第96話

「たくさんの野草が見られる戦場ヶ原にも寄りたいけど、時間がないから日光湯元の温泉に向かうね」


「大樹くんは温泉につかりたいだろうけど、万が一の時の運転補助だからダメね」


大樹は黙って、着たばかりのTシャツの胸を指す。


書かれているのは、道路看板枠内に書かれた、おっしゃる通り。


明石先輩は笑いながらも安全運転。



「そう、戦場ヶ原の言われなんだけど、皆知ってるかな?」


「いや、そういえばよくわからないです」


僕は、蛇と百足が戦ったことくらいの知識しかない。


「むかし、男体山の神と赤城山の神が、美しい中禅寺湖を領地にしようと奪い合う戦いをしたんだ」


「しかしなかなか勝負がつかず、男体の神は鹿島の神に助けを頼んだ。すると鹿島の神は自分が助けるよりも、男体の神の子孫の猿丸という弓の名人に助けを求めるように助言したんだ」


「猿丸は岩手県南部の奥州に暮らしていた」


「男体の神は大きな白い鹿に化けて猿丸の前に現われ、これを仕留めようとする猿丸を日光に誘導したんだ」


「正の買ったTシャツの、計画通り、だね」



「ここで男体の神は姿を戻すと自分が猿丸の祖先であることを語り、また赤城の神との争いの事情を話し、助力を求めたんだ」


「猿丸は引き受け、どのようにしたら良いのか聞いた」


「男体の神は、自分が大蛇となり、赤城の神が大百足となって争うだろうから、その大百足の目を弓矢で射抜くよう教えた」


「戦いが始まり、何千何万という眷属の蛇の群れと百足の群れが噛み合う凄まじい争いとなった」


「地鳴りはするわ、血が川になって流れるわで、それはもう凄まじい戦いだった」


「まるで、妖怪大戦争ね。おー怖」


恵ちゃんが、おどろおどろしい声をする。


「猿丸は、その中でひときわ大きな蛇と百足が絡み合っているのを見つけ、赤城の神はこれに違いないと大百足の目をめがけ矢を放った」


「矢は見事に大百足の左目を射抜き、敗れた赤城の神は血を流しながら逃げ去っていったんだ」


「美しい中禅寺湖の利権が絡んでいたのね。戦場ヶ原の戦い」



「さて、着いたよ」


意外に早く日光湯元に到着した。


明石先輩と大樹以外、旅館の温泉だけを頂きにいく。



「わずかにとろみをおびた乳白色の湯。硫黄泉特有の匂い、お湯がじんわりと体中にしみ込んでいくの」


「ポッカポカでツルツルになったわよ」


「冷えるところは暖かく、暖かいところはより暖かく」


「花の二十歳、二十一」


「どうする? 私たち、ゆでたてよ?」


恵ちゃんが色気を出した口調で話す。


三人とも、とても綺麗だ。湯上がり美人。


僕は照れないが、大樹と義雄が少し恥ずかしそう。


「Tシャツ着た?」


僕は恵ちゃんたちに聞いた。


僕は、計画通り、義雄はシナリオ通りを着た。


「いや、三人で着ようかどうか迷ったんだけど、この場のノリはオーケーだけど、都会の帰りの電車では三人ともバラバラ」


「私は、やればできる子です。歩ちゃんは、人見知りです。みどりちゃんは犬と話せます」


「迷ったけど……」


「やっぱ、三人とも着たわよ!」


「もちろん、ご覧の通り、文字隠しに皆ブラウスを羽織ったけど」


「まあ、大学まではTシャツだけのノリでも大丈夫けど、帰りの電車で一般客に見られたら、私たち何だと思われる?」


「まあ、普通じゃない、と思われるよね」


「ブラウスか何かを羽織らないと」


「公共の場では、ちょっと……、ね」


「さて、大学まで約3時間。第一いろは坂を降りて、少し日光の道の駅に寄ろう」


「そのあとは高速道で、トイレ休憩で止まるくらいかな」


「安全運転で行くよ」


「は〜い!」



「正くんは明日も明後日も日光だね」


「はい……」


恵ちゃんは、微笑んで義雄のTシャツを指差す。


シナリオ通り。


「それさ、黄色花とオレンジ色の研究論文にはピッタリ合う文言だけど……」


言いかけて、僕だけが笑えない。

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