第36話
「恵ちゃん。じゃあまた明日ね」
「明日も可愛いらしくいてねっ」
「うん。任せて」
「じゃあ、バイバイ」
「正、義雄。俺も帰る」
「大樹も?」
「ああ。おじさんのところに行ったし、少し疲れた」
「歩ちゃんへの気疲れじゃないのか?」
「違うったら!」
大樹はぶちぶち呟き、帰宅した。
研究室で義雄と二人。
少し濃すぎたコーヒーを飲む。
「あのさ、正。お前にしか多分伝らないことなんだけど……」
みどりちゃんの話かな? 興味がある。
「実はカーネーションのDFR遺伝子を調べていて不思議なことを見つけたんだ」
「ある品種で、トランスポゾンによりDFR遺伝子が破壊されている形跡があった」
どうやらみゆきちゃんの話ではなさそうだ。
「トランスポゾン、動く遺伝子か?」
「そう。しかも遺伝子のエクソン領域だけに挿入される、他のトランスポゾンにはない極めて珍しい特性をもっていることが明らかとなった」
「ターミナル・インバーテッド・リピートとして、5’-CAGGGTT-------AACCCTG-3’を有するAc/Ds型」
「このトランスポゾンは転移酵素を内部にコードしない非自律性因子、カーネーションゲノム内に存在する自律性因子からトランスポゼースがトランスに作用することによって動く」
「それで?」
「このトランスポゾンの挿入によって色素合成系遺伝子が不活性化され、脱離することによって再活性化される」
「この知見から、三つのことが分かる」
「トランスポゾンは、その挿入によって遺伝子破壊を生じさせるために、遺伝子の発現を抑制・失活する上で有用だろ?」
「一つ目は、これを利用した遺伝子解析法がトランスポゾン・タギング。トランスポゾンを遺伝子導入ベクターに結合して、これを内在性の転移因子による変異体が見い出されていないような植物に遺伝子導入し、この外部から導入したトランスポゾンを転移させて未知遺伝子内に挿入させることができる」
「二つ目は、トランスポゾンをプローブとしてこの未知遺伝子を単離・同定することができる。このようなトランスポゾンを用いたタギング法によって、植物においてこれまでに様々な有用遺伝子がクローニングされてきたんだ」
「また、遺伝子破壊することによって機能を調べる機能喪失(loss of function)の手法として、トランスポゾンを用いたタギング法は最も有効な方法なんだ」
「三つ目は、今回見つけたトランスポゾンは、高い確率で遺伝子のコーディング領域に挿入される性質を有するため、トランスポゼースを見つけたら、タギング法による遺伝子機能の研究をとても効率よく行うことが可能なんだ」
「義雄、待って、待って。整理して行こう」
「あくまで、まずはカーネーションだけの分野で押さえておこう」
「しかも、皆がわかるように単純なところから」
「カーネーションにおいてトランスポゾンが挿入された構造遺伝子は機能しないため、それによって色素合成は出来なくなり、花色は正常とは異なるものになる」
「しかし、トランスポゾンが脱離すると、その遺伝子は正常な機能を回復し、再び色素合成を行なうようになる」
「今回、カーネーションから動く遺伝子、新規のトランスポゾンが見つかった」
「そしてそれは、DNAのエクソン領域だけに挿入されるAc/Ds型。非自律性因子」
「そのトランスポゾンを動かすためには、トランスポゼースが必要」
「これくらい簡単な事から入らないと、皆、何も理解できないよ」
「そうだね」
「しかし、動く遺伝子か。カーネーションの花色研究。奥深いね」
「大樹、恵ちゃんに分かりやすく伝えて、トランスポゾンの知見も共有しなきゃね」
「うん」
「義雄、一度皆で生命工学研究室に、動く遺伝子、トランスポゾンに関するレクチャーを受けに行こうか?」
「いいね、それ」
「義雄、近いうちにみどりちゃんに日時、調整してもらってきて」
義雄は恥ずかしげに頷く。
「義雄、今日のCHI遺伝子に、Ac/Ds型のトランスポゾンのフットプリント、つまりトランスポゾンが出入りした痕跡があるだろうから確かめてみて」
「また、CHI遺伝子の末端にはレトロトランスポゾンの足跡が確認できると思うよ」
「正。よく知ってるな。関心するよ」
「僕もみどりちゃんの先輩、同期の隆から、遺伝子に関するレクチャーを受けたことがあるからね」
「学ぶって大事だね」
「うん。真似ぶ、そして学ぶ」
「難しいことでも、分からなくても繰り返し頭に叩き込み、真似るんだ。何をしているのかがわからなくても。とにかく一緒に一生懸命実験する、真似ぶ」
「ある時、ハッ!と分かるんだ、自分がしていることが何かを」
「真似ぶが、学ぶになる」
「知らず知らずのうちに、自分が変わっていく」
「サイエンティストへの階段だよ」
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