第60話

「すごい! とろけるわ! もう、身も心も。どうにかして!」


「美味しいでしょ? ここ」


「うん、すごい美味しい」


「こんなボリュームの海鮮大漁盛り、これで千円しないの?」


「一階の魚屋さんと二階の食堂。両方で繁盛しているからじゃないのかな」


「大学の駅東の回るお寿司屋さんも美味しいけど、ここのは遥かそれ以上ね!」


恵ちゃんは、大満足。


「ああ〜、幸せ。こんな幸せあるんだ」


大樹も唸る。


「いいなあ〜正。就職したら、またここに来ることあるんだろ?」


「うん、多分頻繁に」



「ところで正の赴任予定先、どこだっけ?」


「横浜か東京」


「なんだ、どちらにしろ大学のすぐ近くじゃん」


「恵ちゃんは大学院でしょ。義雄は決めたの? 就職か大学院か」


「まだ迷ってる。6月末までには決めておかないといけないんだ」


「就職するとしたら赴任先はどこ?」


「宇部市の予定」


「山口県!」


「また、遠いところになるな」


「うん」


「大学院に行きなよ。工学部の。みどりちゃんとも仲良くしてさ」


大樹が言うと義雄が照れる。



「そうそう、歩ちゃんは東京の大手百貨店の宝石販売店に内定したらしいよ」


〜らしい、恵ちゃん情報。時折あてにならないこともあるが。


「大樹は札幌だよね?」


「そう。もう決まり」


「おじさんの会社だっけ?」


「そう。うちはお金持ちの系譜だから」


「歩ちゃんも東京で修行を積んで、札幌にある系列店に転勤するかもね」


恵ちゃんが言うと今度は大樹が照れる。


「いいよ、今からそんなこと」


「場合により、正のおじさんの会社で採用してくれる」


「待ってよ、もう……」



「さて、弁財天様と大仏さまを参ったし、美味しいものも頂いたし。満足満足」


「戻るとするか、戦いの場、いざ! 研究室に」


「俺たちがいるところが、いざ! 鎌倉へ、の場所じゃないのか?」


「まあ、なんでもいいよ。安全に帰るよ」


「は〜い!」



ーーーーー



「私、ラン温室見て来るね」


恵ちゃんは帰って早速研究開始。ラン温室に小走りしていく。


黄色のカルコン色のワンピース。綺麗だ。


恵ちゃんをしっかりと抱きしめられるのも、そう遠くではない素敵な予感。


いや、もう抱きしめた?



「今回、一番いい思いをしたのは正だな」


大樹がしつこい。


「なんで?」


「いや何となく」


「まあ、いい思い出はできた」


「恵ちゃんとか?」


「それもあるけど、皆んなとね」



「おかえり正くん。正くんたちの夜の部、芸もコンパも大受けだったんだって?」


有田先生がやってきた。


こう言う情報は流れるのが早い。


「一年生も、渡辺先生も感心してたよ」


「こんなに優秀で面白い四年生。久しぶりだって」


「僕らが学生の頃は君たちみたいな人間が多かったんだけど、最近はおとなし目の学生が多いからね」


「時代ですよ、時代。昔はお酒にタバコ、一年生の時からなんでもありだったと聞いています」


「今は厳しいですからね。特に飲酒」



「夜の海も一年生、喜んでいたみたいよ」


「一番喜んでいたのは正です」


有田先生は、首をかしげる。



「そうそう、浅野教授、帰って来たからね」


「とうとうか……」


なあ、正。


「ああ……とうとう……」


なあ、義雄。


「うん……」


卒論、カーネーションのオレンジ色、そして植物検定。どうなることやら……。



恵ちゃんが温室からカトレアの切り花を持って帰って来る。


「どっちが綺麗だ?」


自分とカトレアを並べる素振り。


皆んなのリアクションがない。


「あれっ? 皆んなどうしたの?」


恵ちゃんは後ろを振り向く。



「あっ! 浅野教授!」


振り向くと、ヒグマがいたかのような驚きよう。教授の格好もヒグマを連想させる作業着。



「おう、皆久しぶり」


いきなり、南米土産のケーナを吹き出す。


南米ペール、ボリビアが発祥の縦笛。


浅野教授はコンドルが飛んでいくを奏でる。


「誰か吹けるやついるか?」


高校時代クラリネットだった恵ちゃん。現役ホルン吹きの僕。


コツを掴んで、なんとかすぐに先生レベルに達した。


大樹と義雄は全然ダメ。



「来週から植物検定始めるからよろしく頼むぞ」


浅野教授は有田先生にそう話して教授室に戻っていった。



「と、言うことです」


僕らは口を開けたまま。来月からじゃなくて、来週から?



「そう、ゴメン忘れてた。恵ちゃんの方がカトレアよりずっとずっと綺麗だよ」


僕は優しい目をして呟く。


「ありがとう。大樹くんと義雄くんの目は死んでるね」


「ビグマの天敵だから、許してあげて」


「ウマが合うと言うか、ウシが合わないと言うか、大樹と義雄は、浅野先生の不機嫌の発散場所なんだ」


「正と恵ちゃんはいいよ。気に入られていて幸せで」



「あら、幸せにはルールがあるのよ。


「残念ながら、誰かが君を幸せにすることはできない」

 

「君を幸せにしてくれるのは君自身なんだ」


「でしょ?」


黄色いワンピースが、本当によく似合う。自分自身が幸せになっている恵ちゃん。


実験室に呼んで抱きしめようか?


「恵ちゃん、実験室、一緒に来る?」


「いいよ」


僕らは申し合わせたように抱きしめあい、軽くキスをした。

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