第4話 騎兵団の中でそんな噂が回っていた
カレンデュラの街はリュカにとって王城にいた頃とは違って安らぎのある街だった。魔法使いだと指を差されることはあるが、それはどこに行っても同じだ。
カロリーヌの目が行き届かない。
たったそれだけのことでリュカは手足を伸ばして過ごすことが出来るのだ。王城を出ることをフランシスは頑なに反対していただけあって一悶着あったが、カロリーヌが助け船を出したのだ。
憎いリュカが生きていようとも、目の前から消えるだけで彼女もまた安らぎを得られた。リュカに向ける憎しみに彼女は少し疲れていたのだろう。リュカが出て行った王城は今までに無いくらい平和で静かな時間が流れている。
カレンデュラの騎兵団では一つの噂で賑わっていた。
――リュカ王子が笑っている――
カレンデュラの街に来た頃とは比べものにならないくらいに、今のリュカは表情を豊かにしているが、それはリュカに近しい者だからわかるものだ。他人からしたら違いなどわからないくらいにリュカの表情は氷付いていた。
リュカの使う魔法属性も相まって『氷笑の公子』とあだ名がついたのはまだ王城にいた頃だ。
リュカが笑えば不幸が訪れる。
リュカの笑顔は呪われる。
ドラゴン討伐時だけに溢すリュカの笑みにそんな噂が流れるようになっていた。市井まで噂が流れるまでに時間は掛からなかった。街を歩けばその名前が風に乗って聞こえるくらいには有名だ。
平時にリュカの笑顔を垣間見るようになったのは赤髪の兵士オーロルが赴任して来てからだ。
リュカの氷の笑顔を解かしたとオーロルは騎兵団を噂で賑わせている。
街に出ていたオーロルは店先に置いてある青い石の首飾りに目が留まる。
それはリュカの瞳によく似た色をしている。星々の煌めきを閉じ込めた夜空のように深い青色をしていた。
初めて空を飛んだ夜の思いが蘇る。愉しそうに笑うリュカに『氷笑の公子』の異名は似合わないとはっきり思う。まだ出会ってから間もないが、ぎこちなくもよく表情を変えるのだ。
噂にあるような凍り付いた表情というものが想像出来なかった。
「仕事中に私用の買い物はどうかと思う」
肩口から顔を出す兵士にオーロルは背筋を正す。街の治安維持のため巡回の最中に買い物をするわけにはいかない。それはオーロルも分かっているし、そもそも手が届かない品だ。
「それ、青が好きなのか?」
兵士はオーロルが見ていた青い石の首飾りを指さす。
「リュカの瞳と同じ色だなと思っただけで……」
オーロルの返事には興味がなさげで、兵士の犬も食わぬ様子にたじろぐ。
オーロルとリュカの仲が噂になっていることを知ったのはついさっきだ。どうしてそんな話になったのか疑問ばかりで、オーロルにしたら身に覚えがない。
リュカとの仲が噂になっていると聞いても、リュカの話を耳にしても、彼の為人とその噂がどうしても一致しない。
初めて出会った時、リュカはドラゴンに対して笑っていただろうかと、彼の笑顔とドラゴンが繋がらない。開口一番に怒られたということもあり、オーロルが気が付かなかっただけだが。
リュカとの仲を否定するのも失礼な気がし、肯定する事はリュカに迷惑をかけるのではと曖昧に返していた。
「……っこの、おい! そのガキ捕まえろ!」
怒鳴り声に目を向ければ子供が走っていた。子供は両手一杯に店の商品とおぼしきパンを抱えている。大人たちの合間を縫うように走り逃げる子供に周囲の者は手をこまねく。
子供を追いかける店主らしき男はちょこまかと逃げる子供に翻弄されては悪態を吐いた。
オーロル達が子供を捕まえようと動き出したところに、子供の進路を塞ぐように氷の柱が突然現れた。
ぶつからないように避けようにも、唐突に目の前に現われれば度肝を抜かすのは当然だ。子供は尻餅を付き、持っていたパンを全て落としてしまう。
子供は強ばらせていた顔を歪め、大きな声で泣き出す。
なんの襲撃かと構える二人の前に現れたのはリュカだった。
一仕事終えたと言わんばかりのリュカの様子に周囲は固唾を呑む。ドラゴンではなかったと安心している者もいるが、魔法使いだとあからさまに嫌そうな顔を見せている者もいる。
子供を追いかけていた店主も嫌悪感を隠そうともしない。
魔法使いは
ドラゴンへ抗うことの出来る存在であるが、その力を得る為に竜の肉を喰らうという行為にどうしても忌避感、禁忌があり、あからさまに後ろ指をさす者もいるのだ。
カレンデュラ街の人々は信仰心が低くその傾向は薄いが、それでも街の人はリュカから逃げるように側を離れていく。
その中には被害者の店主もおり、声を掛ける間もなくいなくなっていた。
リュカは泣きじゃくる子供に近づく。
子供は息を詰まらせ恐怖を浮かべてリュカを見上げる。
オーロルと一緒にいた兵士がリュカと子供の間に入ろうとするが、リュカはそれを制し子供の目線にしゃがむ。
「兄弟はいるのか?」
突然の問いに戸惑いながらも子供は頷き返す。
「……お姉ちゃんと妹がいる」
リュカは手のひらを子供の目の前で開き、真っ赤な飴玉を三つその小さな手に乗せ、もう一つを口に入れる。
子供はそれを慌てて吐き出し、震えながら子供は飴玉をリュカに投げつける。
「な、何を食べさせる気だ!」
「飴は嫌いだった?」
リュカは落ちた飴玉を拾う。
「こっちならどうだ?」
糖衣がかかった小さな干し果物を子供の手に乗せた。濃い赤と黒い実は子供のおやつにと人気があるものだ。兵士に後を託すように子供から離れる。
兵士はリュカに代わって子供の目線に屈み、じっと手の中にある干し果物を見つめる子供に笑いかける。リュカの優しさを代わりに伝える為だ。
リュカがなにをしても魔法使いだからと、人々は行為を素直に受け取らないのだ。
魔法使いたちを知る騎兵団の多くは、魔法使いだというだけで後ろ指を指されることに同情的だ。教義に逆らうことになるかもと、表だってなにかをしようとする者は少ないが、彼のようにフォローする者だっている。
今のだって魔法使いでなくただの兵士であれば子供は感謝に笑ったはずだ。子供と兵士の様子にやるせない思いがあろうと、これは昔からのことだと誰にも気が付かれないようにリュカは小さく下唇を噛む。
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