第72話 「靴下……履いたままでいいよね」

「……ここは」


「やっと気づいた?」


 朦朧とする意識の中、目を醒ました孝太郎。

 頭上から降り注ぐ呆れ声の方に目をやると安心したのか安堵のため息を漏らした。


「莉歌……ここは?」


「見覚えない?私んちよ」


 意識がはっきりしてくるにつれて様々なことを思い出すが、莉歌の心配そうでいて呆れたような顔を見ると自然と笑みがこぼれてくる。


「でも、俺は亜弥華の病室で倒れたはずじゃ」


 そう言いながら起き上がろうとする孝太郎の胸をベッドに腰かけた莉歌がぐっと押さえつける。

 そして鞄に手を入れ、ガサガサした後、小さな黒い塊を取り出した。


「じゃじゃーん!これが何かわかる?ちょっと旧式だけど小型の携帯用盗聴器」


 莉歌は自慢げに話ながらその盗聴器をすぐさま鞄に直した。


「私の占いブースに来たでしょ?孝太郎君が席を立った時に朝倉彩音が慌てて追いかけていったじゃない?そんときこっそり朝倉彩音の鞄に入れたといたの。別に二人の会話が気になるってことじゃないのよ。仕事だから」


 相変わらず莉歌の手が邪魔で起き上がれない。


「んで、一段落してよくよく聞いてみたら、朝倉彩音と亜弥華だっけ?何がどうなったのかわからないけど、二人して号泣してるじゃない。そしたらいきなり『ママに見つかる』とか騒いで脱走計画なんて言いだすんだもん。ほんと笑っちゃったわ」


「号泣!?脱走!?莉歌、今彩音と亜弥華は!」


「はいはい、そんなに慌てないで。二人なら桝屋千夏の家で呑気に酒呑んでるからご心配なく」


「桝屋さんの……家に?」


 急な展開に頭が追い付かず、ただ相槌程度にしか言葉を発することができない。


「まぁ、どうなってそうなったかはこの際どうでもいいじゃない?二人共無事なんだから。それよりも私が知りたいのはなんで孝太郎君が倒れてたかってこと」


 莉歌は孝太郎から手を離すと立ち上がり、窓のカーテンを閉め始めた。


「二人が病院から逃げるってゆうから万が一事故にでもあったら大変じゃない?そう思って駆けつけたら孝太郎君が倒れてるだもん。ほんと意味不明」


 ちらりと孝太郎を見た莉歌の目が少し悲しそうに見えたので、孝太郎はなぜかいたたまれない気持ちになり起き上がる。

 そして莉歌と離れた後にフードコートで起こった出来事、元カノの青海川千秋との出来事を脚色なく伝えた。


「なるほどね。その元カノに孝太郎君の本職がバレたと」


 莉歌は孝太郎の横に腰かけると、肩を回し至近距離でニコッと微笑む。


「結論から言うとね。バレても問題ないわ」


「な!?莉歌、お前一体何を!」


 まさかの発言に孝太郎は驚嘆の声をあげるが、莉歌は全く動じることはない。


「仮にバレたとしても、朝倉彩音と小林優真はすでに疎遠。再びよりを戻すなんて考えられないわ」


 莉歌の中ではすでにこの案件は目処が立っているが、孝太郎の中でははっきりとした結果が得られていない。

 それ故に孝太郎には莉歌の自信の根拠がわからなかった。


「なに?もしかして朝倉彩音に対する情が恋心に変わっちゃった?」


 莉歌は孝太郎の心残りを見抜くとすかさず釘を刺す。


「莉歌、俺は彩音に嫌な思いをさせたくない」


「無理よ、それは孝太郎君のわがまま。この仕事を引き受けた時点で孝太郎君と朝倉彩音にはバッドエンドしか待ってないの」


 莉歌の言葉の意味を十分にわかっていても、やはり気持ちが表情や態度に出てしまう。

 そんな孝太郎を見かねて、ため息混じりに莉歌が口を開いた。


「問題はその青海川って元カノでしょ?そいつの未練を金輪際沸き上がらないぐらいズタズタに引き裂いてやればいいのよ」


「莉歌。確かに青海川は俺の知ってるかつての青海川とは別人みたいになってしまった。でも、それにはきっと訳があるはずで……」


「甘い!だからダメなのよ、孝太郎君は」


 肩に回した手をほどき、孝太郎の顎を握り自身の方へ強引に顔を向けると、おでこが当たるほどの距離まで顔を近づける。


「いい?そいつは孝太郎君に振り向いてほしいだけ。で、どうすれば振り向いてくれるかしっかりわかってるの。だったら二度と孝太郎君に関わりたくないって思うほど、その恋心にトドメ刺してやるしかないじゃない。そうすれば朝倉彩音に対する嫉妬もなくなるだろうし、仮に朝倉彩音にバラしたところで『フラレた腹いせについた嘘』ってことで誤魔化せばいけるんじゃない?」


「莉歌。俺はあんな青海川でもほんとはいい奴だって知ってるんだ。話し合えばきっと」


 それでも青海川を庇おうとする孝太郎。

 その瞬間、莉歌の眉間にシワが寄り、もう一方の手でおもいっきり孝太郎のみぞうちに拳を叩き込んだ。


「だからそこが甘めーんだよ、おめーは!!けじめぐらい自分でつけろや!!」


 莉歌の怒号と共に静まり返った室内。

 不意に喰らったパンチにうずくまる孝太郎を見下しながら、莉歌は荒れた呼吸を整える。


「ごめん、言い過ぎた」


「いや、俺が悪い。ごめん」


 なんとも言えない空気が二人を取り囲む。


「莉歌。お前のシナリオを聞かせてくれないか?」


「簡単よ。元カノの心を傷つければいいの」


 素っ気ない莉歌の答えに何も言い返せない孝太郎。


「まぁ、でも。それは私がやるから心配しないで。孝太郎君は私を元カノ、青海川ってやつのところに連れていってくれればいいだけ」


 それだけ言うと莉歌はすっと立ち上がり大きく背伸びをした。

 結局、けじめをつけろと言っておきながら孝太郎のお尻を拭く莉歌。

 その莉歌の存在に孝太郎は頭があがらない。


「さ、もう寝ましょ」


「あ、あぁ。莉歌、ありがとう」


「言葉の礼なんていらないわ」


 莉歌はどこか緊張した声で答える。


「莉歌。そろそろ帰らないと」


 孝太郎は立ち上がると部屋から出ようと歩き始めた。


「遅くまでごめん。明日の朝、ちゃんと迎えに来るからその時……」


「帰っちゃダメ」


 莉歌はさっと振り向くと、無防備な孝太郎をベッドに突き飛ばした。


「言ったでしょ?言葉の礼なんていらないって」


 莉歌は倒れた孝太郎の上に股がると、ゆっくりと顔を近づけ唇を重ねる。

 莉歌のものか孝太郎のものか。

 どちらのものかわからぬ唾液が糸を引く。


「莉歌……」


「こんな状況でキスだけで満足するわけないでしょ?」


 普段人前では決して見せない態度で孝太郎に迫りながら、体をくねらせ自ら順序よく肌を露呈させる。

 そして孝太郎の手を掴むと、鼓動の高鳴りで揺れる露になった胸の谷間に強く押し当てた。


「私が重ねたいのは唇じゃないの。わかるでしょ?」


「唇を重ねたくないならどうしてキスしてきたんだ?」


「それはそのまぁ、その。どうでもいいじゃない」


 ぷくっと拗ねた莉歌の横顔になんとも言えず切ない気持ちになるが、莉歌に悟られないよう必死で隠す。


 莉歌が重ねたいのは体でなく気持ちだということがわかっていても、彼女の気持ちに答えられない罪悪感を抱く孝太郎。


 その罪悪感を感じ取りながらも、肌と肌の触れ合いに理性が溶けていく莉歌。



 煌々と輝く照明が目合う二人のシルエットを包み隠さず映す。










「靴下……履いたままでいいよね」


 嘔吐を彷彿とさせる機転の利いた台詞を吐息と共に残しながら、莉歌は孝太郎の胸に顔をうずめ、その肌の温もりに堕ちていった。

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