第3話 寄宿舎に持ち込める荷の量
寄宿舎に持ち込める荷の量が定められているせいもあり、先に届けられていた荷解きはさほど掛からなかった。同室者が備品の整理をしてくれていたおかげでもある。その同室者は夜勤があると挨拶もそこそこにすぐ出ていった。
オーロルは疲れた体を寝具へ沈めた。
彼女をドラゴンから助けたリュカは皆から『王子』と呼ばれていた。『王子』なんて大層なあだ名を付けられるほど我儘な人物なのか、それとも優れた人格者なのかわからないが、オーロルにしてみれば話を聞こうともしないイヤな奴だ。
それでも、ドラゴンから助けて貰った事を感謝していた。あの場で言いたい文句もあったが、お礼の一つ言えなかった事が気がかりだ。
溢した溜息に目を瞑ればドラゴンに相対した恐怖を思い出す。
震えだした手を止められず、体を丸める。幼い頃の絶望まで浮かび上がってくる。
比較的ドラゴンの襲来の少ない平和な街に暮らしていたオーロルだが、物心ついたばかりの頃、ドラゴンの襲撃で母と兄を亡くしていた。
その時に父は腕に大きな火傷を負い、オーロルの心にも深い傷を残した。
あの時のドラゴンも真っ赤な色をしており、しばらくは赤い色が見られなかったのだ。幼い頃オーロルの見事な赤い髪も目につかぬようにと、父が不器用ながらも一つにまとめてくれていたものだ。
どのくらいの時を恐怖に怯えていたのか、夕暮れの明りはすっかりなりを潜め、月明かりが部屋に差し込んでいた。
窓を叩く音と月明かりを遮る影に体を起せば、窓の外にリュカを見つける。
――窓の外に居る。
その不思議な光景に目を見張った。
「……ここ3階だよね?」
木の枝が窓の外に伸びているような事もなく、梯子のような物で登って来たようには見えず、リュカが魔法使いであったと思い出す。
――開けて――
リュカの口の動きにオーロルは慌てて窓を開ける。少し強い風がオーロルの長い髪を遊ぶ。
風に煽られること無くリュカは器用に錫杖に乗り、宙に浮いていた。
文句を、小言をまだ言われるのかと構えていたオーロルは、リュカの神妙な面持ちに目を疑う。先程の横柄な態度からは想像が出来なかった。
「あの、いや、……悪かったな」
目をそらし、ばつの悪そうなリュカにオーロルはなんのことか分からない。オーロルに思い当たるものがないのだ。
寧ろ、夜更に年頃の娘の部屋を訪ねて……窓の外から覗くような場所にいることの方が問題だが、二人はそれに気が付いていない。
なんと返していいのか困っているオーロルにリュカは慌てた様子で先を続ける。
「昼間、ドラゴンの……」
「ドラゴン……?」
ドラゴンに対して剣一本で向かっていくことはさすがに無謀だと落ち着いた今なら分かるし、武器も持たずに立ち向かう人を見つければオーロルだって止めに入るはずだ。
「だから、その、ドラゴンから逃すときに乱暴になって悪かったって……」
謝られるよりも、オーロルの方がお礼をしなくてはいけない立場だ。焦り慌ててリュカに頭を下げる。
「乱暴にされたなんて思ってなかったから……わたしこそ助けて貰ってありがとうございます」
律儀に頭を下げるオーロルにリュカは恐縮する。
魔法使いだと気味悪がられ、後ろ指を指されることの方が多いのだ。ましてリュカは他の魔法使いとも違い、同じ魔法使いからも気味悪がられる存在だ。怖いと気味が悪いと萎縮されなかった事はいつ以来だろうか。
リュカの事をまだなにも知らないオーロルにそのまま何も知らないで居て欲しいとつい願ってしまう。
「じゃあ、謝ったから……」
「待って!」
去ろうとするリュカの外套を、窓から身を乗り出したオーロルが掴み引き止める。
「あ、危ないだろう!」
リュカの大きな声に慌てて手を離す姿に気が咎める。
オーロルが窓から落ちるのではないかと、危ないことをすると肝が冷えた。
「……それでなに?」
「空を飛ぶってどんな感じ?」
今ここでそれを聞かれると思わず、オーロルの期待に満ちた瞳を見返す。
「だって、宙に浮いて……空を自由に飛べるんでしょう?」
子供のような期待に満ちた言葉に、謝らなければと重かった気持ちが軽くなる。
「空は……気持ちがいい」
リュカはオーロルに手を差し出す。怖がられるかと怖じ気づく前に手が先に出ていた。
空を飛ぶ気持ち良さは言葉より体験して貰った方が早い。恐る恐る伸ばされた手を掴み、窓の外へ連れ出す。
足元のない不安に体を強張らせる彼女の腰を支え、錫杖へ乗せる。少しでも不安を取り除ければと、笑って見せる。
穏やかな気持ちで笑うのはいつ振りだろうか。笑顔が怖いと、騎兵団の連中に言われていたことをオーロルの澄んだ瞳に思い出し顔が熱くなった。
「ちゃんと捕まってろ」
照れを隠すためにぶっきらぼうな物言いになってしまう。それすらも見透かされているような気がするリュカはオーロルから目を逸らし、月を目指すかのように上昇する。
幾ら昇っても星に手が届く様子もなく、月の大きさも全く変わらない。いつも夜空を飛ぶ時に思うのは月の不誠実さだ。姿形を変え、時にはその姿を表すこともない。月はなにを思っているのだろうか?
オーロルのしがみつく力が強くなり、スピードを出しすぎたと緩める。
彼女が初めての空中浮遊だと頭から抜けていた。
自分一人の気ままな空中浮遊とは違うのだ。気を使ってゆっくりと、ゆったり飛ぶべきだったと勝手に落ち込む。
「……すごい。空が」
怯えさせてしまったと思っていたオーロルの驚嘆の声に胸が高鳴る。
「宙に浮いている……それに、空までの間に、なにもない!」
両手を空に伸ばす。
「なにもない?」
「そう! 建物の影も木の枝葉もなにもない。浮いているのに、なにもないのに、それでも空に手は届かないんだね」
バランスを崩すオーロルを落ちないように支える。空の上に来てまでもまだ上を見上げるのかと感心する。
「下は気にならないの?」
二人の足元に広がるカレンデュラ街からは、人の営みを表す灯りが僅かばかりだが溢れ幻想的だ。
オーロルは下に目を向けるもすぐに視線を戻す。
「下を見るのは……落ちそうで怖いかな」
ドラゴンに武器もなく向かって行く彼女から怖いという言葉が出るとは思わず、リュカは笑い出す。
「あはははっ! 大丈夫、落っこちたら俺が拾ってやるよ」
愉しそうなリュカの様子にオーロルも一緒に笑い出した。
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