その頃の私たち

「儀式の時間が迫っている……」


 法眼が言った。


 私たちは法眼の居室を後にして、その「儀式」とやらが開催される大講堂へと向かっていた。と言っても馬鹿正直に正面から向かうのではなく、関係者しか使わないような裏ルートを辿っていった。私とエリサを先導するのはもちろん法眼であり、そしてエリサが超音波による索敵を行なった。人っ子一人いないようだった。


「人手はすべて……儀式のために、回しているのだろう……」


 法眼が言った。私たちは薄暗い通路を進んでいた。


「さっきみたいに、またゾンビが出てきたりしないだろうな」


「出てきたら出てきたで、その時ですわ」


 エリサがのんきなことを言った。


「ゾンビが出るなら、音禰も出てくるでしょ。音禰を取り戻すチャンスができますわ」


「取り戻せるかね、そんな簡単に」


「あのゾンビ使いが出てくるなら……鵜藤もそばに付いているだろう……」


 法眼が言った。


「音禰と鵜藤は、ずっと一緒にいますの?」


「そのようだ……まるで愛人のように……」


「嫌なこと言わないでくださいまし」


「寝るときまで一緒じゃないだろうな?」


「さあ……それは知らんな……」


「ま、いやらしいこと。そういや聞いたことありますわ、教義の中にセックスを取り入れて、儀式と称してセックスしたり、集団でセックスしたり、薬盛ってセックスしたり、一人の女性と複数の男性でセックスしたり、教祖が女性信者とセックスしまくったりする宗教団体もあるんでしょ? ああいやらしい」


「お前が一番いやらしいわ」


「うちの教団は関係ないな……」


 法眼が言った。


 さて、これから開かれる「儀式」であるが――法眼によれば、セミナーによる思考改造が完了し、完全に禁忌魔法の支配下に置かれた信者たちを、一斉に自殺させ、蛍の体に、一気に莫大な魔力を流し込む――という内容らしい。私たちは、吸血鬼の力を使ってそれを妨害するために、大講堂に向かっている。吸血鬼の力を持つのは、竜道寺エリサと、それからもう一人。私の触手が引きずっている、あの警備員である。


 エリサの下僕となった警備員は、相変わらずビニールシートに包まれたまま、足だけ出した格好で引きずられている、時おり、思い出したように足をバタつかせる。こいつとエリサを大講堂内に放てば、たちまちパニックが起こり、儀式どころではなくなるし、信者が下僕化すれば、自殺も防げる。大量発生した下僕はそのまま我々の味方になり、エリサの命令のもと、鵜藤たちを一斉攻撃する――。


「ねえ、大講堂はまだですの?」


 エリサは痺れを切らしていた。確かに長いこと歩かされ、階段を何度も上り下りしている。本当に大講堂に向かっているのか。


「天井裏から侵入する……そのために多少の迂回は」


 そう言いかけた法眼は、急に足を止めた。


「どうしましたの? 早く行きましょう」


 エリサは、立ち止まった法眼の隣をすり抜けていく。しかしその瞬間、エリサは「ムギャーッ」と叫んで尻餅をついた。


「ど、どうした」


「聖なる力を感じますわーッ」


「なんだそりゃ」


「どうやら……結界が張られているらしい……」


「結界?」


「この吸血鬼を……防ぐための……」


「じゃあエリサはこれ以上進めない……」


「ば、馬鹿言わないで」


 エリサは勢いよく立ち上がった。


「こんな結界なんてどうってこと……モギェーッ」


「無理するな。死ぬぞ」


「うう、一歩も進めませんわ。どうしましょう……」


「……」


 予想外の事態に、法眼はじっと考え込んでいた。私と、エリサと、そしてエリサの下僕とを順番に眺め回す。


「私と吸血鬼は……別のルートを探そう。どこかに、結界の途切れる場所が……あるはずだ」


「でも大講堂の中にまで結界が張られてたらどうしますの」


「講堂内まで結界を張ると……土守蛍にまで、結界の影響が及んでしまう……悪魔である土守蛍もまた、聖なる力に弱いのだ……」


「なるほど? では結界内に飛び込んでしまえばこっちのもんね」


「そういうことだ」


「ちょっと待て。私はどうすればいい?」


 私が口を挟むと、法眼はじろりとこちらを見た。


「お前は、その警備員を引きずって……このまま真っすぐ行け」


「大丈夫なのか? この下僕にも、結界が効くのでは?」


「まあ、下手すれば、死ぬかもしれんが……言ってしまえば、半端な存在……もしかしたら、死なないかもしれない」


「どっちなんだ」


「死なない方に、賭けるということだ……」


 下僕が死ぬか生きるか。結局は運任せの神頼みであった。いや、こんなことを神に頼んで叶えてくれるだろうか。神はむしろ吸血鬼や悪魔を滅する存在である。


「真っすぐ行けば……天井に、通気口がある。そこから天井裏に上がり……さらに奥ヘ進んでいけば、大講堂の真上に出られる……そこまで来たら、講堂内にその警備員を投下しろ。私たちのことは……待たなくてもいい」


「解った……」


 私は法眼の顔を見上げて、素直にうなずいた。


「それでもう、全部終わるんだな」


「いや……土守蛍を、取り戻してもらわねばならん。あれが失われれば……意味がない」


「一つ教えろ」


「何だ……」


「お前はなぜ、そこまで蛍に執着するんだ」


「重要な……研究材料だからだ」


「本当にそれだけか?」


「他に何がある……?」


「悪魔の力を、自分のものにしようとしてるんじゃなくって?」


 エリサが横から言った。


「そこをはっきりしてもらわなければ……土守蛍を奪還できたとて、あなたに引き渡すことはできなくってよ」


「……」


 法眼は再び黙り込んだ。


「まあ、いいだろう……すべては蛍を取り戻してからの話だ……今ここで議論しても、時間を空費するだけ……何の得もない。そうだろう……?」


「まあ、そうですけど。いいかげん、明らかにしてほしいもんですわね。あなたが何者なのかをね」


「すべてが終わったら……いくらでも話してやる。今は、やるべきことをやる、それだけを……考えていろ」


 そう言って、法眼は懐に腕を突っ込んだ。よれよれのジャケットの内側から取り出したのは、一本のステッキだった。長さは二十センチほどで、先端には透明な石がはめこんであった。


「それは?」


「フローライト……魔法の杖だ。蛍のために……作られた」


 法眼はそれを私に向けて差し出した。


「これを……蛍に」


 私は法眼の手からその杖を受け取った。ゲヘナの杖よりだいぶ短かった。これがあれば、蛍は魔法を使える――。


「吸血鬼の力は強力だ……すべてを覆すほどに……しかし、教団の中枢にまで殴り込むには、魔法の力が、必要になるだろう……」


「解った。蛍に渡そう」


「頼む……」


 全てはお前の魔女を助けるためでもあるのだからな、と法眼は付け加えた。そしてエリサと法眼の二人は、結界を避けるべく来た道を戻り、私一人、ビニールシートを被った下僕とともに前進することになった。


 結界の力――それは私には感じられなかったが、それが確かに存在することは、下僕の反応で解った。下僕は私に引きずられながら、激しくのたうち回っていた。「オウオウ」と奇声を上げ、背中を波打たせて跳ね回り、唯一自由な両脚で床を打ち鳴らす――その暴れぶりは徐々に激しさを増し、ピークを迎えると同時に、糸が切れたように死んでしまうのではないか、と不安になった。どうか死なんでくれと祈りながら強引に引きずっていくと、やがて狂騒も収まっていった。結界を通り抜けたようだった。下僕は幸いながら死んではいなかった。やはり法眼の言ったとおり、結界は大講堂の周囲を囲んでいるだけで、その中心までは及んでいないらしい。


 さらに進んでいくと、天井に通風口があった。それを外し、触手を使って下僕とともに天井裏へと這い上がる。天井裏はかなり狭く、私は殻を後ろ側に倒し、四本脚を小さく折りたたんで胴体側に引き寄せ、頭を屈めて前進せねばならなかった。


 真っ暗で窮屈な天井裏を、ほとんど腹這いのような格好で進むと、行く手に光が見えた。私はそこを覗き込んだ。何もなかった。いや、よく見ると、遥か下の方に、人の姿が見えた。広大な空間に大勢の人々が集まっていた。数百人はいるだろう。そして、扇状に並んだ人々の視線の先には仰々しく飾り付けられた立派な舞台があり、そこに立っているのは、鵜藤、音禰、そして二人の背後には、黒いドレスに身を包んだ土守蛍が、巨大な椅子に座らされていた。


 ここが間違いなく儀式の場――大講堂である。私は改めて講堂中を見回したが、法眼やエリサの姿はなかった。私一人でやらねばならなかった――集団自殺が始まってしまう前に――。

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