最後の戦い

「まだ生きておったか、しぶといな」


 秋雨の霞の向こうに、鵜藤が立っていた。その傍らにはやはり音禰もいた。雨に濡れるのも厭わず、二人はその場に佇んでいた。


「逃げるのなら、逃げればよい。ただ解っているとは思うが……蛍を連れて逃げようとすれば、悪魔神はお前たちに死を与えるだろう。そして、土守つぐみを連れて行くのならば、私たちがお前たちを殺すだろう。どうする、怪物団の諸君」


「お母さんは……もう、関係ないでしょう」


 蛍が声を上げた。背中から、淡い紫の光を発しながら。


「そういうわけにもいかんのだ」


 鵜藤が言った。


「その女を野放しにすると、世の中に悪魔が蔓延る恐れがある。お前にとっては、弟や妹ができた方が嬉しいかも知れないがな……さあ、土守つぐみを差し出せ」


「お母さんは気絶してる」


「そうか、それは運が良かったな。正気であれば、私が一言、命令を下すだけで、自殺させることができた」


「それ以上……お母さんを馬鹿にしないで」


「馬鹿にして何が悪い? 家畜の子を孕んだ女を」


「……」


 蛍は怒りを必死に押し殺しているようだった。放っておけば、鵜藤に飛びかかっていきそうだった。ゲヘナが後ろから肩を抱き、蛍を宥める。


「大丈夫だよ、土守さん。ここで鵜藤と悪魔神を倒して、先生も土守さんもお母さんも助け出す」


「でも……どうやって」


 蛍が言った。私も同じ思いだった。教団を打倒し、みんなを救い出す。それが最高の結末には違いない。しかしここからどうやって逆転するというのか。魔法も使えないこの状況で。


 だが、ゲヘナの表情には謎の自信が満ちていた。


「今、何時か解る?」


「え? 解らない」


「なんとなくでいいから」


「昼前くらいじゃないかな」


 私たちは空を見上げて、厚い雲の向こうを透かし見ようとしたが、太陽の位置は解らなかった。そもそも、今何時かということに何の意味があるのだろうか。誰かが助けに来てくれるアテでもあるのか。可能性があるとすればカノン・プレストウィッチだが、手紙が届いていない以上、来るはずもない。


「どうだ、腹は括ったか」


 鵜藤の、再度の問いかけがあった。それに対し、ゲヘナはすっくと立ち上がり、ずびしと指を突きつける。


「鵜藤行徳。お前に明日はないっ!」


「そうか、それが答えか、ならば仕方あるまいな」


 鵜藤は音禰に目配せをした。


「やれ」


「はい」


 音禰は杖を構え、呪文を唱えた。同時に、足元が揺れた。瓦礫の積み重なった、不安定な足場の下から、人間の手が飛び出してきた。それも一本や二本ではなく、大量に。


「な、なんだこれ」


 言うまでもなくゾンビの手であった。私たちの足元には死体が埋まっていた。それを音禰がゾンビ化させたのである。今までとパターンが違ったせいで、私たちは対処に遅れ、ゾンビの手に足首を掴まれてしまう。ゾンビの本体も瓦礫の下から姿を現し、濁った目で私たちを見上げている――。


「ええい、離しなさい。気安く触るんじゃありませんわ」


 エリサが渾身の力でゾンビを引き剥がそうとするも、びくともしなかった。エリサで無理なら私たちの力が敵うはずもない。ゲヘナも蛍もゾンビを振り払おうとしていたが、すべて無駄だった。


「お、お母さんが」


 蛍が言う。見れば、未だ眠り続けるつぐみの体に、数人のゾンビが近づいていた。私は咄嗟に触手を伸ばし、つぐみを取り戻す。鵜藤はやはり、つぐみだけは確実に殺してしまいたいらしい。しかし、何故なのだろう。私は少し引っかかりを感じた。なぜここまでつぐみを殺すことに執着するのか。悪魔を生むから、と言っても、そのためには法眼が用意したような条件が必要になるはずだ。ただ普通に子供を産んだだけでは、蛍のような子は生まれまい。殺すべきはつぐみではなくゲヘナの方ではないか。鵜藤にとっては、魔女であるゲヘナを野放しにする方が危険なはずだ。鵜藤の計画が魔法学校に漏れれば、魔女たちが黙っているはずがない。


 しかし、ゾンビはつぐみだけを狙っていた。私が頭上高くに掲げたつぐみに向かって、何人ものゾンビが必死に手を伸ばす。


「ええい、来るんじゃない。向こうへ行け」


 私の四本脚はすべてゾンビに掴まれており、また触手はつぐみを抱きかかえるのに使っていた。そのため群がってくるゾンビを追い払うこともできない。


 さらに、また別のゾンビが瓦礫の下から這い出してきた。ただ、それがゾンビであるとは、一目では解らなかった。ぞのゾンビは人の形をしていなかったのだ。


「な……に? あれは」


 ゲヘナもエリサも、目が点になっている。ここに至って現れた、謎の怪物。身長は二メートル近く、頭からは角を生やし、耳が尖り、腕の先には長い爪。体色は黒かった。いや、黒焦げであった。全身を焼かれた怪物が、私に向かってくる。


「な、なんだあれは。何者なんだ」


「ほ……法眼……?」


 蛍が言った。確信はないようだったが、これが法眼の本当の姿だというのか。謎のゾンビは身動きできない私に迫り、触手の上のつぐみに手を伸ばした。我が触手は伸縮自在だが、つぐみをあまり高く掲げると、また悪魔神の稲妻の餌食となる恐れがあった。それゆえに上空三メートルほどで抑えていたのだが、そのゾンビの手は予想以上に長く、そして力強かった。触手を掴んで手繰り寄せ、つぐみの肩に手をかける。その途端、つぐみははっと目を覚ました。


「あっ……ああっ……」


 そして、ゾンビの顔を見て青ざめる。


「いや……やめて……誰にも言いませんから……ああ……お願い……」


 ゾンビは「ウウウ」と呻きながら、つぐみの首にまで手を伸ばそうとした。その時ちょうどゾンビの足が私の目の前に来たので、私は思い切り噛み付いてやった。


「ウウ……ウグ……」


 四つの口で脚の骨ごと噛みちぎり、ゾンビは転倒した。のたうち回る黒焦げの怪物は、他のゾンビに踏まれ、蹴られ、それでもつぐみに向かって手を伸ばしていた。一方のつぐみは、顔を青くして震えている。


 このつぐみの反応を見るに、やはりこのゾンビは法眼だったのか。しかし「誰にも言いませんから」とは何のことか。何を口止めされていたというのか?


「あっ、悪魔神が……」


 ゲヘナが言った。私は悪魔神の方に目を向けた。すると、悪魔神の体に何かが巻き付いていた。よく見ると蛇だった。無数の蛇が、どこからか伸び上がってきて、悪魔神の体を縛り付けていた。悪魔神の自由になるのは、もはや目だけであった。


「フ、フハハハハ」


 鵜藤の高笑いが響いた。


「さあ悪魔神よ……貴様はもはやそれを振りほどくこともできまい。心臓を渡してもらおうか……」


「貴様、何者だ……」


 悪魔神の三つの目がぎょろりと動いた。鵜藤がいるらしい一点を見下ろしていた。


「貴様、人間ではないな……怪人でもない……」


「何者でもない。ただしこれから神となる。お前に代わってな……さあやれ、クレア・イプスウィッチ」


「はい、かしこまりました」


 どこからか、黒蘭の声がした。もう一匹、蛇が現れて、その頭に黒蘭が立っていた。


「魔導機械か」


 悪魔神が言った。


「小賢しい魔女。人間の真似事ばかり覚える」


「こんなもの、人間には生み出せません……」


 蛇はそのまま、黒蘭を悪魔神の胸元へと運んでいった。悪魔神は目だけでそれを追う。体の自由を奪われていると、魔法も使えないらしかった。


「魔女よ。心臓の欠片だけでなく、我が力の根源まで欲するか。魔法を捨てて、人の身に転じてもなお力に執着する。貴様たちは我々より欲深い。かつての時代より、さらに腐敗が進んだようだな」


「もともと腐っておりました。私はそれに気づき、そこから抜け出した。それだけの話です。では神よ、御身に刃を入れること、お許しください」


「生きたままの心臓だぞ……決して傷つけるな」


 鵜藤が下から言葉を飛ばした。黒蘭は蛇の口から刀を抜いた。ただの刀でないのは明らかで、刀身から煙が立ち上っていた。黒蘭は刀を悪魔神の胸に突き立てる。悪魔神は何の反応も見せなかった。このままでは、すべてが鵜藤のものになってしまう。黒蘭が、悪魔神の胸を切り開いていく――。



 その光景は、私たちからもよく見えた。みな絶望的な表情でそれを眺めていた。そう、もはや眺めていることしかできなかった。みなゾンビに捕まって、その場から一歩も動けないし、変身して飛ぶこともできず、魔法だって使えない。私の触手もあそこまでは伸びない。文字通り手も足も出ないまま、すべてが鵜藤のものになる瞬間を、ただ遠巻きに眺めていた。


「ここまできて、何もできないのか……魔女と悪魔と吸血鬼がいて……」


「魔法も万能じゃないからね」


 ゲヘナは言った。この状況下で、ゲヘナだけが冷静さを保っていた。音禰に目を向けた。音禰は無表情のまま杖を構え、魔法を維持し続けていた。杖の魔力が減ってくると、それを捨てて、背中から別の杖を引き抜いていた。音禰の周りには杖が何本も散らばっていた。


「黒蘭……」


 エリサはそう呟いた。黒蘭はエリサのことなど見てもいなかった。ただ目の前の、神の力に釘付けになっていた。


「お母さん……」


「ほ……蛍様。ここは、一体……」


 つぐみはまだ娘を様付けで呼んでいた。気絶から覚めても、心理操作魔法による洗脳は残ったままだった。


「ごめんね、私なりに頑張ったけど……みんな助けに来てくれたけど……もうダメそう」


「蛍様。なぜ涙をお流しになっているのですか。ああ、私はどうすれば……」


「何もしなくていい。だからせめて最後くらいは……普通のお母さんに戻ってよ」


「最後じゃない」


 ゲヘナが言った。


「えっ?」


「これで最後じゃない。来たよ、時間が」


 そう言って、ゲヘナは頭の三角帽子を手にとった。

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