魔女と悪魔の歴史(2)

 ゲヘナの「ふーん」という、あまりといえばあまりの反応に、法眼は露骨に面食らい、絶句した。それは私たちも同じだった。


「え、ゲヘナ。あなた、あいつが喋ったこと、知ってましたの?」


「いやー初めて聞いたけど」


「じゃあここはもっと驚くとこじゃなくて? 魔女にとっては、衝撃の事実なんじゃないの?」


 エリサの言うとおりであろう。法眼の語った言葉は私にとっても驚きだった。禁忌魔法はもともと悪魔のものであり、それを奪って我がものとするために、魔女は悪魔を滅ぼした――いや、まあ、それはいい。禁忌魔法は間違いなく危険な存在であり、それが悪魔の手にあったとしても、魔女の手にあったとしても、そこに変わりはない。しかし魔女たちは、禁忌魔法発動に伴う代償をなくそうとしている。これが実現すれば、禁忌魔法は使い放題、つまり傷病の治癒、若返り、時間旅行、歴史の改変、そして人の心までも魔女の自由になってしまう。もっともそれだけの魔力を用意できればの話だが、魔女が世界にとって脅威となるのは間違いない。


 だがゲヘナは、何とも思っていないようだった。ゲヘナは普通の世間話でもするような感じで言った。


「いや、まあ、なんというか。私も魔法学校に十年もいたからさ、魔法学校とか魔女がいかにクソなのかは充分知ってるし。それに魔法史の教科書だって、魔女を持ち上げるようなことしか書いてないし、胡散臭いと思ってたし。だから、人の世の平和のためにやむをえず悪魔を滅ぼした、ってのが全部ウソで、ホントは禁忌魔法が欲しかっただけなんだ、って言われても、ああやっぱりそうなんだ、そっちのほうがしっくりくるわ、としか思わないし。で、魔女が禁忌魔法の代償を消そうとしてるって? 禁忌魔法に関われるってことは、研究してるのは校長の取り巻きの連中でしょ。そんな出世だけが目当ての、家柄だけが自慢の魔女がさあ、そんな難しい研究できるわけないじゃん。魔女狩りから何百年も経ってんのに、未だに実現できてないんだよ。あと何百年経ってもどうせ無理でしょ。で、あと何だっけ。あなたが魔女狩りを起こしたって? どーでもいいよ、そんな昔のこと。古い家柄の連中はさあ、いまだに魔女狩りのこと根に持って、人間とか教会とか毛嫌いしてるけど、私は関係ないし。先祖が受けた屈辱とか知らないし。そもそも自分の母親が誰かも知らないのに先祖のことなんか知るわけないじゃん。ダンウィッチっていう名前も、魔法学校に入る時に、断絶してなくなった家名を適当にもらっただけで、実際のダンウィッチの一族がどうだったかなんて全然気にしたことなんかないよ。あなたの話、全部私と関係ないよ」


 ゲヘナの言葉に、法眼はあっけにとられていた。法眼の予想では、ゲヘナは魔女としてのプライドとアイデンティティを傷つけられ、立ち直れないほどのショックに打ちひしがれるはずだったのだろう。しかしそうはならなかった。なぜならゲヘナは、魔女のことも魔法学校のこともクソだと思っていたからだ。そう、法眼と同じように。


 ゲヘナはさらに言葉を続けた。


「あなたは魔女に復讐したいんでしょ。それは別にいいよ。止めないよ。むしろやってほしいよ。あなたが話した本当の歴史、魔法学校の連中に大公開してほしいよ。偉そうな校長どもが悔しがる顔はぜひ見たいし。でもあなたのやり方には賛同できない。魔女を皆殺しなんて。魔法学校はクソだけど、私の好きな先生もいるし、魔女の友達だっているんだよ。それに先生を洗脳して、土守さんまで利用してるのはもう許せないよ。全部返してもらうからね、私の杖も含めてね」


「黙れ!」


 法眼はいきなり逆上した。


「魔女め……魔女めが! 何百年の時を経ても、まだ我々を愚弄するか……! まだ我らに屈辱を与えるか……! し、しかしもう遅い……手遅れだ、何もかも……! 心理操作魔法……それはもう神のもとに戻った。戻ったのだ。フフフ、ハハハ……神は、すべての魔法を代償なしに発動できる……! あの時とは違い、そのための魔力も充分にある……! 魔女よ、お前が何を言おうとも、もはや終わりだ! 魔女は再び、血の海に沈む……!」


「終わりなのはあんただ! 見ろ!」


 そう言ってゲヘナは悪魔神を指さした。蛍に憑依していた、半透明の巨大な悪魔神は、両手で頭を抱え、苦しげに目を見開いていた。そしてその下の蛍もまた、胸を抑えてうずくまっている。


「な、なんだ、これは一体……神よ……何が……」


 法眼は慌てて蛍の元へ駆け寄り、その肩を抱いた。蛍はぜえぜえと喘ぎながら、青い顔で法眼を睨んだ。


「貴様……我を騙したか……」


「まさか、私が神を欺くなど……」


「あの心臓の欠片は……紛い物ではないか……」


「ま……紛い物……」


 苦しむ悪魔神、紛い物だという心臓の欠片。法眼は状況を全く飲み込めていないようで、哀れなほどに狼狽えている。そんな法眼に、ゲヘナは静かに言い放った。


「残念だけど、その心臓の欠片は、鵜藤が用意した偽物だよ」


「何だと……」


「そして、この魔力炉も、禁忌魔法を維持するためのものじゃない。これを作ったのは黒蘭さんだけど、魔法をかけたのは私だよ」


「何だ、何の魔法をかけた……!」


「魔力吸収の魔法……」


「ばかな……」


 法眼は言葉を失った。ああ、やはりすべては鵜藤の思い通りに進んでいたのだ。法眼の思惑も、悪魔神の復活も、鵜藤は最初から見越していたのだ。法眼は鵜藤を利用していたつもりで、その実、ただ踊らされていただけに過ぎなかった。法眼の数百年に渡る遠大な復讐劇は、今ここに水泡に帰した。法眼は蛍の体を抱えたまま、その場にくずおれた。


「実に、ご苦労であったな」


 声がした。いつのまにか鵜藤が同じ部屋にいた。その傍らには音禰が付き添っていた。背中には同じ杖を何本も背負っていた。法眼が言っていた、量産型の魔法の杖だろう。


 そしてもう一人、見知らぬ女性がいた。その時の私はまだ知らなかったが、彼女こそ蛍の母親、土守つぐみであった。


 鵜藤は薄笑いを浮かべながら、法眼を見下ろしていた。


「法眼よ、褒めてやろう。お前は実に、教団に忠実な信徒であったな。誰よりも教団の目的を理解し、教団のために尽くしてきた。悪魔の研究にその生涯を捧げ、こうして悪魔神を蘇らせたのだ。それだけではなく、魔力吸収魔法によって悪魔神を無力化してみせた。お前の名は教団で永遠に語り継がれるだろう。お前の伝記を書いて教典のひとつとしてやろう」


「鵜藤……っ」


 法眼は血を噴きそうな目で鵜藤を睨んだ。


「まさか……最初から全部知っていたのか……」


「まあ、そういうことだ。魔法学校の校長室には、当時の記録が全て残っていてな。禁忌魔法を頂く際に、全て読ませてもらったよ。お前の記録もばっちり残っていた。禁忌魔法を使って魔女狩りを起こした張本人、だとな……そしてそれから」


「黙れ……言うな。その先は……」


「いや、言おう。魔女よ、聞くがいい。この男は……悪魔神から預かった心臓の欠片を使い、人の心を操って、魔女狩りへと駆り立てたのだ」


「それはさっき聞いたけど」


「面白いのはここからだ……魔女狩りの原因が法眼であることを突き止めた魔女たちは、法眼を見つけ出し、追い詰めた。その際、この男はみっともなく命乞いをした。そして心臓の欠片を魔女に渡すことで、見逃してもらったのだ……ククク……ウハハハハ……」


「違う……そんな話は……魔女の捏造でしかない……!」


「何が捏造だ。悪魔が根絶やしにされたにもかかわらず、お前一人だけがのうのうと生き延びていられた事実こそが、それが真実だと雄弁に物語っているではないか……」


「わ、私は……」


「お前を見ていて笑いを堪えるのが大変だったよ。心理操作魔法にかかったふりをして、惨めな過去を必死に隠して、私のために働いてくれるのだから。実に滑稽な悪魔よ……」


「……」


 法眼の顔はすっかり血の気が引き、真っ白になっていた。過去を暴露されたことに恥辱を感じているのか。いや、そうではない。魔女に心臓の欠片を渡したことが、悪魔神に知られてしまうこと――それを法眼は何より恐れていたのだ。法眼は恐る恐る、蛍の顔を窺った。蛍は相変わらず、苦しそうに体を曲げ、私たちの話を聞くどころではないようだった。


 法眼はそれを確認すると、不敵に笑った。


「鵜藤、見ろ、これを……」


 そう言って法眼は、再びナイフを取り出して、蛍に突きつけた。


「何の真似だ、法眼」


 鵜藤は訝しげに眉を寄せる。


「神の器に刃を向けるなど。不敬も甚だしいな」


「神の顕現はまだ不完全……蛍の肉体が死ねば、またあの像に戻る……そうなってしまえば、お前には神を呼び出すことはできない……」


「なるほど、この期に及んで卑劣な手を使うな。では法眼よ、我々も取り引きといこうじゃないか? お前がかつて、魔女に禁忌魔法を売って生き延びたように……」


 鵜藤はつぐみの肩に手をかけた。


「蛍と悪魔神を渡さないのなら、この女の命はない。この、悪魔を産む女の」


 つぐみはただじっとその場に立ち尽くしているだけで、ぼんやりいした目つきは、どこを見ているのかも定かではない。心理操作魔法の効果であろう、法眼や悪魔神に対しても何の興味も示していなかった。


「さあ、どうする。お前はどちらを選ぶのだ?」


「……フ、フハハ。愚かな」


 法眼は乾いた笑いをこぼした。


「何がおかしいのかね」


「その女はもはや用済み……今後、悪魔を生むのは、蛍の体……その穢れた血の魔女など、抹殺せよというのが、神のご意志だ……」


 取り引きは不成立に終わった。法眼らはもはやつぐみを必要としていなかった。そして法眼は、蛍の皮膚にナイフを突き立てる――しかしその時、突如として蛍は法眼の手首を捻りあげた。


「なっ……」


「貴様……今の話は事実か……」


 そう言って、蛍はよろめきながら立ち上がる。魔力を奪われて弱っているはずなのに、その姿には鬼気迫るものがあり、誰もが目を奪われたまま、動けなかった。鵜藤でさえも。


「我が心臓の欠片を……魔女に売っただと。そうして一人、のうのうと生き延びたと……我が身と魂を封印しておきながら……憎むべき魔女にへつらって……」


「し、しかし……そうしなければ、もはや悪魔は滅ぼされるばかり……私一人残ってこそ、今、この日の、悪魔再興への第一歩を……」


「そのために、お母さんを……実験台にしたって……?」


 蛍の声だった。悪魔神と同化しながら、悪魔神から意識を奪い返していた。いや、両者の意識がともにあった。


「あなたは……人間じゃない……」


「そうだ……私は人間ではない。悪魔だ。お前もそうだ蛍!」


「貴様はもはや悪魔として生きる資格もなし……」


 悪魔神の声になった。


「な、なぜです……私は器を完成させました……なのに……」


「その功績を無に帰すほどの愚弄……愚劣……魔女に命乞いをするなどと……」


「あなたは生きていてはいけない……あなただけは……」


 蛍の声になった。


「あなたの望み通り、私は悪魔になろう……今だけは……あなたを地獄へ……落とすために」


「悪魔再興には、我とこの娘のみで充分……貴様はもはや、用済みである」


「私が終わらせる……」


「貴様は終わりだ……」


「あ……ああ……」


 蛍は法眼の額に杖を突きつけた。法眼はもはやわなわなと震えるばかりであった。杖の先が紫色に光り始めた。光はみるみる輝きを増し、鵜藤は「まずいな」と呟いて身を翻す。私たちは逃げ遅れた。私は咄嗟にゲヘナをかばった。それが精一杯であった。法眼が身を裂くような叫びを上げた。光の中、一瞬だけ、人間ではない姿になった。それが私たちの見た法眼の最期であった。


「ツキノ・ミ・クノス」


 光が炸裂した。

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