第三章 高寿湊心~アラサー女子はラッパ我リヤ~
千夏と彩音の孝太郎尾行隊発動!?
第27話 「ねぇ彩音。手とか繋いでみちゃう?」
六月と打ってかわって、健やかな青空の広がる七月。
透き通った水色のペンキで彩られた空のキャンパスに、雲の形をした天使がゆっくりと戯れる。
蒸し蒸しした空気はどこかへ吹き消され、すっかり初夏の暑さである。
すなわち、本日はお出かけ日和である。
お昼前のとある駅前。
改札から出て少し行ったところに何かを記念して設置された銅像がある。
よく待ち合わせの定番として使われるその銅像の前で、一人の可愛らしい女性が待ち人を待っていた。
彩音である。
ほどけば肩を越えるであろう長くきれいな黒髪をポンパドールに纏め、おでこをばっちり見せている。
飾り気のないノースリーブの白いシャツにデニムのロングスカート。
健康的な二の腕が初夏の日差しを跳ね返す。
その髪型と清楚な出で立ちのギャップが、彼女の可愛らしさを引き立てていた。
「映画の半額チケットもらってさ、友達といくつもりだったんだけど予定あわなくて……彩音行かない?」との千夏の誘いにOKした次第である。
「おまたせー」
聞き慣れた声が聞こえる。
声のする方をみると、大きく手を振り改札方面から走ってくる女性。
サイドポニーに、耳と同じぐらいの大きさの飾りのついたピアス。
カジュアルを絵に描いたようなTシャツにシンプルなデニムのジーンズ。
千夏である。
「ごめん彩音、待った?」
「ううん、そんなに待ってないよ」
「千夏も少し時間に余裕もって来たのに」
「何事も時間厳守だよ」
「なら、仕事もこれくらい早めに来れない?」
「うるさい。黙れ」
本日のメインイベント会場である映画館へと歩きだす二人。
珍しく化粧をした彩音は、普段以上に可愛かった。
二度見にチラ見。
その可愛さはすれ違う男性の目線が物語る。
もちろんその中には千夏に目線をやる男性もいた。
そんな注目の女子二人をキャッチやスカウトが見逃すわけがない。
しかし、彼らが近づく気配を見せるや否や、千夏の眼光が行く手をブロックする。
そんな攻防が犇めいているなど、彩音は全く知るよしもなかった。
映画館に着くまでの道中、何を見るかを話し合う二人。
「ねぇ彩音。手とか繋いでみちゃう?」
「え?どうしたの、千夏」
「え?嫌?」
「うん。嫌」
──嫌なのか……
映画館へ到着し、上映中の作品一覧を眺める二人。
千夏としては、本来知人と見る約束をしていたアニメ映画を見たかった。
自称猫型の奇妙な丸顔ロボットと、丸眼鏡のいじめられっこ小学生が、そのロボットの所持する奇っ怪な玩具の数々で色々冒険する起承転結のお手本のようなアレだ。
しかし、千夏は周りに秘密にしている自らの趣味嗜好を言い出せずに、とりあえず巷で泣けると噂の映画を提案。
彩音も面白そうと乗り気だったが、千夏としてはいささかの不安があった。
作品のテーマが絵に描いたような『家族愛』
それ故、途中で彩音が苛立ちださないかという懸念。
だが、女子ならきっとハートフルな作品は気に入るだろうとの千夏の予想。
******
場内に入る直前。
いきなり、キャラメルポップコーンが食べたいと駄々をこね始める彩音。
子供じゃないんだからと首を横にふる千夏。
仲睦まじい口論の末、結局千夏が折れた。
仕事中とは全く違う歳不相応な彩音の女子な部分。
そういったちょっとした彩音のギャップが、千夏は堪らなく好きだった。
その積み重ねの結果、千夏は彩音を好きになっていた。
好きになってしまった。
人間として。
女性として。
恋愛対象として。
彩音が歳不相応にはしゃぐのには訳がある。
単純にそういった青春や思春期を送って来なかったというより、厳密には、両親が敷いたレール以外の景色を見ることが許されなかったからだ。
映画もカラオケも、遊園地も海水浴も、一人で買い物することすら二十歳を越えてから経験した。
自分で選択し自分で決める。
キャラメルポップコーンを食べたいから駄々をこねる。
そして親友とはしゃぎながら笑いあう。
彩音にとってごく普通のそれらの行為は、両親と決別してから数年経っても色褪せずキレイなままだった。
ただその自由を謳歌することは、彩音の欠点でもあった。
自分の選択に責任を持つことは、途中で投げ出してはいけないということだ。
彩音は少なくともそう考えている。
故に、いくら彼氏から罵倒されようと暴力を振るわれようと、彩音には「別れる」という選択がなかった。
彩音自身がその選択を選ぶことはなかったし、そもそもその選択肢がなかった。
投げ出してはいけないのだから……。
場内がゆっくりと暗くなる。
肘おきに置いた千夏の腕に、同じく肘を置いた彩音の腕が触れる。
どきっとする千夏だったが、平静を装いながらスクリーンを見つめる。
彩音は飲みかけのカップとり口に含むと、そのカップをドリンクホルダーに戻し、手を自分の膝の上に置いた。
肘おきに残った千夏の腕。
帰ってこない彩音のぬくもり。
上映中、彩音の肌が千夏に触れることはなかった。
******
鑑賞後。
千夏としては、彩音が上映中にキレだすかもとどこかで期待していたが、結局その場ではなにも起こらなかった。
逆にさほど興味がなかったのに、ガチ泣きしてしまった自分にびっくりしていた。
映画館を出てからも、終始感動的なラストを思い出し、すすり泣く千夏。
……とは対象的に、納得いかずといった感じで不機嫌に顔を染める彩音。
「彩音……よかったね。さすがは『全米が泣いた』だけのことはあったよね、うぅっ」
「え?千夏、それ本気で言ってんの?全っ然理解できないんだけど、あの主人公」
「へぇ?」
「親が心配だ?兄弟が心配だ?は?意味わかんないし。そもそも親ってさ、なんで子供頼んの?あいつらいい大人でしょ?ふざけんな!お前らの世話を子供におしつけんな!兄弟も兄弟だ!なんで主人公任せなの?お前らも連帯責任だろ」
彩音は千夏の感動など全くお構いなしにぶつくさ文句を言う。
周りには、さっきまで同じ映画を鑑賞し千夏同様感動の余韻に浸る人がちらほら。
ゆえに、彩音の発言に周囲がざわつき出す。
「……彩音」
「なに?」
「千夏が感動して泣いてんのによくそんなこと言えるよね」
「へ、感動?感動したの?どこに?」
「いや、もういいよ」
「ごめん、千夏。私なんか気に障ること言っちゃった?」
「いや、いいのよ。あれ選んだ千夏が間違いだった」
「……だって」
しょんぼりする千夏。
よりもしょんぼりする彩音。
「あ、で、でもさ。途中でショスタコが流れたのは良かったよ!うん、あそこは良かった」
「ショタ……なに?」
「ショスタコーヴィッチの第五番。流れたでしょ?」
「ごめん。千夏、クラシックとかそっち系の音楽のことは全然わかんない」
「……ごめん」
気まずい空気がさらに気まずくなる。
梅雨は終わったはずなのに、二人の周りにどんよりと湿った空気が居座る。
「それよりさ、なんか食べよ!千夏、お腹空いちゃった」
「あ!私行きたいとこあるの!こないだできた中華専門のさ」
「ごめん、昼から中華はちょっと……」
「じゃあなにする?」
「適当にぶらついて、美味しそうなこと入ろ!」
******
人混みで賑わう繁華街。
「なんかどこも美味しそうだね」
そういってショーウィンドウを物色しながら歩く二人だったが、ふと千夏が立ち止まった。
「ねぇ、彩音」
そういって車道を挟んで反対側にあるオシャレなカフェを指差す。
そこはオープンテラスのカフェで若い男女のカップルや仕事休憩のサラリーマン、OL等で賑わっていた。
「え、ごめん。千夏の趣味と違うくない?」
「じゃなくてさ、ほら、あれ!」
そういって千夏のぴんと伸びた指に彩音は顔をのせ、じっと指先の指すカフェの方を見つめる。
行き交う人々、車道を走る車やバスではっきりとは見えなかったが、二人のよく知る人物が一人、そこに座っていた。
「彩音……あれ、孝太郎だよね?」
「うん、先輩だ」
「しかも一人だよね?」
「うん、一人だ」
彩音には、千夏の方を振り向かずとも彼女の顔がニタニタとほくそ笑んでゆくのがはっきりとわかる。
案の定、千夏の正面に回り込むと、彼女の予想は的中していた。
千夏の顔からは、溢れだすワクワクが漏れている。
「彩音……」
千夏が何かを言いかけた瞬間。
「行かない!!」
先手をとって彩音が答えた。
きっと千夏のことなのであそこに行こうと言い出すに違いない、との彩音の予想。
普段ならそこで仲睦まじい口論になるのだが今日の千夏は違っていた。
感動的な映画で心が洗われたのか、千夏は怒ったりムスッする気配を一切見せず、その答えを聞いてむしろニコニコしている。
「よかったぁ」
「う、うん」
千夏の笑顔に一抹の不安を感じる彩音。
「よし、孝太郎尾行隊!出発進行ー!!」
彩音の不安が的中した。
千夏は高らかに宣言し、上機嫌に人混みへと足を踏み出す。
「いやいやいやいや、ちょっと待って!行かないって!」
「へ?」
「行かないって言ったら、千夏もよかったって言ったよね?」
慌てる彩音の肩をポンポンと叩き、落ち着きたまえ、と言わんばかりに微笑む千夏。
「あぁ、それね。千夏は『あのカフェ以外行かないよね?』って聞こうとしたら、彩音が先に『行かない』って言うからさ。あそこ以外行かないってことは、あそこは行くってことでしょ?」
「……」
「でしょ?」
完全にハメられた彩音。
口をあわあわしながら固まってしまった。
反対に、口笛を吹く真似をする上機嫌な千夏。
早く行きたくてうずうずしている。
──人の話は最後まで聞くものだ……こいつに関しては。
彩音は心のメモにそっと書き残した。
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