第72話

「何あくびしてんだよ、正」


大樹が実験室にやってくる。


「夜間に目を開き、昼間には目を閉じる。ランのCAM型光合成の気孔じゃあるまいし」


「ああ。やはり徹夜はいけないね。試験前じゃないのにね」



「正、明日おじさんのところへ行くよ」


「ありがとう。助かる」


「サンプリングするカーネーション材料のリスト作るから確認して」


「了解」


「コーヒーブレイクしないか?」


「うん。そうする」


大樹が眠気覚ましの濃いコーヒーを入れてくれた。


角砂糖二つ。甘みと苦味が丁度良い。



「正よ〜。無理すんなよ」


「仲間がいるんだから頼ってくれ。俺も義雄もお前より暇なんだし」


「ああ、ありがとう」


「恵ちゃんのことは、俺たちバカじゃ無いんだし気付いてる」


「上手くやれよ……」


大樹の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。


「俺は歩ちゃんと少し付き合ってみようと思う。明日もおじさんのところへ一緒に行くことにした」


「義雄はあいつの性格上、まだはっきりしないけど、みどりちゃんに気を惹かれている」


「全てはオレンジ色のカーネーションから始まったんだ」



「三つのオレンジ色の恋だ」



「歩ちゃんとのランチ、牛丼はよしておきなよ」


「そんなこと分かってるって」


「歩ちゃんがお弁当作ってきてくれるらしい」


大樹は下を向いて照れ臭くしている。


「しかし、実は俺も義雄も正にライバル心を抱いている」


「なんて言うんだろう……、勉強も恋も」


「僕は皆に何にも感じていないよ。ライバル心なんて」


「そこがお前らしい」


「男って違うんだよ。正はその真の心理を分析すると男じゃ無い」


「闘争心がないんだ」


「俺が恵ちゃん奪ったらどう思う?」


「まあ、仕方ないと思う」


「義雄だったら」


「それも、仕方ないと思う」


「俺らはそうは思わない。そこが正と違うところ」


「何が違う? どちらにせよ、僕は恵ちゃんと友達として仲良くする」


「友達として?」


「今の正も、まだ恵ちゃんとはまだ友達だろ?」


「そういえば……、そう」


「だろ?」


「まだ俺らにもチャンスはあるな」


「誘導尋問か?」


「違うよ。そうだったら歩ちゃんを明日誘わない」


「俺、歩ちゃんのこと……」


大樹のスマホが鳴る。


「あっ、歩ちゃん。明日さ……」


大樹は廊下に出る。


すぐに戻ってきた。


「こう言うのを、シンクロニシティと言うんだ。意味のある偶然の一致」


「歩ちゃんの話をした途端、彼女から連絡が来る。共時性というものかな」


大樹は鞄からポリスのCDを取り出し音楽をかける。


ポリスのアルバム、シンクロニシティ。


「これ、学祭でやる。俺はシンクロニシティと、見つめていたいのドラムを叩く」


「古いな、かなり。80年代か。でも、未だに新しいよな、何かが」


「ああ、ポリスはいいよ。時空を超えてる」


「正の好きなクラシック音楽と同じさ」


大樹のLINEに連絡が入った音。


「あれ? これ伊豆でナンパした子からだ」


”明日、会えませんか?”


「それもシンクロニシティ、意味のある偶然の一致か?」


大樹は返信を打てないまま遠い目をする。



「さて、僕はラフマニノフの交響曲第2番でも聞いて実験、実験」


「第二楽章の甘美なメロディ。恵ちゃんと聴きたいね」


「さて、終わった、終わった」


恵ちゃんが息を少し荒げて温室から帰って来る。


「何? 二人とも実験サボって音楽?」


僕はイヤホンの片方を恵ちゃんの耳に優しく着ける。


「ラフマニノフね。私、この第二楽章大好き。なんか今、こういうの聴きたかったんだ」


「シンクロニシティ、かな?」


僕は呟く。


恵ちゃんは、センチメンタルなクラリネットのソロに引き込まれている。


しっかりと僕の目を見て。



恵ちゃんだけは誰にも渡したくない。


僕も男だ。

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