我が地獄、我が灮

 光あれ、と土守蛍は言った。


 椅子に腰掛けた蛍の周りを、ひざまずいた信者たちが取り囲んでいた。蛍は、最初に会ったときと同じ、黒いセーラー服姿であった。どこか達観したような、もしくは全てを諦めたような、とらえどころのない瞳は、間違いなく、彼女のものだった。十四歳という成長途上の年齢ながらも美しく調ったその顔立ちは、神秘性さえ帯びていた。神々しくも見えた。悪魔的でもあった。私はどうしようもなく彼女の瞳に惹きつけられていた。恐らく他の信者もそうだろう。彼女以外に、この教団を統べる者など存在するまい。この教団――そう、ジゴクノヒカリ教団を――。


 そういえば、鵜藤がいない。どこへ行ったのか。法眼は死んだ。なぜ死んだのだったか。黒蘭も、ずっと姿を見ていない気がする。今どこで何をしているのだろう。エリサがずっと会いたがっているはずなのに。カノン・プレストウィッチは、今もゲヘナからの返信を待っているのだろうか。家に残してきたペロちゃんは、腹を空かせていないだろうか。病院に預けたアルノーくんは、快復しただろうか。そして――私は一体、ここで何をしているのか。


 禁忌魔法――そうだ、禁忌魔法を止めなければならないのだった。あの巨大な魔力炉は、魔力吸収の魔法を維持するためのものでしかなかった。では心理操作魔法は、誰がどこで。歴史の真実。悪魔の復讐。魔女の野望。何が嘘で、どれが本当だったのか。解らない、思い出せない。でも、厭なことばかり続いたのは覚えている。すべて嘘であればいい。何もかも、嘘であれば。


「あなたにとっての、灮は、何ですか」


 蛍が言った。蛍は私を見つめていた。私は急に恥ずかしくなった。私は醜い。蛍とは正反対の、歪な怪物。人前に出ることなど許されない。怖がられ、嫌われ、疎まれる。それが怪物に生まれた私の宿命であり、それが怖くて惨めだった。でも蛍は、私から目をそらそうとはしなかった。


「心を落ち着けて、思い描いてください。あなたにとっての幸福は、何ですか。あなたは、あなたの地獄に、どんな灮を灯しますか」


 蛍の問いかけは、すっと心の中に浸透していった。私は静かに、全ての目を閉じた。闇の中に見えたのは、あの朽ちかけた六畳間。ゲヘナ・ダンウィッチとの日々。そこにはゲヘナがいて、音禰がいて、そしてエリサがいて、卓袱台を囲んでいる。ああ、そこに蛍もいればいい。旧くからの友人のように、あるいは姉妹のように、言葉をかわし、笑いさざめく、そんな時間がずっと続けばいい、私の愛すべき人々の、ささやかな幸福が――そうだ、それが私の――。



 私は、はっと我に返った。体に水がかかっていた。目を動かして上を見ると、天井がなくなっていた。空を覆う灰色の雲から、雨がしとしとと降り注いでいた。ああ、そういえば今日はずっと雨だったなと思った。頭がぼんやりしていた。随分長く眠っていた気がするし、一瞬の夢を見ていたような気もした。そして私は、自分が瓦礫の中でひっくり返っていることを知った。


 雨音に混じって、鵜藤と音禰の声が聞こえた。


「さすがは悪魔神といったところか? 魔力を奪われながらも、あれだけの威力の魔法を使い、そして実体化までしてみせた」


「一体、何が起こったのですか?」


「あのままでは魔力吸収の魔法によって力を失い、蛍への憑依を維持できなくなっていた。だから、魔力吸収の効果を蛍の肉体に押し付け、蛍の体を切り離し、半ば無理矢理に実体化したのであろう。しかしもともと蛍に取り憑くだけで精一杯だったのだから、今はもう、限界以上の負担を感じているはずだ。見よ、さっきから身動き一つしないではないか。もはや何の力を使うこともできまい。今のうちだ。急がねば、奴は肉体を保てず、自壊するだろう」


「何をなさるのです?」


「悪魔神の心臓そのものを、手に入れるのだ。悪魔は、自身の心臓に、無限の魔力を貯め込むことができる。そこに心臓の欠片を全て取り戻し、完全な形になれば……無限の魔力に加え、代償無しでの禁忌魔法の発動が可能となる……」


「素晴らしいことです。まさしく神の領域……」


「神そのもの、と言うべきだろう」


 二人の会話を聞いているうちに頭が冴えてきた。ああ、鵜藤はこのために、悪魔神を蘇らせたのだ。まったく、誰も彼も、神の力に目が眩んでいる――。


 私は触手で体を支えながら、身を起こした。奴を止めねばならない。いや、その前に、ゲヘナたちは無事なのか。


「ゲヘナ、どこだ。ゲヘナ……エリサ……」


 呼びかけると、傍らのコンクリート片がぼこっと盛り上がった。その下から出てきたのはエリサだった。頭から血を流していた。


「うーん、一体何がどうなりましたの」


「大丈夫か。血が出てるぞ」


「オホホ、私を誰だと思ってますの。不死身のエリサ様ですわよ。でもこの人は、不死身じゃないわね……」


 そう言ってエリサが体の下から引きずり出したのは、土守つぐみであった。どうやら蛍が魔法を使った一瞬の間に、鵜藤の手から取り戻していたらしい。つぐみは気を失っているようだったが、外傷はなかった。


「私ってば、今回大活躍じゃないかしら?」


 自慢気に笑うエリサ。異論の余地はなかった。


「ところでゲヘナはどこだ」


「ゲヘナはあなたが助けてたじゃない」


「どこに」


「その、殻の中」


「え?」


 そういえば背中が重かったし、殻の中に異物感があった。触手を捩じ込んで内部をまさぐってみると、柔らかいものに触れた。引きずり出すと、ゲヘナであった。


「ち……窒息するかと思った」


 ゲヘナは青い顔で深呼吸を繰りかえした。死にそうな表情だったが、こちらも怪我はない。私は安堵した。


「というか、ここどこ。外?」


「場所は変わってない。天井が吹き飛んだんだ。蛍が使った魔法で」


「土守さん……悪魔神は」


「よく解らんが、実体化したらしい。蛍と分離して……」


 とは言うものの、悪魔神の姿はどこにも見えなかった。天井だけでなく、四方の壁も魔力炉もすべて吹き飛ばされて、良く言えば、開放的な眺めになっていた。だがその一面の廃墟のような光景の中には、悪魔神はいない。


「土守さんは大丈夫なの」


「そうだ、蛍だ……」


 悪魔神と分離したというなら、蛍は悪魔神から解放されているはずだ。しかし手放しに喜ぶことはできない。蛍は法眼の手によって、その背中に深い傷を付けられている。


「血の匂いがしますわ。向こうね」


 エリサはそう言って、つぐみの体を担ぎ上げ、鼻をひくひくさせながら、瓦礫を踏み越えていった。私とゲヘナもその後に続くと、蛍はすぐに見つかった。蛍はうつ伏せに倒れて、ぴくりとも動かなかった。背中は血に染まっていたが、出血は止まっていた。しかし傷口は、かすかに紫色の光が灯っていた。


「し、死んでる?」


「いや、まだ生きてますわね」


 エリサはつぐみを床に横たえ、蛍を抱き起こした。蛍の黒髪も、白い頬も、雨に濡れてつややかであった。目蓋を閉じた目は、安らかな眠りについているようだった。


「起きなさい蛍。起きなさい」


 エリサは蛍の頬をぺちぺち叩いていたが、一向に目を覚ます気配がなかった。業を煮やしたエリサは、蛍の手をとってがぶりと噛んだ。その痛みに蛍はわずかに身を震わせ、薄く目を開けた。


 そして蛍は、まだ覚めきらぬ瞳で、私たちを順番に眺め回した。


「吸血鬼さん……ヤドカリくん……魔女さん……お、お母さん……」


 気絶したままの母親を見て、蛍の声が上ずった。


「い、生きてるの」


「生きてますわ。みんなね」


 蛍の目が潤む。雨のせいではなかった。しゃくりあげるようにして、蛍は言う。


「ごめんなさい……こんな、こんなことになって……私は……こんな……、魔女さんも……ごめん……なさい」


「土守さんが謝ることないよ。それに……私たちが来なかったら、もっと酷いことになってたじゃん。そうでしょ」


「……」


 蛍はただはらはらと泣き続けていた。


「色々あったけど、でもこれで土守さん母娘は取り戻せた」


 ゲヘナが言った。


「エリサ、二人を抱えて飛べる?」


「まあ人間二人くらいなら大丈夫ですけれど」


「じゃあお願い、二人を安全なとこへ」


「了解ですわ」


 そう言うやいなや、エリサはたちまちコウモリの群れに変身し、蛍とつぐみの体にまとわりつく。服に爪を引っ掛けて持ち上げるという、運び方としては少々雑な手段であるが、致し方ない。二人の体はゆっくりと宙に浮き、そして開けた天井から空へと舞い上がっていく――。


「ホワーッ!」


 エリサが外へ脱出しようとした途端、紫の稲妻が迸った。エリサは凄まじい絶叫を上げる。間一髪、直撃は免れたものの、エリサはショックのあまり変身が解け、土守母娘とともに墜落した。


「や、やばい。受け止めて」


「解ってる」


 私は触手を伸ばして三人の体を絡め取った。蛍もエリサも、驚きのあまり目をぱちくりさせていた。


「な、なんですの今のは」


 その時、地の底から響いてくるような声が、空気を震わせた。


「我が器……奪わせはしない……」


 私は心臓が縮み上がるのを感じた。ずっと恐ろしい出来事の連続であったが、これほどまでに体が震え上がったのはかつてない。壁の向こうから、悪魔神の巨大な顔がぬっと現れて、三つの目で私たちを見下ろしていたのだ。全身は見えなかったが、その体は恐らく二十メートル以上はあっただろう。これが悪魔神の、本来の大きさなのだ。


 そして蛍に憑依していたときとは異なり、今ではその姿がくっきりと見えていた。そしてその分、放たれる威圧感はさっきまでの比ではなかった。私は本能的に察知していた。この存在に、歯向かってはならないと――。


 しかし、悪魔神は相当に弱っているらしかった。やはり魔力吸収の魔法により、ほとんどの魔力を奪われてしまったらしい。悪魔神はゆっくりと肩を上下させながら、ときおり首を震わせ、断続的な呻き声をあげていた。ただ弱っているとはいえ、まだあれだけの電撃を放つことができる。油断はできなかった。というかまともに太刀打ちできる相手ではない。睨まれただけで、身が竦むのだ。


「我が……器を……」


 悪魔神がわずかに身を乗り出す。私たちは揃って後ずさった。ゲヘナもエリサも、悪魔神の威容を目の当たりにして、血の気が引いている。神の前では、不死の吸血鬼も、魔法を操る魔女さえも、風の前の塵に等しい。


「げ、ゲヘナ。ど、どうにかできるか」


「いや、む、む、無理でしょ。今は」


「ま、魔法は」


「杖がない」


「私の杖は……」


 蛍が言った。声が震えていた。蛍はあたりを見回して、自分の杖を見つけ出した。喜びも束の間、その表情はすぐに曇る。杖の魔法石が、粉々に砕け散っていた。


「なんでこんな」


「さっきの魔法の出力に、耐えれなかったんだね」


 杖は使い物にならず、つまり魔法も使えなかった。ゲヘナさえ取り戻せればどうにかなる、と思っていたが、その希望も閉ざされた。


「残念だったな……」


 鵜藤の声がした。

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