アイスを食べたのは誰だ!?

第39話 「バーーーカ!嘘だよ!」

 七月も中程に差し掛かりじりじりと暑い太陽が猛アピールしてくる日中。

 暑さでくたくたになった女子従業員が休憩室の冷凍庫を開ける。

 近々に冷えた庫内に息を吹き掛け、返ってきた冷気を顔一杯に浴びる。


「涼しー」


 はしたないことをして楽しむ女性。

 彩音である。


 彼女の本日の業務は主に事務仕事メインである。

 何故事務所から出ず仕事をしている彩音が暑さでくたくたかというと、単純にエアコンが壊れているためだ。


 ***


 休憩室と事務所には計三台のエアコンがあるのだが、朝イチ稼働させると早々に動かなくなってしまった。

 すぐさまメンテナンス会社へ連絡し、休憩室のエアコンは無事に復旧したが、事務所のエアコンは部品不足で直らず。

 本日中には復旧するそうだが、未だ業者は戻ってきていない。


 しかし、そんなに急に稼働しなくなったりするものなのだろうか。

 確かに機械なのでその可能性も無くは無いが、エアコンに盗聴器を設置しようとして失敗した孝太郎の仕業だとは誰も気がつく訳がない。


 ***


 もう一度息を吹き掛け冷気を浴びた後、冷凍庫の扉を閉める。

 と、完全に閉まりかけた時、一つのアイスが目に飛び込んできた。


「あ、誰のだろ?」


 不自然にポツンとおかれたカップアイス。

 シンプルな茶色のカップで絵柄からストロベリー味なのが見てわかる。


「そういえばパートのおばさんが、みんな食べてー!って置いといたって言ってたっけ?」


 おもむろにカップアイスを手に取り蓋を開けると、ひんやりとした冷気と共に濃厚な甘さが鼻に触れる。

 体が勝手にスプーンを手に取り、一掬いして口に運んだ。


「手、手が勝手に~」


 見るからに甘そうな甘美を目の前に、彩音のテンションは急上昇する。


「うわ!めっちゃ甘い!なにこれ!」


 よほど美味しかったのか、彩音の手は理性の呪縛を逃れ次々にアイスを口へ運んでいく。

 彩音のにやにやは止まらない。


「ほどよい甘さと絶妙な溶け具合。しかもこの果肉!」


 スプーンの上にはゴロンっとしたイチゴの果肉。

 カチッと冷凍されているが、噛むとふにゃっと独特の感触と甘い果汁が口いっぱいに広がった。


「いやー!この果肉、いい仕事してるわ」


 自分も帰りに買って帰ろうと銘柄を確認していたその時だった。


「お疲れ様です」


「せん……伊藤さん!」


 イチゴの果肉の豊満な甘味に浸っているところに、休憩に入ろうと孝太郎がやって来た。


 甘美な一時に夢中になっていたからか、孝太郎が気配を消していたからか、どちらにせよ孝太郎の気配に気づかなかった。


「どうかしましたか、朝倉さん」


「こ、これ。食べてみてください」


 大きな独り言を言いながら食べていたので、それが聞かれてないか心配だった。

 孝太郎が何か聞いてくる前に、スプーンでアイスと果肉をちょうど良いバランスで掬い上げ孝太郎に差し出す。


 しかし、そこで孝太郎は予想外の行動を見せた。


 彩音としてはスプーンごと孝太郎に差し出したつもりだったのだが、彼は彩音の持ったスプーンに顔を近づける。

 そして、アイスに軽く口づけすると、あーんと口を開けた。

 そのままなにかをねだるような目で彩音を見つめる。

 孝太郎のしてほしいことは瞬時にわかったが、恥ずかしさが勝ち躊躇してしまう。

 それを感じ取ったのか、孝太郎はスプーンに乗ったアイスの塊を戸惑うことなく、ぱくっと咥えた。

 彩音と目を合わせたまま。

 彩音はそのまま彼の口からスプーンをゆっくりと引き抜いた。

 引き抜きながら孝太郎の歯と唇の感触がスプーンづたいに伝わる。


「うわ、うま!」


「ですよね!」


 ──これって、間接キス!?


「朝倉さんが買ってこられたんですか?」


「え、あ、違います。パートのおばさんが食べてって置いてくれてたんです」


 と、それを聞いた孝太郎は困ったような顔をしながら冷凍庫を開け、なにかを確信した。


「あ、えーっと、朝倉さん?」


「ん?これが最後の一個ですよ?」


「いや、彩音。そーじゃなくてさ」


 かつての後輩を諭すように敢えて「彩音」と呼んだ孝太郎は、冷凍庫の方へ彩音を手招きする。


「そのパートのおばさんのアイスってさ」


 そう言いながら冷凍庫の奥にある積み上げられたチョコのアイスバーを指差す。


「こっちだよな?」



 ******



 孝太郎と交代で休憩に入った千夏。

 一人気ままな休憩を満喫していた。

 そこへ湊心も休憩にやって来る。


「ンッフッフーンッフッフー♪待ったなしだ~♪」


 いつものようにノリノリな鼻唄を響かせながら冷凍庫を開ける。

 が、そこにあるはずのものがない。

 食べようと楽しみにしていたものがない。

 湊心の鼻唄は怒号へと変わった。


「千夏!!!」


 休憩室に湊心の怒号が響き渡る。

 しかし、彼女より先に休憩に入りくつろいでいた千夏は突然の怒号にも冷静だった。

 単に彼女に怒られ慣れてるからだ。


「ん?」


「お前、私のアイス食べたやろ!」


 突然の湊心の尋問にびっくりして一瞬言葉を失う。


「え!何も食べてないよ」


「嘘つけ!お前以外におらんし」


「絶対違う!」


 湊心の尋問にムキになって反発する。

 両者の口論はますますエスカレートしていった。


「私が嘘ついてるってゆー証拠あんのか!」


「いやいや、逆に千夏が食べたって証拠あんの?」


「そもそもが怪しいからや。『疑わしきは千夏』って諺あるやろ」


「ねぇーし!」


「あるし!」


「ねぇーよ!」


「あるわ!今作ったんや!」


 そこへ勢いよく休憩室のドアが開き、二人の口論を聞いて事務所から彩音がやって来た。


「ちょっと、うるさいんだけど?」


「あ!彩音!助けてー」


 彩音を見つけるや否や、千夏はその華奢な体に飛び付いた。


「ちょっ!どーしたの、千夏」


「湊心がさ、千夏が湊心のアイス食べた犯人だって決めつけんだよー」


 珍しく半泣き気味に話す千夏に彩音の動きが一瞬止まる。


「ア、アイス?」


 その単語が彩音の思考を一時停止させた。


「そーなんだよー。湊心のアイスをさ、千夏が食べたってゆーんだよ!」


「ど、どんなアイス?」


「知らないって!千夏ほんとに食べてないし見てもいないし」


「茶色のカップのストロベリーで果肉入りのやつ」


 湊心が二人の会話に入ってくる。

 沸点に達した怒りは収まったようで、冷静に物事を話始めた。


「か、果肉」


 その単語が再び彩音の思考を一時停止させる。


「そう!旨さをぎゅっと閉じ込めた果肉がめっちゃ美味しい。あのアイスは果肉がいい仕事してんだよ」


「へ、へぇ」


「彩音ぇ、彩音は千夏のこと信じてくれるよねぇ」


「う、うん」


 信じるも何も無い。

 湊心のアイスを食した犯人は自分であることはほぼ間違いないのだ。

 しかし、言い出せない。

 湊心が怖い。


 その間にも湊心は千夏を執拗に責め立てる。


「彩音。状況証拠からみて千夏以外に犯人はいない。千夏を庇う必要なんてない」


「うっせー!この平成最後のヤマンバ」


「だまれ!顔面地底人!」


 いつもなら微笑ましいこの二人の口喧嘩も今日の彩音には非常に居心地が悪かった。


「あやねぇ、ぐすん。みなこがぁ、いじめるよぉ、ひっく」


「泣くな、千夏。みっともない。女の涙が一番腹立つ」


「おめーのせいだろーが!!」


 千夏にしては珍しく鼻をすすりながら、うっすら涙を瞳に溜めていた。

 その鼻声が彩音の心を抉り続ける。

 そして、その涙をきっかけに湊心のイライラが再沸騰し始めた。

 湊心は人前で泣くような女が大っ嫌いなのだ。

 千夏はそれを知ってるので必死に我慢したが、それでも理不尽な対応に涙を抑えられなかった。


「まぁまぁ二人とも」


「で、彩音はどう?」


「へ?」


 平静を装ってるつもりだろうが、あからさまにあわあわとしている。


「私と千夏と。どっちを信じる?」


 湊心がまぢの声トーンで迫ってくる。


「もちろん私だよな?」


 湊心が一歩、また一歩と近づいてくる。


「だよな?」


「あやねぇ、ひっく。ぢなづをみすでないでぇ」


 彩音は熟考するふりをして、目を閉じとりあえずその場をやり過ごす方法を考えた。

 が、なにも良案が出てこない。


「え、えと、をだね……んーどうだろなぁ?」


 千夏の泣き顔が心に突き刺さる。

 それでも千夏の泣き顔を見つめれば見つめるほど別の感覚が芽生える。


 ──泣き顔も綺麗だな。いいなぁ


 そうやって別のことを意識しないと、罪悪感で自分も泣きそうになるからだ。

 そして一つの決心を固めた。


「うん、高寿さん。千夏もこう言ってるしさ、私は千夏は違うと思うな」


 嘘をついた。


「あやねー、ありがとー!」


「え、あ、あははは」


 飛び上がった千夏がおもいっきり抱きついてくる。

 罪悪感で千夏の顔が見えないのか、なにかを意識してはずかしいのか、彩音は笑いながら遠くの方に目をやる。




「……彩音」


「はい」


 ふいに湊心が声をかけたが、声はまだまぢのトーンのままだった。


「今、『』って言った?」


 ──ヤバい!!!


 湊心の言葉に背中から冷や汗がどばっと溢れでる。


「言ったよな?おまえ『あのアイス』って言ったよな!ってなんだよ!」


「は、はい」


 湊心の勘の鋭さと威圧感に思わず「はい」と言ってしまった。

 その返事は自分が真犯人だと言ってしまっているようなものである。


「彩音。お前が甘いもん好きのくせにラーメンバカなのは知ってる。だから正直に言ってみな」


「あ、彩音?ま、まさか彩音じゃないよね!」


 さっきまで彩音に抱きついていた千夏は、彩音から離れ徐々に後退りする。


「彩音、私を見ろ。私の目を見ろ」


「うぅ、高寿さん」


 もう限界だ。怖い!謝ろう!と彩音は意を決して目を閉じ息を大きく吸った。

 その時だった。


「お疲れ様です」


 なにも知らない孝太郎がふらっと休憩室に現れた。

 視界に入ってきた状況から気まずい雰囲気を察する。


「あ、まずかった……ですね」


「孝太郎はどう思う。彩音が私のアイスを食べたと思うか?」


「へ?」


 そう言ってその場から立ち去ろうとする孝太郎だったが、湊心に呼び止められてしまう。

 が、全く話の中身がわからないのでなんとも返事ができない。


「私の楽しみにしていたアイスが無くなってる。犯人が誰かわからなくてさ。孝太郎の率直な意見を聞きたいんや」


「それは……」


 湊心のざっくりとした説明と現場の雰囲気で孝太郎はおおまかな状況を把握する。

 その刹那、ちらっと彩音を見て優しい笑みを浮かべると、今度は神妙な面持ちで湊心に向かい合った。


「すいません。自分が食べてしまいました」


 いきなりの罪の告白に、湊心は唖然とする。


「パートのおばさんが食べてって置いてくれてたのを、勘違いして食べてしまったんです。あとから間違いに気づいて、でも誰のかわからず持ち主が見つかれば謝ろうと思っていたんですが……ほんとうにすいませんでした」


 湊心はふぅっと深いため息をつき、孝太郎の側へ歩み寄る。


「まぁ、素直なやつは嫌いじゃないし。そういう理由なら仕方ないな」


 にっかと微笑みを投げ掛ける湊心の表情はまるで後光がさしたかのように光輝き、あらゆることを許す仏のような笑みだった。


「高寿さん」


「湊心……」


 彩音と千夏は共に湊心の名を呼び、やっぱりこの人はすげーや、と心から思っていた。


 が、しばらくして湊心の表情はひきつり始め、肩がぷるぷると震え出した。

 とたんに急に叫びだす。


「バーーーカ!嘘だよ!」


「「「へ?」」」


「許すわけねぇーだろーが!!弁償だ、弁償!!いますぐ買って来いや!」


 かくして、すぐさま近くのコンビニにダッシュする孝太郎だった。




 そして、彩音はそんな孝太郎を見て、胸が痛む。

 罪悪感からではなく、胸が苦しくなる別の何か……。



 そんな何気ない日常の中にあっても、湊心は決して見逃さなかった。

 孝太郎が謝罪前に一瞬、彩音に視線を送ったことを。

 そのあとの、彩音の罪悪感に満ちた顔を。

 二人の間に通った甘い空気を。

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