人ならざる者たち

 得体の知れない古書がうず高く積み重ねられた、この薄暗い部屋の中には、言いしれぬ緊張感が満ちていた。私とエリサが人間ではないように、目の前にいる法眼もまた、人間ではなかったのだ。


「どうした吸血鬼……顔が青いな……」


「……」


 普段ならば「吸血鬼とはみな顔色が悪いものよ」などと言い返しそうなものだったが、エリサは押し黙ったまま、法眼の顔をにらみ据えていた。匿ってやる、と言われてのこのこついてきたのは、いざとなれば法眼も下僕化してしまえばいい、という目論見があったからだろう。しかししれももう叶わない。奥の手は封じられた。


「あなたも……鵜藤の同類なの?」


 エリサは慎重に言葉を選んでいるようだった。


「同類……とは、どういう意味だ……」


「鵜藤も人間ではなかったわ」


「ほう……?」


「私はこの牙で鵜藤に咬みついた。でも……彼の体には、血が一滴も流れていなかった。明らかに人間ではありませんわ」


「そうか……それは……知らなかった」


「本当に?」


「ああ……本当だ」


 法眼の表情からは、その言葉が本音であるかどうかは判別できなかった。何の感情も宿らない顔で、法眼は独り言を呟いていた。


「そうか……人ではないのか……なるほど……」


「鵜藤の正体に、心当たりはありませんの?」


「さあな……私の専門は、悪魔だけだ……お前たちの方はどうだ……私よりも、人外の存在に詳しいのではないか……?」


「さあ、ね。人間でない知り合いは、それなりにいますけれど……血のない者となると、解りませんわ」


「ふうむ……」


 鵜藤の正体に関する話は、ここで行き詰まった。私ももちろん、鵜藤が何者であるかなど解らなかった。法眼は何かを隠しているのかもしれなかったが、何の取っ掛かりもない今は、追求することもできない。


「いくつか質問させてくださいまし」


 エリサは話を変えた。


「何だ……」


「音禰はなぜここにいるの?」


「ああ……あの、ゾンビ使いの女か……鵜藤が、あの女に仕事を依頼したようだ……」


「仕事の内容は?」


「土守蛍に魔力を捧げる際、死者が出るだろう……それが、警察か何かに知られると、面倒なことになる……だから、死者を生きているように見せかけて……ごまかすために……」


「ご、ごまかせるか……?」


 私は思わず口を挟んだ。


「問題はない……事実、先日も信者の両親が、息子を連れ戻すためにここに乗り込んできた……その時、ゾンビになった息子を会わせたところ……息子がすでに死んでいるなど、つゆとも疑わず……」


「ほんとかよ」


「音禰のゾンビ作りの腕はピカイチですわ。馬鹿な一般人を騙すくらい、たやすいでしょう」


「まあ、そう言われればそうかもしれんが……」


 息子を取り戻したい両親と、ゾンビ化した息子の面会。その光景を想像してみると、なんとも滑稽というか、奇怪であった。両親がどれほど説得しようとも、息子は虚ろな表情のままで、ろくな受け答えをしなかっただろう。それも教団に洗脳された結果だと、両親は受け取ったのだろうか。


「で、その音禰のことですけれど。さっき会ったら、教団の思想にどっぷり染まっているみたいでしたわ。あなたたち、音禰を洗脳したの? それとも……」


「おそらくは……禁忌魔法の影響を、受けているのだろう……」


「音禰もセミナーを?」


「彼女は……セミナーなどは受けていなかったようだ……もともと、心を支配されやすかったのだろう……」


「それ、音禰の心が弱いってこと?」


「もしくは、教団の持つ破滅的な思想と……共鳴する部分があったか……」


「そっちのほうが有り得そうね」


「音禰はどんな闇を抱えてんだよ」


 ゾンビ作りを生業にするくらいだから、死や滅びに興味を持つのは当たり前のことかもしれないが――教団の危険思想に共鳴しているとは、信じたくはない。


「魔法を解く方法は、ありませんの?」


 エリサが訊いた。


「唯一の方法は……魔力炉を停止させることだ」


「まろくりょ?」


「魔力を蓄え、魔法の発動を維持し続けるための、魔導機械だ……禁忌魔法の効力は、現在、その魔力炉によって、支えられている……」


「それはどこにありますの?」


「この施設内の、どこか……としか、言えない。私も捜しているのだ……しかし、私では権限がなく……入れない場所もある」


「ふーん、そこに魔力炉があるわけね」


「ゲヘナ・ダンウィッチもおそらく……そこに囚われているだろう……魔力炉へ、魔力を供給するために……」


「そのために誘拐されたのか?」


 確かに、魔力の供給源として魔女は有用であろう。魔女は食事や休息によって魔力を回復できる。魔女もまた、ある意味では無限の魔力を持つ存在と言える。上限量は、悪魔に比べて少ないが。


「いや……そのためだけではないだろう……」


「どういうことだ?」


「鵜藤は焦っている……魔女に悪魔の存在を知られてしまったからな……」


「あ……」


「教団のことを……他の魔女に知らされては……すべての計画がご破算だ……それを防ぐために、あの魔女を攫った……」


「まさか……蛍がゲヘナの家に来たのは、お前が仕組んだのか?」


「さあ……どうかな」


 法眼は表情を変えずに言った。


「しかし……あの魔女が出しゃばってきたおかげで……私にとっては、都合のいい展開になってきた……鵜藤は焦りを覚え、事を急ごうとしている……」


「事を急ぐとは?」


「儀式だ……儀式を、今日行うと言い始めた……」


「儀式……」


 そういえば、下僕になる前の警備員が言っていた。今日は大事な儀式があるとか何とか。


「その儀式ってのは、何のことですの」


「簡単なことだ……六次セミナーまで進んだ信者を、一斉に自殺させ……一度に大量の魔力を土守蛍へ注ぎ込む……」


「それで鵜藤の計画は完了というわけか……」


「ただ……成功するかどうかは、解らない……実験はまだ充分とは言えない……それに、蛍自身、大量の魔力を宿すことに耐性があるかどうか……」


「失敗するかもしれない……ということか」


「そう……しかし失敗した場合、蛍の身がどうなるか解らない……最悪の場合、死に至るだろう……それは防ぎたい」


「儀式そのものを妨害するしかないわけだな」


「そうなる……」


「どうやって妨害するつもりですの?」


 そう訊ねたエリサの顔を、法眼は無言で見下ろしていた。


「え、何ですの?」


「お前の力だ……お前の、人間を吸血鬼に変える力……それがあれば……」


「なるほど? 私の下僕なら、禁忌魔法も効かないというわけね」


「ああ……さらに混乱を引き起こすこともできる……その騒動に乗じ……土守蛍を取り戻し、魔力炉の場所を探せるだろう」


「そううまくいくかしら?」


「他に手段はない……」


「ま、そうかもしれませんけど……一応訊いときますけど、その儀式にはどれくらいの信者が出席しますの」


「六次セミナーに進んだ者が、全員出るなら……三百人……」


「さ、さんびゃく……」


 私は言葉が出なかった。三百人が一斉に自殺するにしても、全員下僕化するにしても、それはあまりに地獄めいた光景であろう。


「三百人分の魔力があれば……このあたり半径十キロほどは、禁忌魔法の影響を受ける……効果もさらに強まる……」


「それは……ヤバいな」


「そうだろう……それを食い止めるためにも……協力してほしい」


「ええ、構いませんわ」


 エリサは二つ返事で承諾した。法眼の話を全部信じたのだろうか――と思ったが、エリサはさらに言葉を続けた。


「でも、ひとつ条件がありますわ」


「何だ……」


「黒蘭のことよ。ここにいるんでしょ。会わせてほしいの」


「黒蘭……?」


 法眼は何のことだか解っていないようだった。


「うちにいたメイドよ。眼鏡かけた、背の高い女よ。ここに来てるんでしょう」


「ああ……あの女か……」


 そう言って、法眼はその薄い唇にせせら笑いを浮かべた。そういえば、さきほど鵜藤に黒蘭のことを訊いたときも、同じような反応をされた――。


「何がおかしいんですの?」


「……その黒蘭という女ならば……」


「ええ……?」


 法眼の言葉に、エリサは眉をひそめた。

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