第三十六話 店長の過去(3)
店の経営は順調とは言えなかった。
なぜなら、まほろば堂には祖父の代からの借金があったのだ。
孫が店を受け継ぐのを強く拒んだのは、それも大きな理由のひとつだった。
むろん、借金のことは承知で引き継いだ真幌だった。
しっかり頑張って、自分の代でどうにか店を立て直す。
そう強く決意していたが、やはり若い二人には荷が重かった。
滞る返済。金利もかさむ。
気が付けば借金は数千万円に膨れ上がり、まほろば堂は閉店の危機を迎えた。
若い夫婦は、この苦難を乗り越えようと懸命に働いた。
『ほんと無理しちゃダメだよ。元々、うちの借金なんだから。大丈夫だから』
真幌は病弱な妻に対して、何時もそう言っては優しく労わっていた。しかし美咲は、
『ううん、わたしも頑張らなくっちゃ』
とメイドの仕事や家事に精を出した。彼女は意外と頑固なところがあったのだ。
金策に走る夫を懸命に支える妻。しかし、心労や無理が祟ったのだろうか。
初冬のある肌寒い夜。元々心臓が悪く病弱な美咲は、夕食の準備中に突然倒れた。
狼狽する夫の真幌に抱えられ、こん睡状態で救急車に運ばれたのだ。
「そして彼女は……そのまま……」
「…………」
数日後、美咲は意識不明のまま病院のベッドで還らぬ人となった。
死因は急性心不全。入籍して僅か三年目の出来事だった。
享年二十五歳。結局、子宝は授からなかった。
突然の出来事だったので、別れの言葉も交わせなかった。
忍が悲痛な表情で説明を続ける。
「葬儀の後でね、喪主の真幌は彼女の父親にこう言われたの」
『真幌君、美咲は元々体が弱かった。君のことも幼い時から見ていて、ずっと本当の家族のように思っていた……だから、君を一方的に責めるわけじゃないんだが……君の元に嫁いで苦労しなければ、こんなことにはならなかったかと思うと……どうしても気持ちの整理が付かない……だから、もう……私たち家族の前に顔を見せないでくれ』
「ってね。だから今でも、彼女の両親とは絶縁状態なの」
「そんな……そんな……それじゃあ、店長があまりも……」
あまりにも可哀相過ぎる。望美の瞳にじわりと涙が浮かんだ。
「……当時の真幌は、本当に見ちゃいられなかったわ」
ずっと『本日休業』の札を掛けっぱなしで引き篭もり。
元々飲めない酒を
そうやって憔悴しきっては、薄暗い店内で独り言をぶつぶつと呟いていた。
『死にたい……会いたい……』
自分も妻の待つあの世へ行くことを、切に願うようになった。
「店長の髪の毛が総白髪になったのも……その時のことなんですね?」
望美の問いに「ええ」と頷く忍。
真幌の純白の髪の色は、望美の想像通り深い悲しみの証だったのだ。
「やがて真幌は毎晩、夜の倉敷市街を彷徨うようになった。まるで夢遊病者か亡霊のように」
ある寒い真冬の深夜。
その日は昼から雪が降っていて、倉敷の街や郊外は珍しく雪景色となっていた。
絶望の淵を彷徨う真幌。泥酔していて千鳥足だ。
白い吐息と共に、臓腑の底から気持ちを吐き出す。
『もう疲れた……』
幼くして両親と死別。育ての親である祖父に続いて最愛の妻をも亡くし、天涯孤独となってしまった。
しかも店は借金まみれで閉店寸前。若い世帯の安価な生命保険の受取金額では、到底返済には至らない。
生きていても辛いだけ。この世に自分の居場所なんて、もうどこにもありはしない。
吹き荒れる雪の中。気が付けば真幌は、高梁川大橋の上に立っていた。
高梁川は岡山県西部を流れる一級河川で、吉井川、旭川とともに岡山三大河川のひとつ。岡山県下で最大の流域面積を誇り、その支流域は広島県にも及ぶ大型河川だ。
深夜なので人通りはなく、車通りも少ない。
真幌は悴む手を白く染まった柵に掛け、橋の上から川の水面を覗き込んだ。まるで何かに吸い寄せられるように。
三途の川でも見るかのような悲壮な目つきで、呟く真幌。
『おとうさん、おかあさん、おじいちゃん……それに……』
暗闇の中。街頭の光を反射した川面が煌き、ゆらゆらと揺らめいている。
『みーちゃん……待ってて……僕も行くから……』
真幌は柵を飛び越えようとした。
その時――。
背後から誰かが、真幌の雪まみれの白い肩をぽんと叩いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます