2章
第1話 長閑な昼下がり
長閑な昼下がり、慣れない乗り合い馬車の堅い椅子に辟易しながらオーロルは晴れた空を眺めていた。白くわたのような雲にアレに似ているなと、コレに似てるかなと、子供のような空想で退屈を紛らわせる。
随分と高い位置に鳥が飛んでいるなと、雲の合間を抜けていく鳥に目を奪われ、鳥が雲の高さを飛ぶのだろうかと疑問に思ったところに、ソレは姿をハッキリとさせてくる。
「……ドラゴン?」
オーロルの呟きは実態となって降り立つ。
鳥だと思って眺めていたソレは、馬車よりも遥かに大きく、突如として現れたドラゴンに街道は瞬く間もなくパニックに陥った。
ドラゴンは天に向かって咆吼を上げると、大きな尻尾で逃げる人をなぎ倒し、その大きな口から吐き出す炎で逃げ場を奪う。
馬車から逃げ出す人々の中で悠長にも、オーロルは自身の荷物から剣を引き抜く。
勇敢にもドラゴンへ向かおうとしているのだ。
仕事着と違い、長いスカートでは動き難いがこの場合は仕方がないと溜息を漏らす。
あの炎はやっかいだなと思いながら呆然としている女に早く逃げるように声を掛け、呆けている乗り合い馬車の御者の肩を叩き現実に戻してやる。ドラゴンから距離を取るように馬車から離れた。
たった今目の前で乗ってきた馬車の馬はドラゴンの餌食となり、馬車は潰されてしまった。御者に声を掛けなければ彼も一緒に潰されていただろう。
馬車に残した荷物の中に、父からの餞別の品があったのにと悔しがるが後の祭りだ。
一緒に乗っていた他の乗客達は一目散に逃げ出していたので問題ないだろうとドラゴンに目を向け――目が合う。
ドラゴンの真っ赤な目がオーロルを認識した。
どっと吹き出てくる冷や汗に、コレはやばいかもしれないと剣を握る手に力を込める。
真っ赤な鱗に真っ赤な目をした目の前の大きな躰は『炎竜』と分類されるドラゴンで間違いがなさそうだ。
オーロルが幼い頃初めて目にしたのも『炎竜』だ。
その恐怖を今でも覚えており、オーロルが騎士を志す理由でもあった。
恐怖に怯える体に、活を入れ、睨み付ける。
オーロルに向かって吐き出される炎を避け、ドラゴンに向かって走リ出す。
構えた剣を横に払い、その巨体を薙ぐも、硬い鱗が剣を弾く。
近づき過ぎたオーロルにドラゴンの爪が向かい、剣でなんとか受け止めたものの、その力の重さに剣を手放すしか逃れる術がなかった。
丸腰となったオーロルが取れる次の手は逃げるしかないが、獲物と定めた彼女をドラゴンが見逃すもはずもなく、視線を外してくれそうにない。
ドラゴンの足元に落ちた剣をどう拾うべきか、逃げてもいいだろうか。
逃げ出したいと体の奥でざわつくものがある。次の手は、逃げるにはと、オーロルは周囲を見渡す。
怪我に呻く人、御者のように腰を抜かしている者、お互い助け合おうとする人々、既に事切れたのか動かない人……オーロルの中でここから離れる選択肢は除外される。
武器もなくドラゴンに立ち向かう事が無謀だと、わかってはいる。剣一本でも無謀だ。一度は近づくことが出来たのだと、落とした剣を手にするために再びドラゴンに向かって走り出す。
丸腰の状態で向かうこと、剣一本で向かうことの差などたいしてないが、気持ちが違う。ドラゴンへの恐怖を押し込める。
目の前に迫る吐き出された炎に、ダメかもしれないと恐怖に目を瞑った。
体が焼かれる代わりに感じたのは冷気だ。
目の前に迫っていた炎が凍り、弾け、霧散した。
初めて見る炎が凍り付く様子に目を丸くする。
「この……馬鹿野郎!」
浴びせられる怒号は空から降ってくる。
オーロルを庇うようにドラゴンの前に降り立つ金髪の魔法使いの青年は、ドラゴンに手をかざし、その足元を凍りつかせた。
振り向いた青年はオーロルを睨み付け、怒鳴る。オーロルは青年の大きな声に身が竦み、彼の沢山のアクセサリーをつけたその派手な装いにも気後れしてしまう。
足元を凍らされた事を怒っているのか、ドラゴンは二人に向けて炎を吹き出した。
青年は予測でもしていたのか、オーロルを抱きかかえ横に飛び避ける。
「これだけ無謀な馬鹿だ。ちょっとくらい尻が冷たくても大丈夫だろう?」
彼の言葉を理解する前に、オーロルは足を払われ、尻餅をつく。そのまま荷物を蹴り出すようにオーロルの背は押し出された。
視線の先に伸びる氷の道にオーロルは息を飲み込み、滑り出すそのスピードに、抗議の悲鳴を上げる。
オーロルの安全を確認すると、青年リュカはドラゴンに向き直る。
獲物を奪われたドラゴンはリュカに怒りを向けるかのように咆吼を上げ、凍っていた足元の氷を砕き、その巨体を揺らし迫る。
ドラゴンの突進などものともしない様子でリュカは宙に浮き、氷の矢をドラゴンに放つ。
炎の前でそれがなんの役に立つのかと、嘲笑うように吐き出された炎が氷を蒸発させ、火の玉がリュカに向かった。
リュカの口元には笑みが浮かんでいた。誰が言い出したのかリュカの笑みは氷笑と呼ばれていた。笑うことの少なかった子供の頃を思えば、少しでも笑える今はいいことなのだろう。
だが、リュカの氷笑はドラゴンにとってはいいことではない。ドラゴンから放たれた火の玉はリュカに届くこと無く、氷へと姿を変え地面へ落ち、砕け散る。砕けた氷の破片はドラゴンを囲むように魔法陣を組み、ドラゴンの足から凍っていく。
藻掻くドラゴンの様子にリュカは興味を示さない。ドラゴン退治は今終わったのだ。
「まだだよぉ!」
後から追いついた仲間の声に驚き、ドラゴンに意識を向ける。反撃出来ないと高をくくっていたためにドラゴンの炎を魔法で返すには唐突で、慌て避けるも掠めた炎の熱に顔を顰める。
凍らせたと思っていたドラゴンは、躰の表面に氷を張り付かせるにとどまっていた。
しくじったと舌打ちをしたところで目の前のドラゴンは暴れるだけだ。
リュカに向かって放り投げられてきた錫杖を受けとり、その力を錫杖に込める。右の耳飾りが弾けた。
ドラゴンを中心に組み敷かれていく魔法陣は淡く青い光を放ち、今度こそドラゴンを凍らせていく。
その巨体を全て氷に閉じ込めた魔法陣は最後とばかりに強く輝き、ドラゴンの躰ごと粉砕した。
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