三章 プロミス・プロセス

3-1

『……ホント、なんで帰らせちゃったんだか』


 ALICE要塞の内部――そのとある『部屋』に、メアリの声が静かに響いた。


「あの時話したでしょ。居ても邪魔だよ」


 明りの少ない四角い部屋の中で、クロノは一人座り込んでいた。メアリの姿はない。壁に一か所、彼女の感覚機関が覗くのみである。

 部屋はそこそこ広く、天井も高い。だが今現在この空間はとんでもない量の本で埋め尽くされており、非常に手狭だった。おまけに部屋の一角にはこんもりとした衣服の山があり、そこには主に、黒い色のコートやトップス、ズボンが雑に積まれている。そしてその近くの壁には、鏡が二枚はめ込まれていた。

 部屋にある本の割合は洋書が三、和書が七といった具合。ジャンルは多様で、雑誌、小説、専門書や辞書、図鑑から絵本まで様々だ。

 クロノは本の山から一冊を引っこ抜き、どこかつまらなさそうに適当にぱらぱらとページをめくる。するとその態度を見咎めた――わけでもないだろうが、メアリが多少声を荒げた。


『それ本気で言ってる? クロノス・グラフの重要性、知らないわけじゃないでしょうに』

「そりゃね」

欠落したデータは、消去デリートされたわけじゃなかったのよ。たぶんグリモアの通信網に乗って流出して、あの子の体内に定着してたんじゃないかしら』


 興奮しているのか、多少早口にメアリが告げる。


「……そういえば、抽出とか複写コピーはできなかったのかな」

『さぁね。アタシは言語変換ぐらいしかできなかったし。でもALICEの修理機能は復活してないみたいだから、無理だったんじゃない?』

「つまり、今のところ僕の修理はあの子にしかできない、と」

『そうよ。だからあの子はあなたにとって――いえ、アタシたちにとって必要なの。わかる? それにあの子の価値は修理だけじゃないわ。あの子とあなたの共通点を探れば、機能停止せずに鏡を抜ける方法なんかも判明するかもしれないじゃない』

「なに? 観光にでも行きたいの?」

『単純な知識欲よ。それに道具ってのは仕組みを理解して使った方が効率的なことも多いのよ』

「鏡の通り方なんて今さら知ってどうなるってのさ。時間の無駄だよ。……僕の修理に関しても、もう壊されないようにすればいいだけだし」


 クロノは本から視線を外さず、飄々とした態度で返す。


『なんでそんな頑固なのよ。あの子意外とガッツありそうだし、ちゃんと頼めばきっと協力してくれるわよ』

「面倒臭い。……っていうかそんなことより壊れた場所の修理状況はどうなのさ」

『ふん。……ほとんど直ってんじゃないの』

「あの街から帰ってくる時の鏡は?」

『セブンオブクラブのこと? えーっと……ああ、使えるようになってるっぽいわね。って、またあそこ行く気?』

「うん。散歩がてら」

『……ったく。日本ってとこに繋がる鏡が見つかってから、えらく外出にご執心ね?』

「まぁね。……帰ってくる頃には他のとこも直ってるといいなぁ……壊れてるとこあると戦いにくかったりするしさ」

「アンタ、自分であれだけぶっ壊しといて随分な態度よね』

「僕じゃない。オートマトンがやったんだよ」

『はン。どうだか』

「ま、倒したんだからいいじゃない」

『マキナちゃんのおかげでね』


 するとそこでクロノは本を閉じ、声のトーンを落とした。


「……メアリ、なんであの子にこだわるの?」

『当たり前でしょ。アタシたちの目的は何? ALICEのためにアンタは必要なのよ。最後の騎士がぶっ壊れちゃったら誰がALICEを守るっての?』

「…………」

『それに、アンタがずっと言ってる[あの人]とかってのも、ALICEが破壊されたら守れなくなるわよ?』

「……そうだね」

『だったら――』

「メアリ。『彼女』は言ってた。『向こうの世界に私は居ないほうがいい』って。彼女がそうなら、僕らだってあっちに深く関わるべきじゃないんじゃないかな」

『プラプラ出歩いてるくせに何言ってんの』

って言った」

『はぁ……っていうか、そもそもそれは彼女があっちの世界を案じたからこそ言ったことなんじゃないの? 協力してもらえばあっちも効率よく守れるんだからそのほうがいいに決まってるじゃない』

「……今のままでも十分いけるよ」

『もぉ。なんでアンタはそう――』


 そこでメアリの声が急に途絶えた。


「……メアリ?」

『準備なさいクロノ。Z‐84910区画。オートマトンよ』

「区画言われてもな。ナビゲートして」

『そろそろ自分で覚えたらどう?』

「一つの世界に広がってるような要塞なんて把握できるわけないでしょ」


 言いつつクロノは立ち上がり、部屋の壁にある二つの鏡のうちに手を触れる。鏡は水面のように揺らいで彼を飲み込み、彼を部屋の外へと誘う。

 そしていつもの通路に出たクロノは、壁に覗いたメアリの感覚機関から音声指示を受けて駆け出した。左足の損傷は回復していないが問題ない。右腕の『ヴォーパル・インパクト』さえ起動できればそれでいい。

 狩るのだ。あのイレギュラーを。

 それはクロノにとってひたすらに長く続いた、日常だった。

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