消える灮

 カノン・プレストウィッチは魔法犯罪対策室専属特別特殊特務魔女部隊「フロイライン」を率いるエリートの魔女であった。一緒にやってきた魔女たちはみな彼女の部下であるらしい。ゲヘナのピンチを救うべく、絶妙のタイミングで現れてくれたのは有り難いが、ゲヘナの手紙は届かなかったのではなかったか。そして別の仕事で手一杯だから、そちらには行けないと言っていたのに、何ゆえここにいるのだろうか。疑問は次々出てくるが、忙しげに立ち回る彼女に対して質問をぶつけることは憚られた。


 ともかく彼女はジゴクノヒカリ教団を摘発するためにここに来たのである。悪魔神像奪還成功の報告を聞いたカノンは、次は鵜藤行徳の身柄の確保に移った。


「鬼頭音禰さん、ですね。今回の件、ご協力感謝します」


「は、はあ……」


 カノンは右手を差し出し、音禰は戸惑いながらも握手に応じた。二人の身長はほとんど変わらなかった。


「で、鵜藤行徳はどこに?」


「はあ、そこに埋もれています」


 音禰が指さした先には、死体が山のように積み重なっていた。ゾンビ化の魔法はすでに解除されており、死体はピクリとも動かなかった。が、死体の山の一部が膨れ上がったかと思うと、その下から人間の手が突き出してきた。カノンの周りの魔女たちが、すかさず杖を構える。


「ほおう、プレストウィッチの魔女か……お目にかかれて、光栄だな」


 そう言いながら、鵜藤が死体の中から這い出してきた。ゲヘナに貫かれた左胸からは、まだ煙が漏れていた。カノンはそれを見て眉を寄せた。


「自動人形……ね」


「その通りだ」


 鵜藤はすっくと立ち上がり、カノンと向かい合う。


「逮捕でも拷問でもするがいい。私は何の苦痛も感じないからな」


「本物のあなたはどこにいる?」


「本物も偽物もありはしない。鵜藤行徳という人格は、人々の信心によって形成されるのだ。この世に満ちる嘆き、苦しみ、救いを求める声、それが我が身に満たされた時、私は何度でも生まれるだろう。それが私だ。お前は何者だ。今のお前は、本当の自分かね?」


「言葉遊びは結構。私の質問に答えなさい」


「理解できぬか。お前も所詮は魔女だな。宗教家とは相いれぬ存在……まあいい、今回は私の負けだ。心臓の欠片はお前たちに返してやろう。まあ、もともと魔女のものでもないがな……」


 そう言い終わらないうちに、鵜藤の目から光が消えた。


「さらばだ、魔女ども。そして、虚無を生きる者たちよ」


 鵜藤の体が崩れ落ち、床に投げ出された。カノンが近寄って、首根っこを掴んで仰向けに冴せたが、鵜藤はもう物言わぬ抜け殻でしかなかった。さっきまでのぎらぎらした表情とは正反対の、うつろな顔つきで、遠くを眺めていた。


「……」


「どうされますか」


 鵜藤を見下ろしたまま黙りこくったカノンに、部下の魔女がおずおずと訊いた。


「体だけでも回収して、魔法学校で心臓の欠片を取り出す」


「鵜藤行徳の逮捕は」


「もう無理ね。ゲレル・ハーウィッチだけでも捕らえて」


「はっ」


 部下の魔女が何人か駆けていった。それを見てゲヘナが訊いた。


「ゲレル? 誰?」


「ああ、人間社会では土守つぐみと名乗っていたんだったわね」


「ほたるんママかよ」


「カノンさん、ゲレル・ハーウィッチが見当たりません」


「そう遠くへは行っていないはずよ。魔法の使用も許可します。絶対に捜し出しなさい」


「ちょちょちょちょっと待って。なんで捕まえるの。おかしいでしょ」


「仕方ないわ。上からの命令だもの。あなたは納得出来ないかも知れないけど」


「納得なんかできないよ。意味解らん」


 ゲヘナが混乱するのも無理はなかった。この時はまだ、土守つぐみが「穢れた血」の魔女であり、魔法学校でどんな扱いを受けていたかを、私たちは知らなかったから。


「それが魔法学校のやり方……ということです」


 第三者の声だった。みなが一斉に視線を向けると、瓦礫の向こうから、黒蘭が姿を現した。アルノーくんによって眼鏡が弾き飛ばされており、額から幾筋もの血を流していた。黒蘭は幽鬼のような目つきでカノンを睨みすえた。


「何も変わっていませんね。相変わらず、体裁としきたりに縛られたまま……」


「クレア・イプスウィッチね。対魔法犯罪法第一条および第二条に基づき、あなたも逮捕します」


 そう言ってカノンはジャケットの内側から手錠らしきものを取り出した。普通の手錠と同じように二つのリングが付いていたが、その間を結ぶ鎖がなかった。それでもリング同士は見えない力で繋がっているようで、恐らくこれも魔導機械的なアイテムなのだろう。カノンは黒蘭に向かって一歩踏み出したが、それをエリサが制した。


「ちょっと待ってくださる? 逮捕の前に、話をしたいのよ、いいでしょう」


 カノンは少し間を置いてから「構いませんよ」と言った。カノンに代わり、エリサが黒蘭の前に歩み出る。エリサは疲れた顔で黒蘭と向き合った。


 先に口を開いたのはエリサだった。


「あなたは、あの禁忌魔法で洗脳されていたわけではなかったのね」


「はい、そうです。そもそも禁忌魔法を発動させたのは、私ですから」


「そうらしいわね。で、その魔法を使ってみてどうだったの? 普通の魔女には、一生使う機会のない魔法なんでしょう」


「別にどうということはありません。普通の魔法と違うのは、呪文が長くて複雑なこと、悪魔神の心臓の欠片を使うこと……」


「それから、魔法の力を失って、普通の人間に戻ってしまうこと、でしょう」


「後悔はありません、魔女などろくなものではありませんから」


「後悔しなさいよ。あなたが本当は魔女だったって聞いて、私ちょっとわくわくしたのよ。ただの人間になっちゃったら、つまらないじゃない。魔女でいた方が、面白おかしく過ごせるでしょうよ」


「……魔女はいつまでも魔女でいられるわけではないのです。外見上は歳を取らなくても、年齢とともに魔力は少しずつ衰えていく。やがて魔力が完全に失われれば、普通の人間に戻り、実年齢と同じ外見になる。夢から覚めるように、ある朝いきなり、年老いた自分を鏡の中に見る、魔女はみな、その恐怖とともにある。そこにいる魔女も、みんなそうです」


 黒蘭は、自身を遠巻きに取り囲む魔女たちに視線を巡らせた。どうやら図星だったらしく、何人かが頬を引きつらせた。


「私たちはみな闇の中にいる。永遠の暗黒の中を、絶望に向かって歩き続けている。だから光が必要でした。それがどんなかすかな光であったとしても、私たちはそれを求めていた。お嬢様には解らないでしょう。光から目を背け、闇の中で生きている吸血鬼には」


「ええ、さっぱり解りませんわ」


 エリサはあっさりと言い放った。


「命に限りのある人たちは、ずいぶんとどうでもいいことでくよくよ悩むのね。そんなふうにうじしてるから、へそ曲がりをこじらせて、がんじがらめになってしまうのよ。別にいいじゃない、ババアになっても」


「あなたは歳を取らないから、そんなことが言える!」


「ずっとうちで働いていればよかったのに。魔女の社会とも、人間の社会とも隔たれた場所にいれば、あなたももうちょっと楽に生きられたんじゃなくて? こんなバカみたいな宗教に縋り付く必要も、なくなったでしょうに」


「……」


「教団は潰れましたわ。あなた他に行くとこあるの。ないでしょ。ならうちに戻ってきなさいよ。あなたみたいなひねくれ者でも、いてくれないと困るのよ。罪を償う必要があるなら、その後でも構いませんわ。私はいつまでも待てますもの。百年でも二百年でも」


「お嬢様……」


「だから、また、一緒に……」


 エリサは黒蘭に手を差し出した。黒蘭もそれに応えて、おずおずと手を伸ばす。しかし二人の手が交わることはなかった。黒蘭は素早く手を突き出して、指先をエリサの口の中にねじこんだのである。


「も、もがっ……な、何しますのっ」


「フ……フフフフ……」


 エリサの口から引き抜かれた黒蘭の指には、牙によって傷がついていた。そのほんの小さな傷口を中心として、血管が黒く浮き上がっていく――。


「お嬢様……あなたは勘違いしてらっしゃる。私にとっての救いは、ただひとつ、鵜藤、行徳……」


 黒蘭はエリサに喋りながらも、目はカノンに向けていた。そのままカノンに向かって、よろめきながら、一歩、また一歩と近づいていく。


「黒蘭! 黒蘭ッ」


 エリサは何度も黒蘭の名を呼んだ。完全に下僕化していれば、エリサの言葉にも従っただろう。しかし咬んだのが指先だったせいで、下僕化の進行が遅く、黒蘭はまだ自我を残していた。やがて首筋にまで、黒い血管が浮き出してくる。


「ああ、見ていてください、鵜藤先生……私は、私は……クレア・イプスウィッチは……」


「黒蘭!」


「クレア・イプスウィッチは……最後まで、大いなる、理想のために……ああ、ああ……」


 犬歯が伸びる。目が白濁する。黒蘭は床を蹴り、髪を振り乱しながらカノンに飛びかかった。正面から襲いかかってくる黒蘭に対し、カノンは一切怖じることなく、魔法の杖の柄を引き抜いた。中から刃が現れた。仕込み杖であった。カノンは踏み込みながら刀を振った。黒蘭の首が飛んだ。頭を失った胴体は断面から黒い血液を噴き散らし、どうと倒れた。黒蘭は絶命した。飛んだ首は床に転がって、ペロが食べた。骨を噛み砕く音が生々しく響き、人の死に対する悲しみも敬虔さも湧いてこなかった。


「……」


 誰も何も言わなかった。雨だけがしとしとと降り続いていた。雨水が全てを洗い流してくれるよりも早く、きっと雨は止み、雲は晴れ、太陽の光が全てを白白と照らし出すのだろう。一面に広がった、無残かつ無意味な死と、破壊の痕跡の全てを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます