法眼阿礼

 法眼と、エリサと、私。

 妙な取り合わせの三人は、狭いエレベーターで身を寄せ合い、三階で降りた。


「このあたりは……教団幹部が寝起きするための部屋がある……」


 法眼はそう言いながら、廊下を進んでいった。私たちもその後に続いた。廊下は右に折れていて、そこを曲がるとすぐドアがあった。法眼は節々の太い手をドアノブにかけて、ゆっくりと開いた。


「さあ、入れ……ここが私の部屋だ……」


 私は一瞬、戸惑った。しかしエリサは、恐れるものなどなにもないと言わんばかりに、ずかずかと踏み込んでいく。私も、それに続いて部屋に入った。こうなってしまった以上、もう後戻りはできない。それに、法眼と話したいこともある――。


 部屋の中は、大量の書物で溢れかえっていた。壁一面の本棚だけでは収まらず、床や机の上にもうず高く積み上げられていた。そのどれもが日本語の本ではなく、しかもかなりの年代物らしかった。古い紙の匂いが、部屋中に満ちていた。窓には分厚いカーテンが掛かっていた。


 そして床には、ビニールシートに包まったままの警備員が倒れていた。よく見ると、包み方がさっきと違っていた。一度解放してから、また縛り直したのだろうか。


「ここなら邪魔は入りませんのね?」


 エリサは部屋で唯一の椅子に腰掛けて言った。


「そうだ……ここにいるのは……私と、お前たちだけ……」


 法眼は突っ立ったままで言った。


「噂の土守蛍さんは? いませんの?」


「蛍は……昨夜、鵜藤のもとにつれていかれた……」


 それきり姿を見ていない――と法眼は言った。


「さて……何から話すべきか……」


「ゲヘナ・ダンウィッチは無事なのか」


 私はまずそれを訊ねた。何よりもそれを知りたかった。


「無事だろう……今のところは」


「今のところは?」


「このまま鵜藤の計画が進めば……最後は、どうなるか……解らん」


「計画とは何だ。ゲヘナはなぜ誘拐された。何に利用されているんだ?」


 はっきりしない物言いに焦れて問い詰めると、法眼は不貞腐れたように口を閉ざし、視線をあちこちに彷徨わせていた。しばらくしてから、再び唇を動かした。


「最初から……順序立てて話してやろう。この教団の……始まりから」


「手短にお願いしますわね」


 エリサが言った。


「私たち、あんまりのんびりしたくないの」


 それは私も同じだ――と法眼は言い、そして語り始めた。ジゴクノヒカリ教団の歴史、その全貌を――。


「すべての始まりは……禁忌魔法だ」


 禁忌魔法――法眼の口から放たれたその言葉。やはりか、と私は思った。エリサに禁忌魔法の話を聞いた時から、ある程度の予想はついていた。なるべくなら、外れてほしい予想だったが――。


「知っているか……禁忌魔法を」


 法眼は私たちの顔を交互に見て言った。


「ああ。確か三つあるんだったな」


「そうだ……一つは、生命体の健康に干渉する魔法……傷病を魔法で治癒すること、そして逆に、魔法によって怪我や病気を負わせること……老化の防止、若返りもここに含まれる」


 そして二つ目は、時間に干渉する魔法だ――と法眼は言った。


「時間の流れを変えること、あるいは止めること……過去や未来へ移動すること……歴史を改変すること……」


「で、三つ目は、人の心を操る魔法か」


 私の言葉に、法眼は静かに頷いた。


「思考の支配……感情の操作……そういう魔法だ」


「鵜藤は、それを手にしているのか」


「そうだ」


「でも、どうやって?」


 エリサが口を挟んだ。


「禁忌魔法というのは、魔法学校の校長だけが継承してるんでしょう。ゲヘナに聞いたわ」


「ああ……魔法学校は現在、世界に三校……そのうちマカオ校の校長が、心を操る魔法を継承している……鵜藤はそのマカオ校に、特別講師として潜り込んでいたという……」


「それは……最初から、禁忌魔法が目的で……?」


「さあ、それはどうだったかは知らない……私もまだその時は、鵜藤とは会っていなかったし、この教団もまだ、出来る前だった……しかし、教団の原型となるサークルは……マカオ校の中で、鵜藤を中心として、密かに形成されていたそうだ……」


「そこに集まっていたのは、やはり魔女なのか」


「まあ……そうだろうな」


 詳しくは知らんが――と言って、法眼は話を続けた。


「とにかく鵜藤は……何らかの手段で、校長から禁忌魔法の呪文を手に入れたのだ……その後、講師を辞めた鵜藤は……本格的に教団の活動を開始した……鵜藤が私の前に現れたのも……ちょうどその頃だ」


 法眼はその頃、人里離れた場所で悪魔の研究を続けていたという。そこに鵜藤が現れ、教団への協力を要請してきたというのだ。


「鵜藤は……悪魔を探そうとしていた……」


「悪魔なんて、もうとっくに滅んだはずだろう」


「歴史上では、そういうことになっている……しかし最後の一匹まで根絶やしにしたと、誰が証明できるのか……私は、悪魔はまだ滅びていないという説を証明すべく、研究を続けていた。鵜藤は言った。現代に残る悪魔を捜す……そのための費用や人員は教団側が提供する……私にとってそれは……魅力的な言葉だった……」


「そして、信者を集める傍ら、悪魔を捜し……見つかったのが、土守蛍というわけか」


「そういうことだ……」


「教団は……土守蛍を使って、何をしようとしているんだ」


「大体予想はできているんじゃないのか……」


 法眼は口の端に自嘲を滲ませて言った。


「そう……禁忌魔法だ。土守蛍に莫大な魔力を与え……心を操る魔法を、日本中……いや、全世界中に……」


「それじゃあ、まるで……」


「世界征服ですわね」


「まあ、そうだな。世界征服、ということになるな……」


 世界征服――今どき子供騙しのテレビ番組でさえお目にかかれないような言葉であった。さすがにすぐには飲み込めなかったが、逆に変なリアリティもあった。


「世界中の人を、操ろうというのか。土守蛍を使って」


「そう……それが……鵜藤の計画」


「鵜藤の計画、ということは、あなたの計画ではないということ?」


 エリサが訊いた。


「私はただ……悪魔を見つけ出せれば……私の生涯かけた研究が……報われさえすれば……それでよかった。鵜藤の計画を……初めから知っていれば……協力などしなかった」


「ふうん……」


 自身の過去を訥々と打ち明ける法眼を、エリサは椅子に深く腰を沈めて、値踏みするような視線で見上げていた。法眼の語ることを、話半分にしか聞いていないらしい。それは私も同じだった。法眼はあくまで教団側の人間である。どこまで信用してよいものやら。


「ま、あなたのおっしゃりたいことは大体解りましたわ」


 エリサは椅子に座り直して言った。


「で、問題なのはこれからどうするか、でしょう。その土守蛍を教団から解放すれば、禁忌魔法の発動は防げるわけ?」


「いや……」


 法眼は言葉を詰まらせ、目を反らした。


「説明が足りなかったな……禁忌魔法は、すでに発動しているのだ……」


「何ですって?」


「大量の魔力がないと、発動できないんじゃないのか?」


「心を操る魔法は……微量の魔力でも、発動自体は、可能なのだ……ただし、まだ完全に人心を支配できるわけではない……その効果……および、範囲は、限られる……」


「つまり効果を強めてかつ範囲を広げるために、多くの魔力が必要なのね。そのための土守蛍」


「うむ……そうだ」


「ちなみに現在の効果範囲は?」


「この教団施設、全体だ……ここにいるすべての人間が……魔法の影響下にある……」


「じゃあ信者は全員、心を操られているのか」


「いや……さっきも言ったように、人の意思を完全に支配するには、まだ魔力が足りない……それゆえ、魔法の影響も、人によって差が生まれる……魔法にかかりやすい者、そうでない者……それを選別するために……セミナーがある」


「心を操られやすい人間だけが、上のセミナーに進んでいくと?」


「そうだ……より正確に言えば……セミナーを通じて信者の思考改造を行うことで……心を操りやすくする……ということだ。そして最後には……」


「土守蛍へ魔力を捧げるために、自ら命を捨てる」


「ああ……そうだ」


 なるほど――まさか洗脳されているとはいえ、簡単に自殺などするものかと思っていたが、魔法で操られているのであれば、納得できなくもない。一応筋は通っているようで、蛍から聞いた話とも矛盾がない。


「あなたは、どうなの?」


 エリサが冷たい声で言った。


「どう、とは……?」


「あなたも良いように操られてるんじゃなくて? 禁忌魔法の影響下に、ずっといたんでしょう? それに、土守蛍も、私も、この子も、ゲヘナも、知らず知らずのうちに、心を支配されてしまってるかもしれないんじゃない?」


 その問いを予想していたかのように、法眼は口の端をわずかに吊り上げてみせた。


「この魔法には……重大な欠陥があるのだ……」


「欠陥?」


「そう……人間にしか、効かない……人間の心しか、操れない……つまりお前たちには、効き目がないのだ……吸血鬼と、人造の怪物であるお前たちには……そしてもちろん、魔女であるゲヘナ・ダンウィッチ……悪魔である土守蛍にも……一切効果はない。人間ではないからな……」


「その話が本当であるとして……あなたは、どうなのよ? あなた、人間でしょう?」


「人間かそうでないか……お前たちの判断に任せよう……」


 そう言って法眼は、左手を私たちの前に差し伸べた。ごつごつした大きな手だった。その親指の付け根に――何かに咬まれたような痕跡があった。血が滲んでいた。


「これは……」


 エリサにはすぐにピンときたようだった。


「お前の力も……人間にしか、効かないのではないのか……?」


 そう、その傷とは――私たちの足元に横たわる、下僕化した警備員に咬まれた傷だった。念のため歯型を照合してみると、ぴったり一致した。本来ならば、下僕に咬まれた人間もたちまちエリサの下僕となってしまう。しかし、目の前にいる大男は、人間性を保ったままでいる――。


「あなた、何者?」


「言ったろう……ただの、悪魔の、研究者だと……」


 法眼は低い声で言った。

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