鵜藤行徳

 鵜藤――ジゴクノヒカリ教団を取り仕切るその男は、法眼よりもさらに少しばかり背が高かった。年齢は蛍が言っていたとおり、五十歳くらいか。意志の強そうな眉に、法眼とは正反対のぎょろりとした目つきが強烈な印象を与えた。鼻はこれまた凄まじい鷲鼻であり、そのせいでひどく日本人離れして見えた。黒い髪はオールバックにされていた。首から下を黒いローブに包んでいた。


「法眼よ、今日は蛍様のお世話はよい。貴様は研究室に戻れ」


 鵜藤は口元に薄い笑いを浮かべていたが、その目元は全く笑っていなかった。法眼は何も言わず、口をつぐんで黙りこくっていた。


「ところでそちらのご婦人方は?」


 そう言って、鵜藤は法眼から私たちに視線を向けた。


「無料セミナー体験の……参加者です」


 法眼が答え、私たちは軽く会釈した。


「ああ、これはこれは……ようこそおいでくださいました」


 鵜藤はわざとらしい笑みを顔に貼り付けて、私に向かって手を差し出してきた。私は「はあ、どうも」と言いながら握手をした。


「私がこの教団の代表を務めております、鵜藤行徳と申します」


「教祖の方ですか」


「教祖、という呼び方は語弊がありますね。私はあくまで教団を代表する者として、教団の運営と管理を行なっているにすぎません。土守蛍様と、皆様の橋渡し役でもあります」


「今日は、その土守蛍様とお会いできるとか……」


「ええ、実によいタイミングでいらっしゃいました。普段は、五次セミナーまで進んだ者でなければ、蛍様に『お会い』できないのですが……今日は、蛍様たってのご希望で。まだ入信する前の、一般の人たちとも、お話をしてみたいとおっしゃいましてね。本日の無料体験で、特別にその機会を設けさせていただいたというわけでございます」


 ということは、今日の無料体験に蛍が出てくるのは偶然などではなく、蛍が意図したものだったのだろうか。私たちが教団本部にやってくることを予想して――いや、賭けて、と言うべきか。何にせよ、私たちと話すチャンスを作るためにやったのだろう。こちらにとってもありがたいことだ。


 鵜藤は話を続けた。


「今日はぜひとも、蛍様の素晴らしさに触れていってください。あなたも、今はまだ『俗人』ですが……すぐに『理解』できるようになりますからね。そうすれば……あなたの魂も、幸福のうちに解き放たれます」


「それは……どういう意味ですか?」


「当教団に参加し、上のセミナーに進むことができれば、おのずから『理解』することができます。さて……そろそろセミナーが始まる時間ですな。ご案内しましょう。お嬢様も一緒に……」


 鵜藤は腰をかがめ、ゲヘナにも手を差し伸べる。ゲヘナもそれに応じて握手を交わした。ゲヘナの手がひどく小さく見えた。


「お嬢ちゃんも、蛍様に相談したいことがあるのかな?」


「うん、学校のこととか……」


 ゲヘナは子供のふりをして言った。たいへんわざとらしかった。


「そう、蛍様はきっと素晴らしい答えをくださるよ。では、参りましょうか……」


 鵜藤は私に向かって言い、それから所在なさげに立ち尽くしている法眼にちらりと目配せした。


「早く自分の仕事に戻れ」


「は……」


 法眼は軽く頭を下げると、もたもたした足取りで立ち去っていった。それから私たちは鵜藤に案内されるがまま、廊下を奥へと進んでいった。やはりどこも飾り気がなく、宗教的な空気を匂わせるものなどどこにも見当たらなかった。


「イメージと違いますか?」


「えっ」


「ジゴクノヒカリ……という名称から、もっと暗くて陰気な感じを想像していたのでは?」


「それはまあ……はい」


「皆さんそうおっしゃいます。私もそういうふうにしたいんですがね」


「したらいいじゃないですか」


「しかし蛍様が乗り気ではなく。いろいろ飾りつけようとしても、蛍様がやめてくれとおっしゃるのでね」


「そうですか……」


 そりゃそうだろうなと私は思った。


「ところで、さっきの法眼さんという人は、こちらのスタッフですか」


「ああ、彼は研究者なんです。悪魔の研究者でね。悪魔の力を宿した子……つまり、蛍様を見つけ出すために力を貸してもらいました。今は蛍様に付き添ってもらっています」


「見張ってるってことですか?」


「フフフ、まあ、そういう側面もないとは言えませんね。蛍様もやはり中学生、目を離すとすぐ悪さをしてしまわれる……とても賢い方ですからね。すぐに我々を出し抜こうとしますから。無駄なことですのに」


 鵜藤はくくっと笑いながら話した。蛍は蛍で、教団の中で一人、鵜藤や法眼たちに抵抗していたのだろうか。


 鵜藤が足を止めた。目の前には両開きの扉があった。


「セミナー会場はこちらです。私は準備がありますので、またのちほど……」


 鵜藤はそれだけ言い残して、廊下のさらに奥へと立ち去っていった。


 逃げ帰るなら、今だった。法眼に魔女だとバレてしまった以上、ここに留まるのはまずい。魔女を危険視しているのは鵜藤だって同じだろう。もしも法眼が、鵜藤にゲヘナのことを話していたら――。


「どうするゲヘナ、このままセミナーに出るか。それとも」


「今帰ったら、次いつ土守さんに会えるか解らないじゃん」


「大丈夫か?」


「セミナー受けてすぐ帰るなら、見逃してくれるって言ってたでしょ」


「信じるのか? あいつの言葉を」


「……」


 ゲヘナは少し考え込んでから、再び口を開いた。


「いざとなれば魔法もあるよ。とりあえず、目的は果たして帰ろう」


 そう言って、ゲヘナは会場のドアを押し開けた。



 会場とはいっても、そんな大それたものではなく、こじんまりした部屋にパイプ椅子が二十ほど並べられているだけだった。窓はないが照明は明るかった。席は半分ほど埋まっていた。集まっている人たちは中年の女性が主で、大学生くらいの男性も二人ほどいた。宗教にすがりたくなるような悩みや困難を抱えているのかどうかは、外見からでは解らなかった。みな普通の人だった。


 私とゲヘナは最前列の隅の方に並んで座った。部屋の正面には「灮」と書かれた垂れ幕が下がっていた。門札にもあった、「ひかり」と読む(らしい)文字だ。


「あの文字が教団のシンボルらしいな」


「あれ日本語の漢字?」


「さあ……」


 ゲヘナと小声で話していると、会場の前方のドアが開き、鵜藤が姿を現した。さっきまでと同じく、ローブ姿だった。


「皆様、お待たせいたしました」


 鵜藤は我々の正面に進み出て、「灮」の字を背にして口を開いた。


「私が、ジゴクノヒカリ代表の鵜藤行徳と申します。本日はお集まりいただきまして、誠にありがとうございます……」


 鵜藤は頭を下げ、参加者からまばらな拍手が起こった。拍手が止むのを待ってから、鵜藤は再び口を開いた。


「えー……『人』という字は人と人が支え合っていると申しますが」


 鵜藤は金八先生みたいな話を始めた。


「では『光』という字は、どんな由来があるかご存じですか。ご存じの方。あ、いらっしゃらない。ではご説明いたしましょう。光という漢字は、このような書き方もするのですね。これを見れば、なんとなく解ってきませんか」


 そう言って鵜藤は、背後の「灮」の幕を指し示した。


「上の部分は、ご覧通り、火ですね。そして下の部分、この片仮名のルみたいなものは、人を表しています。つまり、人が頭上に火を掲げる姿。これを表現した文字なのです。火はかつて神聖なものとして見られていました。火を扱う人もまた同じ……炎を掲げて世界に光を照らす、誉れ高き人々なのでした。我々の教団では、この文字を信徒の象徴としています。信徒たちはみな、この世に光を灯す者になろう、そういう理念のもとに集まっているのです」


 鵜藤は見た目に似合わぬ優しい口調で語った。蛍いわく、地獄がどうとか破滅的なことばかり喋っている、とのことだったので、どんな危険思想を開陳するかと身構えていたが、案外普通で拍子抜けした。鵜藤は言葉を続けた。


「光を灯す、と言っても、物理的に炎を掲げるわけではありません。見えない光でいいのです。この世界に、そして人の心に、そっと小さな光を灯す。それで充分なのです。しかしそのためには、皆さん自身の心にも、光が灯っていなければなりません。どうですか、皆さん。心に光はありますか……いや、ここに集まっているということは、皆さん、光が消えてしまっている……もしくは、見失ってしまっている、ということでしょう。自らのうちにある光を……」


 皆さん目を閉じてみてください、と鵜藤は言った。


「そうして思い描いてみてください。あなたにとっての光はなんですか。あなたにとっての幸福とは何でしょうか。心を落ち着けて、思い描いて……」


 私も言われたとおりにしてみたが、正直何も思い描けなかった。光とか幸福とか言われてもピンとこない。私のような化け物にとって、幸福という言葉が何の意味を持つだろう。


「はい、では目を開けてください。どうですか、皆さん。何も思い描けなかった方、不安になることはありません。そして思い描くことができた皆さん、それが本当の幸福とは限りません。何があなたにとって本当の幸福か、本当の光なのか。俗世間の中で生きている皆さんには、まだまだ気付くことができないでしょう。光なき世界の価値観に、心を汚されていますから……しかし、私たちは、そこから脱することができる。光に気付くことができるのです。皆さんはすでに一歩、光に向かって踏み出しているのです。そのことを理解してください」


 拍手が起こった。ゲヘナも拍手をしていた。怪しまれないように周りに合わせているのか、それとも本気で鵜藤の話に引き込まれているのか。いや、後者はないだろう、ないと思いたい――。


「さて、ではここで……皆さんにはあるお方とお会いしていただきましょう。土守蛍様……我々を導き、高めてくださるお方です。本来ならば、正式にセミナーを受けて上の段階に進んだ方でなければお会いできませんし、土守蛍様の偉大さもまだ理解できないでしょう。しかし土守蛍様は全ての人に平等に光をもたらしたいとおっしゃっている……何でもいいのです、何かを打ち明けてください。あなたの苦しみを、秘密を、もしくは罪を。土守蛍様はきっとあなたのための言葉を下さいます。そして気付くでしょう。真っ暗な心にも、きっと光が灯るであろうことを……」


 鵜藤はまた参加者に向かって頭を下げ、そしてまた拍手が起こった。どうやらやっと土守蛍と会わせてもらえるらしい。私は周りに合わせて適当な拍手をした。拍手はなかなか鳴り止まなかった。

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