脱出そして再会

「はあ、はあ……」


 エリサは、壁によりかかりながら息を切らしていた。私も思わず、地面にへたばってしまう。全身が熱かった。熱を持った体を、いまだ降り続いている雨が、冷やしてくれた。


 私たちは、施設の外にいた。鵜藤と音禰から逃げた私たちは、入ってきた時と同じ、施設裏の勝手口から外へと飛び出したのである。


「こ、ここまで逃げれば……安心か……?」


「いや、安心じゃないでしょ……私たちが侵入したこと、もうバレちゃいましたもの……すぐに、施設中シラミ潰しに捜されますわ」


「と、とにかくどこかに身を隠そう」


 あたりはさっきと変わらず無人であった。聞こえるのも雨の音だけだった。私たちはとりあえず、塀のそばの茂みの影に身を潜めた。


「濡れるけど、仕方ないですわね」


 エリサは土の上にしゃがみこんで言った。高価そうな服が雨水と泥に汚れていたが、本人は意に介していなかった。


「ところで、さっきは一体何が起こったんだ?」


「知りませんわよ。停電じゃないの?」


「停電の後だよ。どうやって逃げたんだ」


「ああ、そっちね……暗くなった瞬間、一瞬だけ鵜藤の手が緩んだのよ。その隙に、鵜藤から逃れて……それで、音禰の杖を蹴っ飛ばしてやったの。音禰が杖を手放したら、ゾンビたちが魔法から解放されて、武器を全部取り落として。そのまま杖を奪ってこられたらよかったのですけど、遠くに転がってったからやめましたわ」


「杖なんかどうでもいいから、音禰本人をさらってくればよかったのに」


「そうしようとしたのよ。でも音禰に触れた瞬間に、手が灼かれたみたいに熱くなって……音禰、きっと体に十字架か何か着けてますのよ。私対策に」


「なるほど、用意周到だな。さすがは音禰」


「感心してどうしますの、今はもう音禰も敵ですのよ……」


「でも鵜藤に洗脳されてるだけだろう……」


「洗脳されてるから厄介なのよ。もう金とか人情とかじゃなびきませんわよ。いざとなれば殉教も厭わない……なんてこともありえますわ」


「それは困るな……」


「それにあの鵜藤という男よ」


 エリサは吐き捨てるように言った。


「何ですの、あの男は? 人間じゃないなんて、聞いてませんわよ。一体どういうこと?」


「私だって知らなかった。本当に人間じゃないのか?」


「本当よ。血が流れてなかったもの。一滴たりともね」


「人間じゃなかったら、何なんだ……」


「私に聞かないでくださいまし」


 ここにきて謎が増えた。鵜藤行徳は、一体何者なのか――私やエリサのような、人外の生物なのだろうか。いや、血がないというのなら、生物であるかどうかも怪しい。


 考えを巡らせながら、私は周囲を観察していた。やはり人の気配はどこにもなく、誰一人として通りかかることもない。誰も私たちを捜していないのだろうか。


「ひっそりしてますわね。動くなら今のうちかしら」


「動くって言ったって、無策ではどうにも」


「最終手段がありますわ」


「一応聞こうか」


「この教団にいる人間全員を下僕化するのよ」


「最終手段すぎだろ」


「これが一番有効ですわ。数で押し切れば音禰のゾンビも怖くないでしょ」


「その音禰まで下僕に襲われたらどうする……それにゲヘナもいるんだぞ」


「音禰は十字架を持ってるから多分大丈夫よ。ゲヘナは人間じゃないから、咬まれても下僕化しない……怪我はするけど」


「あかんやんけ」


「じゃあ他になにかアイデアがありますの?」


「それは……ううむ」


「ほらね、これしかないのよ。大量の下僕で一気に攻める。鵜藤の首をとって教団を潰す。これで済む話ですわ」


「しかし何の罪もない信者を下僕にするのは」


「吸血鬼の下僕になる以前に、みんな教団の下僕でしょ。そこに違いはありませんわ。それに、ほっといてもどうせみんな自殺させられるんでしょ。土守蛍のために」


「それはそうだが」


「人間の道徳など捨ててしまいなさい。さあ、いきますわ」


 エリサは茂みの中から足を踏み出して、勝手口の方に駆けていった。そして警戒しつつドアを開ける――私は触覚の光で中を照らした。そこには、さっき下僕化した警備員が、上半身をビニールシートにくるまれた状態で横たわっている――はずだった。


「あら……いませんわ」


「あれ?」


 ああ、出てくる時は気付かなかったが、確かに姿を消している。入ってすぐのところに放置しておいたはずの下僕が、どこにもいない。


「どっか逃げたのか? それとも……教団に捕まったのか」


「どっちでもいいですわ。適当に人間を咬んで、下僕を増やしていてくれればね。むしろこの状況は好都合よ」


「本当か……?」


 エリサが言うように、下僕を使って攻めこむなら、鵜藤たちに逃げる隙を与えないように、短期決戦で片を付けねばならない。そのためには一気に大量の下僕を用意する必要がある。何の計画も作戦もなく、一匹の下僕に適当に下僕を増やさせているようでは、意味がない。増えきる前に下僕の存在が教団側に知られ、鵜藤たちに逃げられてしまう。というかそもそも、頭から腰までをビニールシートに覆われていては、人を咬めないのではないか。


「探したほうがいいんじゃないか?」


「そうかしら」


 エリサは乗り気ではなかったが、私は触覚で足元を照らしてみた。よく見ると、明らかに引きずっていったような痕跡があった。それは外に続いていた――。


「あっ、やっぱり教団に見つかっていたのね」


「見つかってるなら、もう殺されてるかもしれんな」


「いや、まだ解りませんわよ。殺そうとした奴を返り討ちにして、下僕にしてるかも」


 私たちはその痕跡を追って、再び雨の下に身を晒した。痕跡は建物に沿って続いていた。そのまま辿っていくと、別の裏口が見えた。さっきの勝手口よりはいくらか立派な、ガラス張りの両開きのドアだった。


「あのドアは、どこに繋がってますの?」


「いや知らんよ」


「忍び込みましょう」


 エリサはドアの方に駆け寄り、こっそりと中を窺っていた。誰もいないことを確かめ、私に向かって手招きする。私もエリサの元へ小走りで近づく。足が四本ある分、水たまりを踏む足音も騒々しい――。


「よし、入りますわよ」


「またゾンビが待ってやしないだろうな……」


「その時はその時ですわ」


 そう言いながら、エリサはドアを押し開け、わずかな隙間から身を滑り込ませる。私はドアを大きく押し開けて、中に入った。


 ドアの内側は、さっきの通路とは違って、広々とした明るい空間だった。壁際にはテーブルとソファが置いてあって、葉の多い観葉植物が衝立のように並んでいた。奥にはエレベーターも見えた。


「何なのかしら、ここ」


「さあ……」


 その時――観葉植物の向こうで、人影が動いた。何者かが立ち上がったようだった。のっそりとした動きで、こちらに近づいてくる――私は触手を構えた。エリサは牙を剥いた。人間一人くらいなら、私たちだけで充分なんとかなる。私は謎の人影に声を投げた。


「そこにいるのは、誰だ……」


「誰だ、とはまた……ご挨拶だな……」


「お前は……」


 観葉植物の後ろから姿を見せたのは、ひどい猫背の大男――法眼であった。法眼はその落ち窪んだ生気のない目で、私たちをじろじろと見回した。エリサは挑発的な目で睨み返した。


「あなたが法眼とかいう男ね?」


「お前たちか……侵入者というのは……」


 法眼はエリサの言葉には答えず、もたついた口調で一方的に話した。


「魔女のところにいた怪物と……吸血鬼だな。あれを作ったのも……お前か」


「あれって、何のことですの」


「あの警備員……吸血鬼化して……ビニールシートに縛られていた奴だ……」


「私の下僕、あなたが盗んだの?」


「困るな……あんなものを……あんな場所に放っておかれては……他の連中に見つかったら……厄介だ……」


「下僕はどうしたの?」


「まだ生きている……利用価値がある。そしてお前たちも……」


「何が言いたいのよ?」


「お前たちは……なぜここに来た?」


「ゲヘナたちを取り戻すためよ」


「そうか。ならば……我々の利害は、一致している……」


「何ですって?」


 怪訝な表情を浮かべるエリサに対し、法眼はその角張った顔を歪ませて、にやりと笑ってみせた――。


「匿ってやろう……ここでは人目につく……」


 法眼は私たちに背を向けて、エレベーターのほうへと歩いていった。私たちは顔を見合わせて、そして、その壁のような背中に目を向けた。


「どうしますの?」


「……行こう。あいつには訊きたいことが山ほどある」


「あなたもだいぶ肝が座ってきたわね」


 私とエリサは迷わず法眼の後に続いた。

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