幸福宗教地獄之灮教団本部

 バスを降りると開放的な景色が広がっていた。


 停留所の名前は××町といったが、町より集落と言ったほうが適切であろう鄙びた土地で、細い道路の周りには畑や田んぼがどこまでも続いていた。その中に瓦屋根の木造家屋がぽつぽつあった。山が近かった。山全体が赤や黄色へと変わりつつあった。風も心地よく、濁りのない澄んだ空気が頬を撫で、胸を満たした。秋という季節のど真ん中に立っているような気がした。


 そんな美しい景観も、巨大建造物のせいで台無しだった。遠目に見ると大学か大病院のような、何の変哲もない建物ではあるが、その中身は悪魔崇拝を掲げるカルト教団の本部である。バスから降りた人々は、みなその施設に向かってぞろぞろと歩いていく。やはり乗客はすべて教団が目的だったらしい。


「この人らについていけばいいな」


 私はそう言って歩き出した。ゲヘナは一歩遅れてついてきた。その足取りはどうにも遅かった。


「どうした」


「うーん……」


 なぜか口を尖らせるゲヘナ。


「さっきのおばさんの話……」


「ああ、悪魔がどうとか……? あの話は何なんだ? お前も何か知ってるみたいだったが」


「知ってるどころかあれは本当の歴史だよ」


「本当の歴史……?」


「昔ね。悪魔は本当にいたんだよ。でも人間を騙して、堕落させる、危険な生き物だったから、魔女に殺された。悪魔は報復として、人間に魔女狩りをさせた……っていう」


「それは誰でも知ってるのか?」


「魔法をかじってる人なら知ってるでしょ。有名だもん。魔女の功績として、昔から宣伝されてるし。先生も知ってると思うよ」


「ふーん……じゃあ、教団がその話を知っててもおかしくはないわけだ」


「そーゆーことになるね」


 なるほど、おばさんの話は教団の創作ではなく史実だったわけだ。ならば法眼が魔女を嫌悪していたのも、教団に騙されているのではなく、魔女と悪魔の歴史に基づいた感情だったのだろう。悪魔崇拝者と魔女の確執は、根が深そうだ。


「おばさんが言ってた、悪魔神は実在したのか?」


「それは知らないなあ。悪魔の神様なんて、魔法史の教科書にはなかったし……」


「じゃあそこは教団の創作かもしれんな」


「でも実際に……昔いた悪魔が今もいるなら、それはめちゃくちゃ大発見だよ。悪魔はもう、滅ぼされたことになってるんだから」


「まあ、実際いればの話だな……」


 そこで私はふと思いついた。


「それをカノン・プレストウィッチに報告したらどうだ……本物の悪魔がいるかも知れない、ってのを。そうすれば私たちが調査に行かんでも」


「いやあ……証拠がないと無理でしょ。あの手紙の文面からして」


「やっぱりそうか」


「何、行きたくないの」


「できれば行きたくはないな。ここまで来といて今さらだが……でもお前もそうだろ」


「まあちょっとは怖いけど、でも土守さんと会えるんでしょ今日」


「そうみたいだな」


「ちょっとでも話せる機会があったら、教団のこと詳しく聞き出せるよね。昨日は邪魔されたし……」


「ああ、まあ……」


 私は土守蛍が法眼によってむりやり連れ帰られていく情景を思い出した。強引かつ乱暴、という印象ばかりが目に焼き付いている。そして暗い瞳から放たれる、射殺すような視線――。


「でも、どうする? あの男がまた土守蛍の横にいたら……」


「それは……」


 ゲヘナは口を開きかけたままで声を止めた。そこまでは考えが至っていなかったらしい。


「そもそもセミナーに参加する前に、あの男と出くわす恐れもあるが」


「多分、大丈夫でしょ、それは……万一のために、変装もしてきたわけだし」


「変装ねえ……」


「ほら、服も帽子も違うやつだし、髪も三つ編みにしたし。眼鏡もかけたし。杖もバラしてリュックにしまってあるし……」


 そう、今日のゲヘナは変装していた。服をユニクロで買った普段着に変えただけではなく、ユニクロで買った帽子を目深に被り、ユニクロで買った眼鏡をかけ、髪を三つ編みのおさげにしてユニクロで買ったヘアゴムで留めていた。リュックもユニクロである。


「これでパッと見は私だって解らないでしょ」


「パッと見はな。ジッと見はごまかせんぞ」


「いやでもあの人も私の顔そこまで覚えてないと思うよ」


「そうか……?」


 今さらになるが、改めて説明しておこう。今までも何度か出てきたことだが、魔女には魔法をかけることができない。魔法の魔力と魔女の体内の魔力が反発するため、魔女の体は魔法を受け付けないのだ。だからゲヘナは「変身」ではなく、「変装」するしかなかったのである。


 話を戻そう。私たちは教団本部を目指して、何もない道路をまっすぐに歩き続けた。十五分ほどで、施設の正門に到着した。施設の周囲は背の高い塀で囲われて、外からの視線を完全に遮断している。


 正門の作りはごくシンプルだった。宗教団体と言うよりは、学校の校門のようだった。悪魔崇拝の教団というから、いかにも不気味な意匠で飾り立てられているものと予想していたので、拍子抜けした。エリサの家の門の方が、いくらか豪華である。


 門の横に掛けられていた大理石製の門札には、幸福宗教地獄之灮教団本部という字が刻まれていた。


「こうふくしゅうきょうじごくの……ひかり?」


「これでヒカリって読むのかね」


「知らんよ」


 開け放たれた門から、私たちは敷地内に足を踏み入れた。内部もやはり宗教めいた荘厳さや異文化っぽさとは無縁で、飾り気のないアスファルトの道が続くばかりだった。道は階段に続き、その奥に巨大な建物が一棟あった。三階建てくらいの、横に広い建物で、視界いっぱいに広がるほどだった。その建物も、特に何の変哲もない、どこにでもあるようなものだった。


「あそこに行きゃいいんだね」


 何人かの人影が、その建物に吸い込まれていくのが見えた。


「法眼に見つからないようにしないとな」


「解ってる」


 ゲヘナは帽子を目深に被りなおし、私の背中に隠れた。そうして私たちは階段を登り、本部施設の自動ドアをくぐった。昇降口で靴をスリッパに履き替える。内装も外側と同じく、ごく普通で、ただグレーのカーペットが敷かれているだけだった。


 さて、どっちに行けばいいのか――とあたりを見回すと、カウンターが見えた。そこで受付をするのだろう。私たちはカウンターに近づき、声をかけた。


「あのうすみません」


「はい……」


「セミナーの無料体験は……」


「あ……あちらです……」


 受付の女性は、ほとんど聞き取れないような声で言った。目の焦点が定まっていない。顔も青い。具合でも悪いのかもしれない――その女性のことは気になったが、私たちは教えられたとおり、薄暗い通路を進んでいこうとした、その時だった。


「待て……」


 不意に、後ろから声をかけられた。聞き覚えのある声だった。振り向くと、カウンター横のドアから一人の男が姿を現した。私はそれを見た瞬間に息が止まりそうになった。その男とは誰あろう、法眼だったからである――。


「そこの二人……」


 法眼は相変わらずひどい猫背で、一歩一歩踏みしめるような足取りでこちらに近づいてきた。ゲヘナは咄嗟に、私の後ろに身を隠した。


「なぜここにいる……」


 法眼はこもった声で喋った。私は狼狽を表に出さないように必死に取り繕った。


「えっと……無料のセミナー体験を」


「……貴様は、魔女の家にいた化け物だな」


「なんでそれを」


「……適当に言っただけだが……図星だったか……」


「あっ」


「バカッ」


 ゲヘナが肘で私の腰を小突く。まったく面目次第もない。


「魔女が……一体何をしにきた」


 法眼は吐き捨てるように言った。私も法眼も、ゲヘナの言葉を待ったが、ゲヘナは私の背中に隠れたまま何も言おうとしなかったので、代わりに私が答えた。


「土守蛍を……助けるためだ」


「貴様らに何が出来る……」


「それは……これから考える」


「ふん……」


「お前こそ、私たちをどうするつもりだ」


「どうもせんさ……セミナー体験の後、すぐに帰るならばな……」


「でも」


「これだけは忠告しておくが……これ以上、我々に深入りするな。私の邪魔をするな……」


「邪魔って、どういうことだ」


「……」


「あんたは土守蛍を……どうする気だ?」


「貴様らには関係のないことだ……」


「あんたは……」


 私が口を開きかけたその時、法眼の背後から別の人影が現れた。


「法眼よ。こんなところで何をしている?」


 その男こそ、ジゴクノヒカリ教団のトップ、鵜藤行徳うどうぎょうとくであった。

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