりした気分になれる。街で見かけても特に気にしないような相手でも、外で会うと妙に嬉しくなる。
登山者が、他人に妙に優しくなったりするのと同じような現象だろうか。
コールウィングも、通りすがりの者に対しては意外と丁寧な対応をする。まあ、あれは登山者現象というよりは、猫被っているだけに見えるが……。というか、身内に極端に厳しい、のかな?
いや、俺は身内ではないな。身内と傭兵に厳しい。これが正しい。
……おっさんに好かれても仕方ないから、良いんだけどさ
道はなだらかな登りになっており、道脇には時折木が植えられているのみで、視界は開けている。
左右は瑞々しい緑色が広がっており、ついでに空は雲ひとつなく、青く晴れ渡っている。ちょっと暑いくらいだ。
絵のような美しい光景に目を奪われながら進んでいると、前方左側、北の方角の平原の中に、外壁のようなものが見えてきた。
「あれは何だ……?」
独り言のつもりだったが、後ろに来ていたマリーが耳聡く俺の呟きを拾った。
「何って、壁だろ?」
「ああ、マリー。街があるのか?」
「街はないねぇ」
マリーはちょっと笑いを含みつつ言う。
そういえば、スラーゲ―から初めて出たと思われている俺が、いちいち初心な反応をするから楽しいと言われたことがある。からかわれているな、これは。
「じゃあ何だ? ……砦か?」
壁で囲うものと言ったら、人の住居でなければ軍事拠点だろう。
「考えたことは分かるけど、違うよ」
「うーむ、そうか」
こちらの反応を楽しみ終えて、マリーが勿体ぶった様子で正解を教えてくれる。
「あれはね、農地を囲う壁だろうね」
「……農地」
「よく見りゃ、街壁よりも大分低いし、しょぼいだろう?」
「うーん、言われてみればそうか……?」
「近くで見たら、ところどころ壊れているのも見えるのかもね」
「そうか……魔物がいるから農地も1つ1つ自衛しなきゃいけないのか」
大変な世界だ、本当に。
「まあ、こんなのは立派な方だけどね。普通は、もっと安っぽい柵のようなもので囲っていたりするもんさ」
「ほう、王都が近いから豪華というわけか」
「そんな感じかな? よくは知らないけどさ」
マリーも知識豊かというわけではない。突っ込んだ質問をすると、こんな感じでグダグダになっていく。
「あ、近くで見ると確かにちょっと崩れてるな」
石を積んで、その上に木製の柵を取り付けたような構造なのだが、所々石が崩れているし、柵は植物に絡み付かれて荒れた感じになっている。
しかも、西向きの壁はそれなりに整備されているようなのだが、街道沿いに進んで南向きの壁を見ると、石ほとんど積まずに木の枠で囲ってお茶を濁している。これで効果あるのかね。
「農地全部をしっかり囲おうと思ったら、どんだけ金があっても足りないからね……。仕方ないさ」
「なるほど」
しばらく進むと、こんどは南側の平原にも似たような囲いがあったりして、この地に人の手が入っていることを示している。その日は日暮れまでほとんど魔物にも遭遇せず、街道沿いの村に到着となった。
村の有力者とエモンド家に関わりがあり、宿場に泊まるよりも安全ということらしい。
中に入ると、質素な土壁の家がいくつも並び、かなりの人口を抱えていることが分かる。空き地では子供たちが追っかけっこ遊びをしている。のどかだな。
村の中に、畑やそれに類するものはほとんどない。どうやら、こうした村は、周囲の農地に働きに出る人たち用の住宅地といった場所らしい。だから、村と言う割には人口は多く、壁の造りなんかもしっかりしている。
安全な地域では、壁などない村があちこちにあったりするらしいが、この辺りはまだそこまで安全な場所というわけではないらしい。
「ようこそおいでになりました」
権力者……村長らしき邸宅で、歓待されることとなったようだ。
板張りの間に薄い座布団が敷かれ、各々がその上にあぐらで座っている。男女問わず、正座のような座り方をしている者がいるが、それが礼儀というわけでもないようだ。
「かたじけない、ウオルー様。美味しそうですな」
「ええ、有難いです」
コールウィングとアアウィンダ嬢が配膳された食事を褒める。
玄米と魚の煮付け、それから山菜の漬物……かな?
質素ながら味わい深い郷土料理といった感じだ。
それをはしで食べるので、どこか日本の田舎に旅行にでも来た気分になるな。魔物素材とか入ってないし。
「いただきます……」
最も出口に近い場所に配された俺は、存在感を消してお偉方の会話に入らないようにして、食事を堪能する。
うむ、塩っ気が丁度良くてご飯が進むこと……。小鉢の山菜も、苦みとほのかな甘みがあっていい。フキ……から青臭さを抜いて、ちょっと味を薄くした感じか? うーん、地球のものと比べるのは難しいな。
グルメリポーターの大変さが分かるってもんだ。
「おいしいですねぇ……」
隣にいるサーシャも思わずにっこり。
相変わらず、食に関してはチョロインである。
一応権力者との晩餐ということで、どうなることかと思ったが、傭兵組の奴隷達も同じ席での食事が許されている。
というか、この世界の人はそういうのをあんまり気にしていないようだ。
スラーゲ―の飲食店でも、奴隷同席お断りなんてことはなかった。
まあ、放っておけば主人が奴隷の分まで金を落とすのだから、追い出す意味がないか。
あるいは、期間限定のものも含めれば、かなり奴隷制度が定着しているから、明日は我が身と思うのかもしれない。
ちなみに期間限定の奴隷は、職人に弟子入りするときなど、市民生活の様々なシーンと結びついて利用されている。そのため奴隷というものがそこまで極端に蔑ろにされているわけではない。
キュレス王国では、奴隷の人権を一定程度保障するような法令もあるくらいだ。
それでも、俺やエリオットのように、性目的で(と思われる)異性の奴隷を連れ歩くことに対する風当たりは強いのだが。
「この山菜が美味ですねぇ……」
「山菜か。サーシャは食べられる野草とか山菜とか見分けられるのか?」
「私ですか?……少しはといった程度です」
「うーん、そうか……」
「どうしてでしょう?あっ、帰りの旅のためですか」
「そうだな。任務後にどこに向かうにしても、そういう知識欲しいなと思って」
旅をしてみて分かったが、食糧の調達、テントの設営、そして魔物や盗賊など、かなりハードルが高い。
今後どこかに行こうとしたら、基本的にサーシャと二人旅ということになるだろうが……。はっきり言って無謀だ。
途中の盗賊、2人旅だったら襲われていただろう。魔物の襲撃、2人で対処し切れたはかなり怪しい。
大所帯で馬が多かったから魔物に狙われたというのを差し引いても厳しい。
「この世界の旅は厳しいなぁ……」
食事後、交代で村長宅の風呂まで借りることができた。
村長様様である。
サーシャと一緒に入りたいところだったが、それで村長宅で盛ってしまったら不味いのでしぶしぶ諦めて、手早く湯を浴びて出ると、アアウィンダ嬢が縁側で佇んでいた。
後ろには気配を消した彼女の従者が立っている。どうやら、護衛はいないようだ。久しぶりの安全地帯ということでのんびりとやっているのか。
「……アアウィンダ、様?」
思わず声をかけると、ハッとしたようにこちらを振り向くと、ぎこちなく作り笑顔を浮かべた。
「風が浴びたくなりまして……」
「そうですか。お風呂はもう?」
「ええ、入りました」
「湯が浴びられると思っていませんでした」
「有難いことですよね……ウオルー様にはもう一度お礼を申し上げないと」
「村長なんですよね?」
「そうですよ。正式には、王から委任された代官ということになるんでしょうか」
「ほう……むっ、もしかして、ここはもう王領?」
「そうです。直轄地ということになりますね」
「へぇ……」
キュレス港と、王都キュレスベルガは地理的に近く、そこまで後少しという場所であるから、王の直轄地であっても不思議ではない。
領地間には関所のようなものがあるのかと思っていたが、今回の旅でそれらしきものがあった覚えはない。だから知らぬ間に王領に入っていても不思議ではないのだ。
まあ、こんな魔物溢れる世界で、いちいち人の出入りを監視するなど不可能か。
「あの、ヨーヨーさん」
「なんでしょう」
「今回の旅では、色々と活躍されたと聞きました。お強いのですね」
「そうですかね……」
魔銃という優れた武器があって、チートジョブがあって、それでも強さ順に並べたら今回の護衛チームの下から数えるべき順位にいると思う。
まあ、そこを強く否定しても仕方ないので流しておく。
「魔物を前に怖いと思ったりしたことは?」
「そりゃあ怖いですよ、いつも」
「……ゴブリン退治を専門にされていると訊きました」
「専門?専門ではないと思いますけど……」
苦笑する。どこからどう話がいったやら。確かに最近はゴブリンスレイヤーと化していたけれども。
他に適当な獲物がいなかったというだけであって。
「ゴブリンのような亜人型の魔物を倒した後……苦しくなったりしたことはありますか?」
ああ、やっぱりそういう話題か。ちょっと嫌だなぁと思いつつ、少し考えて返事をする。
「ありませんね」
「そうですか……」
「ただ」
「ただ?」
「私が戦士団であったら……上司としたいのは、苦しんだことがある人間でしょうね」
「……何故ですか?」
外を眺めていたアアウィンダが、こちらの顔を覗き見るようにする。
「なんというのでしょう、痛みが分かる人間の方が、結局は強いからでしょうか」
「……なるほど」
ちょっと臭かったかな?
「といいますか、知っていらしたのですね」
「え?」
「私が戦士団に入ることです」
「ああ……いや、今までの言動からして何となくそうかなと思っただけですが」
家から出る。故郷を離れて王都近くまで行く。戦士の端くれという自己認識。まあだいたいその辺だろうなとは思った。
「キュレス港には、戦士団の学校があるのです」
「ああ、なるほど」
「いい成績を修めれば、王都の戦士団に入ることが許されます」
「それはすごい」
イメージとしては士官学校かな。末端までインテリとは思えないからなぁ。中枢にいるエリートメンバーか、一部のエリート部隊の隊員を輩出する場所なんだろう。
「だから、まだは入れると決まったわけではないのです」
「そうなりますね」
「入学試験に落ちれば私も、個人傭兵になるかもしれません」
「ははは」
冗談……だよな? 愛想笑いをしておく。
「正直に言えば、ちょっと自信を失っています」
「何故ですか?」
「旅の間、私も戦う気でいたのですが……ずっと皆さんに頼りっぱなしでしたから」
「まあ、護衛ですからね……」
「それでも、戦士になろうという私が護られているだけというのは、忸怩たるものがあります」
「ふむ」
「しかし、四方から聞こえる魔物の声、音、影を感じると、身がすくんでしまうのです」
「……」
「ごめんなさい、このようなことを言われても困りますよね」
ええそうです。
「……まあ、辛い体験をされて、心と身体がバランスを失うことは当然のことかと」
「そうですか」
「はい。あまりご自身に期待されない方が良いのかもしれませんね」
「期待、ですか」
「私などは、自分は落伍者だと思っていますから。身体が音を上げる前に逃げ出します。それはそれで問題ですが。アアウィンダ様の場合は、心がお強いばかりにそうはならないのでしょう。何事もバランスですね。もどかしいでしょうが、力を抜くべきときなのかも」
「……」
思い付きというか、その場凌ぎというかではあるが、それっぽいことが言えたな。うん。
どうもアアウィンダ嬢の周りには、コールウィングはじめお堅い人が多そうだし、本人も意識が高いのは感じるからな。俺みたいのがいる、というのは1つの勉強に……なるのかね?
しばし沈黙。
「ヨーヨーさんは、スラーゲ―に戻るのですか?」
「いえ。そのつもりでしたが、最近はちょっと迷っています」
「そうなのですか?」
「スラーゲ―にいても、ゴブリンを狩るしかありませんからね。せっかく都会まで出て来たので、何かしてみようかと」
「ヨーヨーさんであれば、うちの店で雇うこともできると思うのですが」
「ありがたいお話ではありますが。組織人というのは向いていないのです」
「そうですか」
評価してもらえるのは素直にうれしい。
だが俺がコールウィングの下にいたら、あの人高血圧で倒れるんじゃないかと思うよ。
お互いのためにあんまり関わらないようにしよう。
「どこか面白い場所があれば、行ってみようと思うのですが」
「魔物狩りができる場所、ですよね?」
「そうなりますね」
「うーん、キュレス港から南に行った地域には、魔物狩りの聖地があると聞きます」
「聖地ですか?」
「元はどこかの大貴族の土地だったのですけれど、魔物に対処できずに王領になったとか。国が管理して、魔物狩りを支援しているようですよ」
「ほほう」
「場所によって出現する魔物が異なり、かなり危険な場所もあれば、ゴブリン程度しか出ない地域もあるとか」
「面白そうな場所ですね」
「魔物狩りをしたい人には便利で、それで魔物狩りの聖地などと呼ばれていると」
「遠いのでしょうか?」
「どうでしょうか……私も聞いたことがある程度の話ですから」
「なるほど。調べてみる価値はありそうですね」
アアウィンダはまた外に目線をやっている。俺もその隣で外を眺める。まあ、暗闇と星くらいしか見えないわけだが。
「ヨーヨーさんは無茶をするとも聞きました。ご自愛下さいね」
「はあ」
「サーシャさんもいるのですから。彼女を路頭に迷わせてはいけないと思います」
「……ええ。しかし最近、戦っていて気が付くと視野狭窄になっているのです。実はちょっと悩んでいます」
「まあ」
「どうすれば治るんでしょうねぇ」
「人生経験でしょうか?」
「それは私に最も欠けているものですね!」
「ふふふ」
冗談めかした口調が通じたのか、アアウィンダ嬢が小さく笑みを浮かべる。
突撃グセに対処するには、とっとと魔法を練習して、後衛メインにするのがいいんだろうか。
キュレス港に着いたら魔法についても調べよう、と心のメモを書き足しておく。
「あと少しですが、宜しくお願いしますね」
「はい、お任せくださいお嬢様」
夜風が頬を撫ぜた。
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