自然に坐す者

 

 


 崩れないはずの陣地の一部の棘が少しだけ、普段より膨張しているのだ。

 ワイス機構上では、四手子構造物の密度も把握できるが、それが膨張しているとなると、強い“散”の熱にさらされている証拠となる。

 それもただの“散”熱ではない。

 表宇宙に出てからの“散”の熱放射では、熱伝導率が悪いために、膨張するまでに時間がかかる。

 それより早く広がったとなれば、四手子の歪みへの侵入時、強力な電磁波と入射角の差違を使って表宇宙則を高め、こちら側の“縛”熱の法則を弱めているのだろう。

 これは『二択の果断者』では不可能で、その範囲は徐々に広がり、やがて紫棘の大部分に“散”熱による膨張の兆しが現れる。

 それを行っている個体は、死風を突き破って現れた。

 黒き中庸の姿ながら、強力な“散”の熱で固圧を無力化する、現在最強の個体、『黄幻の八』だ。

 今の黄幻の八は発固期の九代目にあたり、無力化に注力する、ある意味忘王にとって最もやりづらい相手だ。

 しかし忘王の“過熱波”も、止静期に最も適したもの。


 その過熱波の込められた固圧陣地は、『黄幻の八』の強烈な“散”熱に当てられても、崩れたりはしなかった。

 八の無力化は習熟を崩すもので、新しい固圧生成こそできないが、既にできている静止固圧の維持だけならば、固圧無力化は働かない。

 “過熱波”によって固められた紫棘は、八の発する“散”熱の影響で、重力の弱化と、硬度の下降を招いた。

 それによって忘王の紫棘群は通常の静止固圧の最高硬度近辺にまで低下した。

 それを確認すると八より先に、その配下たる『二択の果断者』が動いた。

 彼の強みは決断力だ。

状況が僅かでも好転したと見るやいなや、逆さの陣地に強襲を掛け、高い紫棘の刀身の間を滑るように縫い飛んでいく。

 上昇に継ぐ上昇、勢いが出過ぎた時は刀身に繊棘をぶつけ、その衝撃を制動に変えて、別の火孔からプラズマの推力を爆発させる。

 想定より動きが速い。

 超重力の軛は八の散熱に弱められ、引き込む力が彼の慣れている程度であるため止めるには至らないようだ。

 ……死風も紫棘内にまでは侵入してこないから役に立たんが、まあ、焦るほどではない、紫棘の針山は中央に近づけば近づくほど、隙間を無くしていく、躯が入る間隙がなくなってしまえば、誰も入ることはできない。

 『二択の果断者』は垂直に垂れ下がる紫棘の檻に辿り着き、その囲いに繊棘を幾度も振り降ろしたものの、芳しい成果は上げられていないようだ。


 そうしている間に八の刀が最高硬度付近に達し、八が攻め上ってくる。

 上昇してくる八の動きはそれなりに精練されているが、八は普段から固圧攻撃を無力化している関係で回避には不慣れなため、回避の際無駄に距離をとる癖が見て取れる。

 飛翔により『二択の果断者』の位置にまで到達した八は、周囲の大気を固め、十数発の撃発固圧を紫棘に撃ち込みつつ、刀で一閃、甲高い打音と共に、刀が跳ね上がろうとし、しかしそれを腕力とプラズマの急流で押し潰し、刃筋をのめり込ませていく。

 ほぼ同じ硬さの物質が当たっているため、紫棘は切られることなく、刀も折れることはない。

 ただ弱き方が徐々に曲がっていく。

 四手子の構造物は硬いだけでなく粘るため、強過ぎる圧力がかかった部分から緩やかに曲がっていく、極太な紫棘より先に八の刀が曲がって使い物にならなくなると、刀身を溶かして再生成、その間に火孔からプラズマを最高出力で噴射し、分厚い紫棘に密着、今度は檻を灼き溶かそうとする。

 熱で灼き切る方法は大して効率が良くない、酸化する物質なら酸素と合わせることで早く融けるが、この辺りは酸素がほぼないし、酸化を合わせても多少溶けやすくなる程度、特に気にしなくても大丈夫だ。

「一応、防げそうだな」

 八たちが攻勢を仕掛ける様を私は安心して見守っていたが、ある瞬間を境に、そこより遥か遠い位置の巨大紫棘が根元から剥落を始めて、ん?と疑問を覚える。

 なぜ、関係ない場所の棘が落ちる……?

 そうして見ている間にも一本二本と剥落する個数が増えていく……本数を考え、構造を考え、そしてようやく原因に思い至り、焦りを覚える。

 剥落の原因は接着液だ。忘王の静止固圧には所々接着液の層が混ざっている。

 あの層があるかないかで、静止固圧陣地の用途が広がるのだが、今回はそれが裏目に出た。 接着液は“散”熱に弱い、あまりに強い“散”熱を加え続けられると、接着能力が無くなり、その部分から構造物が剥落する。

 普通ならさしたる弱点ではないが、今の敵は“無力化”を理とする八で、三百フォア内に強力な“散”熱を放射し続けるために、接着液が溶け落ちたらしい。

 八もそのことに気づいたらしく、紫棘を火孔で溶かすのを止め、固圧陣地を無力化圏内に入れたまま降下し、一旦距離を取る。

 大方落下してきた紫棘を避ける算段をしているのだろう。

 彼らは戦闘種族なだけあって、個々の判断能力は高い。

 八に付き従う『二択の果断者』も、同一の判断を下したのか、八の近くにまで降下し、固圧陣地全体に“散”熱を加える。

 これは八の真似だろう。八の配下は八の戦い方に憧れている個体も多く、散熱の放出を真似する者もザラにいる。

 『二択の果断者』の力では、精々習熟の低い者の生成を邪魔するくらいの効果だが、八の莫大な熱量に加算されたため、接着液が溶ける速度が多少早まっていく。

 それにしても熱か……これは、対処法はあるのか?

 私には戦闘経験がなく、幼体は私が送り続ける計算式をなぞるのに手一杯で、状況にまで頭が回っていない。

 忘王のように、この陣地を上手く扱う者なら何かできるだろうが、……私には処置する見当がつかない。

いっそ接着液をすべて無くしてみようか。

 しかしそれには今の陣地を一旦消す必要があるから、できるのは補強くらいか。

 思索に耽って操作を続け、ふと気づけば、暴風の強さが増していた。

 先ほど巨雷の兆候も出ていたから、嵐はすぐそこだ。

 “時軸”の移りによって、要因は結果へと変わり、推測は確定に変わる、それは不可逆の更新だ。

 “時軸”は廻る粒子だ。

 表宇宙の終わりにまで流れると、対宇宙の始まりに繋がり、対宇宙が終わりを迎えるとともに、表宇宙の原初に着く。

 電子の動きにも似た、止まることのない円環は、少しずつ流出し、その流出した粒子がまた渦を巻き、それでも円環は維持されるのだから、双宇宙を内包する大きな世界と力が恐らくはある。

 私のような原初生命はそれを知っているが、……それ以上は知らない。

 陣地の剥落が早くなる、熱が接着液を液化させ、やがて崩落の轟音へと変わる。

 この陣地には肝心なものが欠けている。

 この陣地の全ては忘王のものだから、忘王がいなければ、その真価は発揮できない。

 平時は平気でも、危機となると忘王がいないことがどうしても弱点となる。

 しかし、それでも忘王の考えは構想の中で生きている、この陣地は確かに紛い物ではあるが、それでもまだ終わってはいない。

……忘王の強さは、自然を利用することにある。

 暴風と重力を利用した死風と、火孔と重力による熱殺封じ、それに敵の固圧による封鎖を防ぐ接着液の過重限界。

 法則と、工夫。自然との調和。 そんな忘王が岩翼下を選んだ理由は重力の反転の他にもう一つある。

 地表の鳥“億齢”は、直線に飛び続けるモノではない、常に航路を変えている。

 私の気候予想が確かなら、もうそろそろ“億齢”は右に曲がり、その後左に曲がる。

 太古から連綿と続く地表の営み、……そういった視点に比べれば、彼らの戦場は小さき物だ。

 岩翼下を利用した忘王の意識にはそれがあっただろうが、今代の“八”はそれを理解しているだろうか?

 儚き身で超大な翼下で戦う意味を分かっているのだろうか?

 忘王は自然の力を利用する。

 忘王は自然に坐した個体であり、歴代の八の中でも最強の個体だ。

 元が同じ力なら、他のものが加算された方が強くなる。

 現在の八は自力と“億齢”による他力の二種を頼みに戦うが、忘王はそこに自然が加わる。

けれども、これは私の真似た紛い物だから、忘王の自力が損なわれている。

八の自力か、忘王の自然か。

細視か瞰視か、狭いか広いか、優劣はつけ難いながら、自力と自然の力比べは、今のところはそれが結果なのだろうと思う。


 球形に給される“散”熱によって、巨大な陣地が崩落しゆく中。

“億齢”の右岩翼が大きく下に傾いた。

 それによって天盤に逆向きに構築された紫棘の塔群が、軋むような衝撃を立てて岩翼の天盤ごと墜ちてくる。

 --そう八たちに向かって。

 待ち構えていた八とその配下は翼の下降の生む、その怒涛に巻き込まれた。

 八の位置からでは、これは回避できない、“億齢”が翼を傾ける速さは、核融合生物の飛行速度より速い。

 核融合生物は頑丈なため、岩盤に激突しても死にはしないが、八と岩盤との間に横たわる、巨大な紫棘の陣地にぶつかれば別だ。

 紫塔は黒皮より硬く、至る所に突起や鋭い刃がついているから、紫棘の塔群に激突すれば死は免れない。

 押され軋んで雪崩をうって押し寄せる、紫棘の塔群。

 その崩落の怒涛の前には最強の核融合生物など塵芥にも等しく、安否の確認すら必要なさそうに思えた。

 轟きと反響と、下降圧で巨大構造物が砕ける激しい音の狂騒、視界を閉じるとそれが聴覚を埋め尽くし、降下の急峻さを鮮烈に残す。

 その音をしばらく感じていると、一際巨大な轟きが耳朶を打って、狂騒が遥かに小さく感じられる。

一瞬の静穏。

 視界を開くと降下していた超大な岩翼が宙の一点で静止していた。

 その天盤停止の際の圧力によって狂騒が止まったのだろう。

 いや崩落は続いていたが、岩翼の広大さに比べれば棘塔群の崩落が小さすぎて目立たないのだ。

 伸ばすような軋みをおいて、風轟と共に上方向に岩翼が戻り始めると、紫棘陣地が小さき崩落を残し、雲海に落ちていく。

 短い期間の出来事だったため、八の生死は判断できない、『二択の果断者』が自ら盾になり、八が静止固圧の壁で身を守ったのは見えていたが、その後は死風と残骸に紛れてしまい、一時的に見失っている。

 ……まあ探そうと思えばすぐに探せるが、見つけた所で追撃ができるわけではない。

 それよりかは崩れた陣地を生成し直す方が判断としては良いだろう。

 私は油断はしない主義だ。

 岩翼は今度は上方に傾いていき、光霧の流れを下方に置き去ると、……私はしばらくは陣地の建て直しに注力する。

 二千百炉少々まで熱を加え熱圏を生成、白靄を固め形を作り白華していく。

 この際の熱は白金の融点より高いため、気流の動き活発で動かしやすいが、陣地生成は大量の四手子を集める必要があるから、生成に時間がかかる。


 熱の供給をやめ、気化しては固めて、大まかに形を整え、……重い大気を掻き回す。

 静止固圧の陣地は習熟した後も構造を作るのが難しく、高位者の作るモノになればなるほど効率的で、無駄の少ない綺麗な陣地となっていく。

 忘王の固圧陣地はとても綺麗だ。

 建て直しの最中、“億齢”が左に旋回を始め、翼が更に高い位置に来ると、紫の輝きと暗い藍闇の空間に、微かな光が入り込んでくる、その光点は速さを増して迫ってきて、私はついそれに目を移す。

 入ってきたのは核融合生物だな、……八か?いや位置的には違うな、八を叩き落とした地点より、岩翼は上に上がっている、位置的に八は追いつけない。

 光点が入り込むと、上がっていた岩翼が再び落下し、入り込んだその光点は天盤に潰されたが、あの辺りは紫棘の塔群がないため、無事ではあるだろう。

 光点の動きを見ながら、私は陣地を再生させていく。

 動き出した光点は急速に、厚い大気をかき分け迫ってくる。

 ……妙に速いな、それに動きが的確だ。八を追い返してどこかのんびりとしていた私は、何とはなしにその光点を眺め、ふと思い出し、静止固圧陣地生成を急がせる。

 そして、……彼我の状況を見て、独りごちる。 

 

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