第37話

「来週の果樹園芸学実習サポート、伊豆ね」


「私楽しみ。綺麗な海」


恵ちゃんが瞳を輝かせ両手を握る。


「今年の1年生の女の子、可愛い子が多いらしい」


大樹が、ボソっと呟く。


「あら、大樹くんは内輪の女の子はそっちのけ、夜の海へナンパに行くんじゃなかったっけ?」


「ほっといてくれ」


「まあ、一泊二日だと無理か。一発で仕留めなきゃならないから」


「一発で仕留める。それをナンパというんだ」


「うまく行くように、私、付き添いで行こうか? 殺し文句、耳打ちしてあげる」


「だ・か・ら、ほっといて」



歩ちゃんの優しさに少し惚れたのだろうか。


おじさんのところに歩ちゃんと二人で行ってから、大樹の様子が変わってきた。



「正くんはナンパ行かないよね? そういうタイプじゃないから」


「僕だって、合コンくらいはしたことあるよ」


「へえ、そうなんだ。で、結果は?」


「0勝0敗」


「なんだ、つまんないね」


「3年間、彼女なしか……」


「寂しい青春時代ね」


「恵ちゃんだって、3年間彼氏なしでしょ?」


「身持ちが固いのよ」


「僕だって……」


「男子は身持ちが云々、言い訳にならない」


「はいはい」



「そう、もう一人の身持ちの固い義雄くんは?」


「実験室にずっと閉じこもっている」


「あら、何かのトラブル?」


「義雄、カーネーションから面白いトランスポゾンを見つけたみたいなんだ」


「トランスポゾン? 大樹くん、知ってる?」


「確か、動く遺伝子のことだろ」


「あっ、私も聞いたことある。動く遺伝子。なんだかよく分からないけど」


「動く遺伝子。説明しようか?」


「うん」


「動く遺伝子の説明の前に、遺伝子と染色体、ゲノムについて話すね」


「うん。お願い」


恵ちゃんは興味を持った時の、いつものように目をクリクリする。



「遺伝子とは、今僕たちが調べている、カーネーションが黄色花になる、赤い花になる、そういう色素を合成したり、後代に伝えたりするDNAの特定の部分を言うんだ」


「酵素やホルモンなどのタンパク質の構造にかかわる暗号部分と、その暗号の読み取りを指令する部分。これが遺伝子ね」


「染色体はヒストンと呼ばれるタンパク質にDNAが巻き付いた棒状の固まり」


「細胞内の染色体の数は、生物の種類によって違う。高等動物、高等植物の場合、同じ染色体が対で存在する。つまり、一つの細胞に染色体のセットが2セット入っている」

 

「この、生物が正常な生命活動を保持するための基本となる1セット全体のDNAのことをゲノムというんだ」


「ゲノムとは、遺伝子と染色体から合成された言葉で、DNAのすべての遺伝情報のことなんだ」



「正くん、よく知ってるね。なんだか面白そう。ゲノムって」


「そこで動く遺伝子なんだけど、これはノーベル賞受賞者のバーバラ・マクリントックが発見したんだ」


「動く遺伝子、すなわちトランスポゾンが、一つの染色体から他の染色体に移動して、その場所の遺伝子作用を調節することを見いだし、遺伝子が単独で、一つの染色体から他の染色体に移動することがあることがわかったんだ」


「すごいすごい! まさに動く遺伝子ね」


「うん」


「バーバラ・マクリントックは、トウモロコシの実に見られる斑(ふ)に着目してこれを見つけた」


「僕らの調べているカーネーションも然り。白地に紫など、色々な斑(ふ)模様があるでしょ。それらは動く遺伝子、トランスポゾンの仕業ということは昔から知られているんだ」


「あと、枝変わり。例えば赤い花が突然ピンクになったりすることあるでしょ?」


「これは、YIA SRMの遺伝子系のうちの、例えば濃淡のS遺伝子にトランスポゾンが入り、劣勢のsのごとくピンクになる」


「そして、トランスポゾンがS遺伝子から抜け出すと、また優勢のSに復帰して赤になる」



「面白い、面白い!」


恵ちゃんは興味深々。



「そして面白いことに、トランスポゾンが抜け出すと、フットプリント、つまり遺伝子に私が挿入されていたことがあるんですよ、みたいな足跡、証拠を残すんだ」


「なるほどね。確かに面白い」


大樹も頷く。



「黄色花のCHI遺伝子も、フットプリントが残されている」


「ただ、今、義雄はDFR遺伝子に残されたトランスポゾンの足跡の方に夢中だけれど」


「どうして、DFR遺伝子の方なの?」


「もう少しだけ難しくなるけど、いい?」


「うん。いいよ」


恵ちゃんも大樹も身を乗り出す。

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