53

「……ごめん」と茜は小さな声で言った。

 それから急いで、来た道を戻るようにして、お祭りの人ごみの中に小走りで駆け出して行ってしまった。

「茜!」明日香はすぐに茜を追いかけた。

 でも、その腕を匠に掴まれて明日香は立ち止まった。

「離してよ!!」と明日香は言った。

 信じられないと思った。北高の生徒ではない梓はともかくとしても、北高の生徒であり、二人と一緒のクラスでもある匠は、この状況を見れば、今どんなことが起こったのか、茜が今どんな気持ちでいるのか、すぐにでも察しがつきそうなものだった。

 なのにこの男は明日香の腕をとって、明日香を止めた。それが本当に信じられないと思った。

「あんた今、どんな状況だかわかってんの!」と明日香は言った。

「うっさいな。それくらいわかってるよ」と匠は言った。

「でもさ、深町先生もさ、逢沢先生も別に悪くないじゃん。だって今のは茜の一方的な片思いの結果だったんだろ? なら、しょうがないじゃん」と匠は言った。

 明日香は匠の頬を思いっきりひっぱたいてやろうと思った。

 でもその手は梓に止められた。

「明日香。落ち着いて」と梓は言った。

「匠も、少し離れて」と言って、梓は匠と明日香の間に距離を取らせた。

「わかってるよ。大丈夫」と匠は言った。

「梓。ごめん。私、ちょっと行ってくるね」と明日香は言った。

「だから待てって。そっちは俺が行くからさ」と早くも走り出そうとしていた明日香に匠が言った。

「茜は僕が面倒をみるよ。だから明日香と梓はお祭りを楽しんでいけばいい。……じゃあ、まあそういうことで」と匠は言うと、梓と明日香の肩をぽんぽんと叩いてから、茜の消えていったほうに向かって一人で歩いて行ってしまった。

 明日香はそれでも茜を追いかけたかった。今の茜を匠にだけに任せてはおけないと思った。茜を一人にはしておけない。

 茜の隣にいてあげたいと思った。

 でも、そんな明日香を見て、「西山さんのことは、今は匠に任せようよ」と梓は言って、それから明日香の手をとった。

 明日香はなにかを梓に言いたかったのだけど、結局そのまま、明日香は梓に手を引かれて、神社の境内に移動した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る