第66話 「まぢで目障りなのよ、あんた」
急変した天気にがらりとした店内。
新たな来店客の様子もなく、ロビーは雨がひどくなる前に帰ろうとする客で溢れていた。
そんな中、しょんぼりして帰ってきた彩音。
ずぶ濡れで項垂れた姿を見て、千夏が心配そうに話しかける。
「彩音、大丈夫?」
「千夏。大丈夫じゃない」
曇った顔を千夏に見せまいとうつむくが、千夏には声と雰囲気でわかってしまう。
千夏は彩音の肩に腕を回し、介抱するように事務所へ連れて行った。
「まぢで大丈夫か!何か嫌なことでも言われた?」
着替えを終えた彩音の口から自身が帰った後の話を聞かされ、千夏は驚きを隠せない。
最も、彩音は聞かれたくない箇所を誤魔化して話したつもりなのだが、下手くそ過ぎて千夏にはバレバレだった。
ただ千夏としては、今は彩音の気分を盛り上げる方が優先で、何があったかは聞きたくて聞きたくてうずうずするが、そこら辺は夜にみっちり聞くことに決めた。
「千夏……今日、私ダメかも。仕事できる元気ない」
「おい、彩音。ほんとどうしたんだよ」
と、そこへさっきとは別の従業員が慌てた様子でやって来て、彩音を見つけるなり大声で騒ぎ出した。
「あ、朝倉さん、大変です!」
「ごめんなさい、今はとても対応できな……」
「れ、れ、れ、令和ちゃんが朝倉さんに会いたいって受付に来てるんです!」
「れ、れ、れ、令和ちゃんが!!」
さっきまでの落ち込んだ姿は一瞬で消え去り、恋する乙女のように目をキラキラさせはしゃぎだした。
二十代後半にもなってそのはしゃぎ様は子供のようでみっともないのだが、そのような思春期を過ごしてこなかった彩音にとっては、今がある種の思春期真っ只中なのである。
「千夏、ヤバイ。どうしよ、テンション上がってきた」
「おいおい、待てって。こないだ孝太郎と会った時、めちゃくちゃだったんだろ?絶対いいことないって」
「大丈夫だって!だって、令和ちゃんなんだよ!」
髪を乾かすことなど忘れてすぐにでもロビーに行こうとする彩音の腕を千夏はぐっと引き寄せる。
「いやいや。彩音は直にちゃんと喋ったことないんだろ?彩音が持ってるのはイメージだろ、イメージ。絶対会わない方がいいって」
「大丈夫。令和ちゃんファンとしてちゃんと対応しないと失礼じゃない」
「じゃあ、千夏もついてってやるよ」
「なんで?」
「へ?」
まさかの拒否に千夏は目が点になった。
「千夏は令和ちゃんに興味ないんでしょ?あ!さては私が令和ちゃん令和ちゃんってうるさいから、令和ちゃんに妬いてるんでしょ!絶対そうだ!」
「へ?」
「まぁまぁ、大丈夫だから。いってくるー」
さらに目が点になった千夏をよそに、ルンルン気分で事務所から出ていく彩音。
髪を乾かす時間すら惜しいと思わせるそのモデルのことを、千夏は確かに少し嫉妬していた。
***
ロビーは普段とは違った意味でざわざわしていた。
それもそのはず。
世間で認知され始めた新進気鋭の若手女優兼モデルがオブジェのように受付前に突っ立っているからだ。
記念撮影を求める客に笑顔で応対しながらも異彩を放つ令和に、彩音は恐る恐る声をかけた。
「は、は、はじめまして。朝倉彩音と言います。先日はちゃんとお話しできなくてすいませんでした」
彩音は精一杯の勇気を振り絞り、憧れのモデルに対面した。
「(目標確認……破壊する)」
「へ?」
令和は彩音を見るなりぼそぼそと何かを呟いてからすぐに満面の笑みを浮かべる。
「ううん、なんでもないの。彩音ちゃんね。はじめまして、かな?でも、どうしてそんなに濡れてるの?」
「あ、こ、これはですね、今まで外にいて、それで急に雨がですね」
「あ~なるほど。どっかで『ウェザーリポート』が暴れてるからだわ。私の引力に引き寄せられたのかしら?全く迷惑な話よね」
「引力?」
先日とは雰囲気が変わって柔らかい落ち着いた大人な感じで話す令和こと亜弥華。
相変わらずの独特な発言も彩音には全く通じない。
中二系モデルとして売り出されていることは知っていても、そもそも『中二系』がなんなのかを彩音は理解していなかった。
彩音のこれまでの人生にそういった類いのものは存在してこなかったのだ。
「ここだと人目につくから場所を変えれないですか?」
「はい。では、え、えっと」
「外で話しましょ」
「え、でもこの雨じゃ」
すると亜弥華は外に向かって大きな声で人目を憚らず叫んだ。
「『メテオロジンクス・レカント』」
周りにいたほぼ全ての人間が訳もわからずきょとんとし、奇妙な静けさだけが漂った。
「さ、行くわよ」
「あ、でも」
彩音が止めるよりも先に亜弥華は外へ向かってつかつかと歩きだし、自動扉が開くと同時に彩音の方を振り返る。
計算されたように舞い込んだ風が亜弥華の髪を大きくなびかせ、彼女のオーラを一回り大きく見せた。
「知らないの?私、『百パーセントの晴れ女』なんだけど」
***
さっきまでの土砂降りが嘘のように清々しい晴れ間が広がる。
外へ出て人通りの少ない場所へ行く。
「あの、今日はどのような用件で……」
「今日、こーちゃんは?探しても見つかんなかったんだけど」
「せん……伊藤さんは本日公休でして、お休みされてます」
「伊藤さん?誰それ。まぁいいわ、あんたにもちょうど話があったから」
そう言って亜弥華は彩音の息が嗅げる程の距離まで近寄り、じっと彩音の目を見つめる。
最初のうちはテンション高く、憧れのモデルと話せていることに満足感を感じていたのだが、訳のわからないことを展開と行動に次第に疲れていた。
「ねぇ。あんた、こーちゃんの何?」
「へ?」
「あんた、こーちゃんと相当仲がいいみたいだけど、まさかこーちゃんの愛人!?」
「いえ、違います」
亜弥華はテンパりながらもまんざらでもなさそうに否定する彩音をまじまじと見つめる。
「じゃあ何?どうやったらこーちゃんがあんなに楽しそうに人と話すわけ?」
「楽しそうに、ですか?私は特に普段と変わらないと思うんですが」
「普段からそんなに親密なの!ねぇ、ほんとどういう関係なの?」
「仕事の上司と部下ってだけですし、ほんとなにもないです」
なにもないと言いながらも仄かに頬を赤く染める彩音の表情に亜弥華は苛立ちを隠せない。
さっきとは別人のように険しい顔
で彩音を睨み付けた。
「あんたみたいな可愛い系の女がいると、私の魅力が半減するの。あんたのデバフでまぢでゲロ吐きそう」
亜弥華は腕を組み、彩音を見下ろす。
最も普段から背の高い千夏に見下ろされているため、違和感はないが、明らかに敵対心を持って見下ろされているのでいい気はしない。
「いい?愛人のあんたが消えたら、こーちゃんは正妻の私しか見えなくなる!だからこーちゃんと私の前から消えて、一刻も早く、すぐに」
「と、言われましても……ここは私の職場ですので」
「そんなこと関係無い」
「いいえ、あります。大有りです!」
亜弥華の一方的な言い分に耐えかね、つい言い返してしまった。
「関係無い!私が関係無いって言ったら関係無いの!」
それでも亜弥華は要求をぶつけてくる。
「それはいくらなんでも横柄です」
負けじと睨み上げながら言い返した。
互いの発する熱気で空気がぴりつき始める。
その時、亜弥華のスマホが震え始めた。
それは集合の指示を告げる連絡で、亜弥華はしかたなしに踵を返す。
「ほんっと真面目なマネージャーが付くとこっちのやる気が萎えてくわ。でも『ママ』には逆らえない……いつか脱獄してやるけど。あんたもおみおみのこと知ってんでしょ?」
「はい。大学の時の先輩で」
「そうなんだ。私は親から逃げて高校中退したから大学生活なんてわかんないんだけど。大学生ならあんたも『四畳半』暮らし?」
「いえ、私はワンDKに住んでました。あ、でも、それ意味わかります!」
「意味!?」
「『四畳半』ってあの『四畳半』のことですよね!?私、大学は京都だったんでそのお話大好きなんです」
「京都!?」
「
「ごめん、ちょっと何言ってんのかわかんない。でも『好機』は逃さないことね。あと、先斗町は
「あ!絶対わかってる!」
彩音の勢いに亜弥華が困惑している間もスマホは激しく震え続ける。
「あーもーうざい!とにかくいいわね!金輪際こーちゃんにちょっかいかけないでよ!」
はっきりとした口調で自分の意見を物怖じせず口に出す。
彩音には決して真似できない真逆の性格の持ち主だった。
ただ、どこかしら他人とは思えない空気が漂っていたのも事実で、彩音は色々言われても不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
むしろ「親から逃げて」と亜弥華の言った言葉がどこか自分と重なり、頭の中をぐるぐると駆け巡っている。
亜弥華は自慢の脚線美を見せつけるかのように、すらすらと数歩歩いた後、ふと立ち止まり彩音の方を向き返した。
「まぢで目障りなのよ、あんた」
その言葉を置き土産に亜弥華は令和となりにっこり微笑むと、いつの間にか雑踏のなかに消えていった。
『百パーセントの晴れ女』が去った後、しばらくして再び『ウェザーリポート』が暴れだしたことは言うまでもない。
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