その頃の悪魔

 私と竜道寺エリサは法眼阿礼と合流し、そしてゲヘナ・ダンウィッチは黒蘭のもとに捕まっていた。そして私たちはみな、土守蛍を奪い合うための陰謀に巻き込まれていた。


 さて、肝心の土守蛍である。本人が不在のままで話が進められていたが、その頃、蛍がどこでどうしていたか。それをここに書き記しておきたい。以下は、土守蛍がこの事件の後に語った話を元にしている。


 悪魔神の力をその身に宿し、陰謀の渦の中心にいる少女、土守蛍――彼女はこれから、鵜藤がいう「儀式」に参加させられることになっていた。それにあたり、彼女は全身黒一色のドレスに着替えさせられていた。長い裾が、床の上に花のように広がっている。蛍はそれをじっと見つめながら、ソファに深く腰掛け、儀式が始まるのをただ待つことしかできなかった。


 蛍が閉じ込められているのは、応接室のような小部屋だった。その場所は、私たちがいた幹部用の居住区とは、正反対に位置していた。


 部屋にいるのは蛍一人である。監視はついていない。それをいいことに、脱走を企ててもみたが、無駄だった。窓は鉄格子で覆われ、ドアはロックが掛かっており、鵜藤の持つカードキーでしか開かない。せめて魔法の杖があれば――と、蛍は思った。魔力は少々だが残っている。何かしらの魔法を使えれば――。


 蛍の体にある魔力は、信者の生命を糧に生じたものである。それを使うことに抵抗がないわけではなかった。自分の目の前で人が死ぬことに慣れたわけでもないし、こんな力などなくなってしまえばいいと思っていた。しかし――教団と戦うために、必要な力でもある。教団などに屈しない、もう誰も、自分のために死んでほしくない。そのためには、私がしっかりしなければ――蛍はそう自分に言い聞かせていた。そうやって自分を保っていた。


 その時、部屋のドアが開けられた。


「どうかね、体の調子は……?」


 姿を現したのは鵜藤であった。口には笑みを浮かべていても、そのぎょろりとした目は笑っていなかった。


 蛍は反抗的な目つきを意識して、鵜藤を睨み返した。


「ずっと頭痛がする。雨のせいで」


「それは低気圧が原因ではなく、禁忌魔法の影響だ……心を操る魔法は、脳に干渉する。しかしお前の体内の魔力が、それに反発する。そのせいで頭痛が起こる。それだけだ」


「私を呼ぶときは、蛍様、じゃなかった?」


「この期に及んでは、もはやお前のご機嫌をとる必要もあるまい。それとも、様付けで呼ばれるのは意外と満更でもなかったか?」


「いや、すぐにでもやめてほしかったね……」


「そうかね。しかし信徒たちは今まで以上に、熱烈に……お前を崇めることになるだろう」


「そう何もかも思い通りになるかな」


「なるさ。なる……すべては私のためにあるのだ。思い通りにならないのは、お前の方だよ、蛍……」


「どういうこと?」


「魔女は来ない」


「……」


 心の内を見透かされたような一言に、蛍は思わず口を閉ざした。


「蛍よ……お前は魔女を頼りにしているようだがな。魔女なんてのは、ろくなものじゃない」


「なぜ、そんなことが解るの」


「解るさ。私は魔法学校に講師として潜り込んでいたのだからな。魔法学校内の誰よりも、客観的に魔女のことを観察してきた。いいか、蛍。魔女というのはな、魔力に目覚めたその日から、魔法学校に隔離される。それがだいたい十歳から、十二歳くらい……それからずっと、一般の社会から隔絶された、魔女だけの社会で生きていくことになる。価値観も、経験も、一般人のそれとはまったく変わってくるわけだ。一言で言えば、世間知らずなのだ。狭い世界でしか通用しない、凝り固まった考えで生きているのだ……」


「……」


 蛍は鵜藤の話を黙って聞いていた。


「魔女の中にも、まともな考えを持った者はいる。だが、そういう連中は、早々に魔女社会に見切りをつける。魔女として生きても、何の得もないことに気付く。そして中等部か高等部のあたりで魔力を捨てて、普通の人間に戻ってしまう。それから人間社会に復帰するための勉強を始め、卒業とともに魔女の社会と決別し、普通の人間としての人生を歩んでいく……」


 逆に、いつまでも魔女のままでいる連中はどうだろうか――と鵜藤は続けた。


「高等部や大学部に行っても魔女を続けているような奴らは、いつまでも魔法に夢を見続けている、頭がお花畑のおめでたい奴ばかりだ。魔女でいる自分、魔法を使える自分が愛おしく、それを捨てることができない。とりあえず魔女でいられればいいのだから、向上心はなく、成績も悪い。しかし学校側としては、そういう連中を見捨てることもできない。魔女でいてくれるだけ、ありがたいのだからな……」


「本当に……? 魔法学校ってそんななの?」


 蛍は半信半疑であった。


「いや。もちろん、将来有望な、優秀な魔女もいる。ただしそういう手合いは、由緒正しい、古い家柄の生まれでな。先祖代々、立派な魔女を輩出してきた家の娘なのだ。だからエリート志向が人一倍強く、他の優秀な魔女をライバル視している……そんな魔女どもの間には、教師の魔女まで巻き込んだどろどろの派閥争いが起こる。こうなると女というのは実に陰湿だな。さらに魔法が使えるからタチが悪い……」


 鵜藤は嘲るような声で言った。魔女同士のみっともない諍いは、彼の目には実に滑稽に映ったのだろう。


「それらに属さない、普通の魔女も、いるにはいる。真面目に授業を受け、それなりに頑張っている。しかしそんな奴らも、最終的には堕落してしまう……底辺の連中から、努力する姿を嘲笑され……それに負けじと努力を重ねても、優秀な魔女には敵わない。やがて彼女らはすべてを諦める。最終的には普通の人間に戻るか、実りなき魔女生活をだらだらと続けるかだ……私は現存する魔法学校三校すべてを見て回ったが、どこも同じだった。生徒がたどる末路は、だいたいこのパターンに当てはまる。そして、生徒だけではなく、教師たちも……奴らは魔女の伝統を守り続けることにしか興味がない。魔女社会の衰退ははっきりと目に見えているのに、そこから目を逸らし続けている。まことに愚かだ。魔女というのは」


 そこまで話して、鵜藤は蛍の正面のソファに腰を下ろした。


「蛍……お前は魔女などとは違う。もっと強大な力を持つ、気高き悪魔の子だ……それを誇りに思うがいい」


「思わない」


 蛍はきっぱりと言い切った。


「私に悪魔の力があるなんて、何かの間違いだ、ありえない」


「この期に及んでそんなことを言い出すとはな。お前の力は間違いなく悪魔のそれだ。実験がそれを証明した」


「いや、まだ解ってないことがある」


「何かね」


「なぜ私の体に悪魔の力が宿っているのか、ってこと」


「それは法眼から説明があっただろう。悪魔神が現世に残した思念が、巡り巡ってお前の体に宿ったのだと」


「あなたはその説明で納得してるの?」


「いいや、していないさ……」


 鵜藤はにやりと笑ってみせた。


「お前の出生には、秘密がある。お前は父親と血が繋がっていない」


「えっ?」


「知らなかっただろう? 我々が調査した結果、その事実が判明したのだ」


「嘘だ。そんなこと」


「事実だ。お前の父親は別にいる。そしてその男こそが……」


「悪魔、だった?」


「そうだ」


 蛍は言葉を失った。かねてから知りたいと思っていた自分の力のルーツについて、真実に一歩近づいたのは確かだった。しかしそれ以上に、父親と血の繋がりがないという事実が、蛍の心を惑わせた。宗教にはまった母親を見捨てて出ていった父親。あの時、母親のもとに私を残していったのは、私が実の子ではなかったから――?


「その……私の本当の父親は、何者なの」


「それを知るのは、お前の母親だけだろう。しかしあの女は過去の記憶が欠落している。肝心な部分が……お前を生む前までの記憶が、抜け落ちている」


「私と、話させて。お母さんに、会わせて。最後にそれくらいは、許してくれてもいいでしょ」


 鵜藤は少し考えてから「よかろう」と答えた。


「最後に、か……まあ、これが今生の別れになるかもしれんからな……フフフ……」


 そう言い残し、鵜藤は一旦部屋から出ていった。一人残された蛍は、緊張の面持ちで母が連れてこられるのを待った。


 この教団施設で暮らし始めてから、蛍は一度も母と顔を合わせていなかった。最後に見た母の姿は、教団に洗脳され、盲目的な信仰心に囚われたさまであった。そしてその信仰心は、娘である蛍に向けられていた。娘に対して恭しく頭を垂れ、娘の言葉に随喜の涙を流し、その目は娘を娘ではなく救いの神としてしか見ていない。そんな母親の姿を見せつけられるのは、蛍にとっても心苦しかった。そのため、母のことを案じてはいても、実際に顔を合わせることには多少の抵抗があった。


 しかし鵜藤の言う通り、教団の計画通りに事が進めば、もはや母の顔を見ることもできなくなってしまうかもしれない。儀式が終わった時、自分が人間の形を保ったままでいられるかも解らないのだから――だから、儀式が始まる前に今一度、母の顔を見ておきたいという思いもあった。


 やがて扉が再び開き、鵜藤と、そしてその後ろから蛍の母――土守つぐみが部屋に入ってきた。年の頃は三十代半ばだろうか。蛍に似ず、地味で印象に乏しい顔つきの女であった。彼女は蛍の顔を見るなり、床に身を投げ出し、かしこまって平伏すだろう――と、蛍は予想していた。しかし実際にはその予想とは正反対であった。


「お久しぶりです。蛍様」


 第一声がそれだった。土守つぐみは、まっすぐ立ったまま、まっすぐ蛍を見据え、まっすぐな口調で言った。正気に戻ったのか、と安心した。いや、まだ正気ではない。娘に対して敬語で話すわけがない。まだ洗脳は解けていない――。


「これはどういうこと」


 蛍はつぐみを見つめたまま、鵜藤に訊いた。


「禁忌魔法によって感情と思考をコントロールされているのだ。どうだ、見違えるようだろう。情緒不安定は改善され、まともな人格を取り戻した」


「これなら前のほうがマシだ……」


「強がりを言うな。さあ、話したいことがあるならさっさと済ませるがいい」


「……」


 最後に母と話したい、と言ったのは蛍の方だったが、すでに話す気は失せていた。禁忌魔法で作られた偽りの人格と会話をしたところで、何になるのか。本当の母親と話したかった。たとえ情緒不安定でも、言葉が通じなくても。


 蛍は短い溜め息をつき、目の前にいる母ではない母に向かって口を開く。


「お母さん。私はこれから教団の供物になるそうだよ。その後、私はどうなってしまうのか、何も聞かされてない。これが私が私でいられる最後の時間かも知れない。だから聞いておきたい。私の本当のお父さんは誰なの」


「あなたの……本当のお父さんは」


「思い出して。お願い」


「フ、フフフ」


 笑いを漏らしたのは、鵜藤であった。


「何がおかしい」


「フフフ……そうやって必死になるのは何故かと思ってな……いや、言わなくても解っている。自分の父親が悪魔であり、それが誰か判明すれば、自分の身代わりになってもらおう、と、そういう算段なのだろう?」


「……そういうわけでは」


「いや、それでよいのだ。子供はみな親のエゴによってのみ生まれてくる。その報いは親が受けるべきなのだ」


「……」


 鵜藤の指摘は図星を突いていた。自身の出生の秘密を明らかにしたいという思いと同時に、これで身代わりができるという下心もなくはなかった。しかしそのことに後ろめたさもあり、助かりたい気持ちもあり、その底なしの葛藤の中に蛍は陥っていた。そしてそれを鵜藤に見透かされたのが屈辱だった。


「どうした、蛍。父親のことはもういいのか。兄弟についても訊いてみればどうだ。生き別れの妹や弟がいるかもしれん……フフフ、そいつらも悪魔の力を秘めているなら……ぜひとも我が物にしたいところだが」


「父親……きょ、兄弟……」


「え、どうしたのお母さん」


「あ、ああ……あ……」


 つぐみは突如として顔を青ざめさせ、床に膝をついた。その目はもう、蛍を見てはいなかった。絶望的な表情で、頭を抱えて短い呼吸を繰り返す。


「鵜藤、これは何。どういうこと」


「さあな。記憶を刺激されたのかも知れない。やはり心を完全に制御するには、まだ魔力が不充分なのだ」


「ああ……ああ……」


 鵜藤がつぐみを抱き起こそうと、肩に手を触れようとしたその時であった。つぐみはわなわなと震える唇で、「悪魔……」と呟いた。


「悪魔……悪魔がいた……悪魔……」


「悪魔がどうしたのかね」


「あの男が……あの男が、悪魔……あの男が」


「お母さん……思い出したの。誰、それは……その男っていうのは……」


「ほ、法眼……法眼……阿礼……」


 母親が絞り出した言葉を聞いて、蛍は絶句した。その真実をどう受け止めればいいのか、蛍は判断できなかった――そんな蛍を見下ろして、鵜藤はにやりと笑っていた。

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